序章
序章
壁には夥しい血痕。
まだ乾いていない血糊は、闇の中、僅かな月明かりにてらてらと光っている。滴る赤い液体は壁面に新たな模様を描いていく。零れ落ちた先にもまた、赤い海が広がっていた。
振り下ろされた鉈が新たな飛沫を散らす。既に生命のない肉塊と化したものへ、繰り返し繰り返し叩き付けられる斬撃、その度に強いられる新たな出血と生まれる血溜まり。
荒い息。吐き出されるのは呼気だけではなかった。その身を支配する狂気が抑え切れず漏れ出しているかのようだ。肩で息をしながら周囲を見渡す眼もまた異様にぎらつき、限界まで見開かれ血走っていた。
踏み出した足の下、か細い音を立てて折れたのは数本の指。手首から先だけが与えられた衝撃を物語る様に、地面に爪を立てたままの状態でそこにあった。容赦なく踏み付けて歩く赤い足跡がその手の甲にも残される。
動くものは何もなかった。床に錯乱しているのはかつて人だったモノ。手の一部、足の一部、胴体の一部。そうと判るものはまだましだった。割かれた腹から引き出されたのであろう長く伸びた臓物もまた刻まれて、肉片としか呼び様がない状態だった。
数歩、歩いて、この惨状を生み出した人間が足を止める。
破壊する目標を見失っていた眼が喜色を示した。おもむろに鉈を振り上げると、己の左腕を斬り付けた。噴出した血飛沫がその頬へ飛ぶ。何度も何度も叩き付けると骨に突き当たる。刃毀れした凶器を打ち下ろし続け、左腕は僅かな組織だけでかろうじて繋がっている状態となり、やがては自身の重みで血溜まりへと落下した。
痛みを感じている様子は全くない。むしろ新しい玩具を手に入れたかのように、転がった腕を叩き潰しにかかる。
続いて右足を斬り落とし、左足を切り刻む。歩く事が出来なくなった体で仰向くと、その腹に向かって鉈を突き立てる。
満面の笑みを浮かべたまま、破壊行為は続く。血生臭い行動はそれが己の首を斬り落として、初めて終焉を迎えた。
ごく普通の農村で、ごく普通の民家で起きた惨劇。
――月は無情に照らしている。