1-3
女と魔法の鞄を担いで、大きく迂回をしながら川に向かう。
万が一、狼が追って来た時の用心だ。川に飛び込んで臭いの跡を消さなきゃな。
寝床からかなり離れた場所で川に着いた。
そのまま飛び込んで、全身に水を浴びる。
「!!!!!!!」
担いでいた女が目を覚まして叫び声を上げたが、猿轡をして手足を一括りに縛ってあるので、声は出せず暴れる事もできない。
「おい!俺の言葉が分かるか?」
ドスを効かせて女に声をかける。
「○△□○▽□!」
女の顔が恐怖に引きつり、前以上に悲鳴をあげようとしながら暴れる。
仕方が無いので頭を冷やしてもらうか。川に女を落とし、すこししてから引き上げる。
「おれ、の、ことば、が、わかる、か?」
今度はゆっくりと単語ずつ区切って女に言うと、女は震えつつも首を縦に振った。
「いま、おおかみ、から、にげて、いる。におい、を、けす、ため、に、かわ、に、はいった。あんぜん、だと、おもう、ばしょ、に、つく、まで、しずか、に、していろ」
そう言うと、女はゆっくりと頷き、体の力を抜いておとなしくなった。
「それで、いい」
川の中を歩きながら下って、寝床まで移動する。
その間、女は静かにしていたが、女を担いだまま木に登っている最中は流石に怖いのか、全身に力を入れて身を硬くしていた。
「さるぐつわ、を、とるぞ。さわぐ、なよ」
猿轡の外された女は、心を静めるように息を吐き、俺に視線を向ける。
「助けてくれた事には感謝します。私の仲間がどうなったか教えていただけませんか?」
俺に理解しやすいようにゆっくりと喋る女の言葉は、発音やイントネーション、アクセントなんかは多少違うが、意思疎通に問題がでない程度には分かる。
これなら、普通に話しても大丈夫かな?
「言葉は通じるようだな。オマエの仲間は死んだか逃げた」
「そう、ですか……」
呟くように言って、考え込む女。
ここで考える時間を与えないのも手だが、絶対的に有利と言えないこの状況で反感を買うのもまずい。
俺が時間を与えていると言う態度で、静かに待っておこう。
しばらくして、意を決したように女が口を開く。
「なぜゴブリンの貴方が私を助けたのか、聞いてもいいですか?」
ゴブリン?はっ!やっと自分の種族が分かったな。
しっかしゴブリンねぇ。魔法に魔獣にゴブリン、なんともファンタジーな世界に生まれ変わったもんだ。
いやそんな事よりも、ココからが正念場だな。
上手くこの女から情報を引き出さないと……。
「オマエみたいな生き物は初めて見た。
俺と似たような言葉をしゃべり、同じ様に手と足を持つのに、俺とも緑肌共とも違う姿形の生き物だ。
だから興味を引いた。それがお前を助けた理由だ」
あくまで俺はこの女を助けた側だ。無知なのは仕方が無いが、下手に出て侮られる必要は無い。
しかし、交渉は慎重に。
なにしろこの女は、アノでかい狼に喧嘩を売った集団の一人なんだから。
どんな奥の手を隠しているか、分かったもんじゃあない。
「オマエをあのままにしておけば、あのオオカミか別の獣にでも喰われていた筈だ。
だが俺はソレを助けてやった。
だから、オマエは俺に借りが有る。そうだな?」
睨め付ける様に女に言うと、若干顔を青くして女はおずおずと頷く。この反応だと多少無茶な要求でも通るか?
「なら、借りを返してもらおう。オマエ達の事を教えてくれ」
その言葉で、女はほっとした様に体の力を抜く。
どんな酷い要求をされるのかと考えて、怖かったんだろう。
まぁ、視線と威圧で俺がそう言う風に誘導したんだがな。
「わかりました。では、どんな事をお知りになりたいのですか?」
女が身を引くように及び腰になっていた姿勢を正して、俺と向き合う。
こうしてみると、女は中々美人だった。年齢は十代後半から二十歳。ひっつめ髪の金髪碧眼でややきつめの容貌だが、そう言う嗜好があるヤツには逆にたまらないだろう。
「先ずはオマエの事だ」
「私は……。私の名はマルグリット、トーラスの街で魔法使いとして糧を得ている者です」
いや、その答えが聞きたかったんじゃないんだが……。聞き方が悪かったか。
しかし、魔法使いと言うのは良い情報だ。
「俺はゴブリンで、オマエはマルグリットか。ではマルグリットとはどう言う生き物なんだ?」
迂遠だが、こう言うしかないだろう。俺は人間と言うものを知らない設定なんだから。
「あ……。いえ、わたしは人間と言う生き物です。マルグリットは私個人の名前になります」
そうそう、それが聞きたかった。
「では、マルグリット。人間とはどういう生き物だ?」
「人間とは神に創られし子等の中で、最も繁栄を得ている種族です」
最初に宗教が来くるのか。
色々と突っ込みたいところだが、それで怒らせたら話が続かないので黙って聞いていよう。
分からない単語の意味を聞き返したりして思った以上に面倒なやり取りになったが、マルグリットの話を整理すると、この世界にはゴブリンや人間以外にも数多くの人型種族がいて、その中で人間の立ち位置は“人型の生き物の中では最大勢力の人種”らしい。
他の人種に比べて個体能力は中の下だが、高い適応力と繁殖力で森や山等の魔獣が棲むような危険地帯以外のありとあらゆる場所で国を造り、生活しているようだ。
これだけ聞けば人間がこの世界の覇者のようにも聞こえるが、あくまで人間であるマルグリットから見た話なので、百パーセントその通りであると言う保証はどこにも無い。
しかし、鉄製の剣や鎧が作れる程度には人間と言う種が成功しているようなので、少なくともゴブリンよりは上だろう。
なら、とりあえずは人間の常識に従っておく方が安全な筈だ。
ちなみにゴブリンは、エルフの森やドワーフの山以外の森や山に住む、妖魔の一種族なんだそうだ。
この世界の人間から見た人に類するものの分類は、エルフ、ドワーフなど人間と友好的な種族を亜人種、人間と獣の中間のような姿の獣人族、それ以外を妖魔と分類しているらしい。
差別的な響きのある分類だが、実際差別があるのだろう。マルグリットの言葉の端々からも、それがたまに見て取れる。
それとゴブリンにもいろんな種類があるらしく、この森でよく見られるのは緑色の肌をしたゴブリンで、俺の様に黒い肌のゴブリンは聞いた事が無いそうだ。
コレについては会話の中で、突然変異かなにかで緑肌の親から生まれ、排斥されていた事を匂わせておいた。
普通のゴブリンとは違う事を強調する事で、マルグリットの中から俺に対する差別意識を少しでも排除するためだ。
「繁栄か……、それはどのような生活なんだ?」
こう聞いてやると、マルグリットは自分たちの生活がいかに優れているかを語った。
森の木々より背の高い建物、敷き詰められた石畳、都市に張り巡らされた水道、遠くから運ばれてくる食材に手をかけられた料理、自分の着ている服を指して織物や縫製の素晴らしさも語る。
自慢するマルグリットには悪いんだが、マルグリットの話と拾ってきた道具から察すると、マルグリットの住む国の文明レベルはそれほど高くは無さそうだ。
工業製品らしき物は無く、火薬を使った武器も無い。
しかし、魔法が科学の代わりをしている部分があるかもしれないので、あまり侮るのも危険ではある。
それでも交通や情報伝達技術は、馬車やそれが運ぶ手紙程度のようだ。
伝書鳩や魔法を使った通信もあるかもしれないが一般的ではないのだろう。そのお陰でマルグリットから得られる周辺地域の情報は、精々がマルグリットの住んでいたと言うトーラスの街と街を治めるトーラス辺境伯領の噂話程度で、他国やトーラス辺境伯の属するジェラルデン王国の他の地域の話などはほとんど知らないと言っていた。
王国であり、辺境伯と言う称号がある事から、政治形態は君主制で貴族もいる事が分かる。身分制度がどれ程の力を持つかは分からないが、産業革命前の世界だと奴隷制度がまかり通っている可能性もあるな。
そうなると、異種族の俺が人間の国に行くのは危険か?へたすりゃとっ捕まって奴隷にされかねん。
「ふむ、俺や緑肌共の住むこの森の外、草原の向こうにオマエ達の住む人間の国とやらがあるのか」
あれこれと考えながらも、マルグリットのご機嫌をとるために憧れるように呟いておく。 我ながら面倒になってくる演技だが、全てぶちまけるのも危険すぎる。
人間、無知な者には油断するが、未知なモノに恐怖か好奇心しか持たない。どちらの反応が出ても、マルグリットから得られる情報に制限や偏りが生まれるだろう。
……いや、好奇心は恐怖の裏返しか、知ってしまえば怖くなくなるからな。つまり、未知なモノに触れた人間の持つ感情は恐怖だけ?
いかん、思考がそれたな。
「では、マルグリット。お前達はこの森にナニをしに来たんだ」
人間が危険地帯だと言う森に来る以上、人間にとって何かしらの旨味がこの森にはある筈だ。それを利用できれば最善だが、できなくとも知っておいて損はない。
「それは……、魔獣を狩りにです」
悔しげにマルグリットが言った。狩りに来て逆に魔獣に狩られたような物だから、そうなる気持ちも分からんではないな。
しかし、危険地帯と言っていた森の中まで来る必要があるほど、魔獣に価値があるのか?
「魔獣なんぞ狩ってどうする?」
「はい。力ある魔獣を食す事でその魔力を取り込み己の魔力を増やす事ができるので、力を求める者達はこぞって魔獣の肉を欲するのです」
ほう、殺すだけではなく食う必要があったのか。
まぁ折角の肉を捨てられるほどには食糧事情が良くもなかったので狩った魔獣は美味しくいただいたんだが、そうなると魔獣の肉を取引材料に使う事もできそうだ。
余裕が出てきたら、干し肉にでもしてみようかな?
「魔力?その魔力とやらが増えると、ナニか良い事でもあるのか?」
「魔力は魔法を使う力そのものですから、魔力が増えれば魔法の威力が上がり、魔法を使った後の疲労も軽減されます。
それと、それ以外にも様々な影響があって……」
マルグリットによると、魔力を増やすと肉体的にも影響が出て、身体能力の強化や老化の遅延なども起きるんだそうだ。
つまり、俺がレベルアップだと思っていたのが、コレか。
魔力を増やす事は訓練などでも可能だが、一番手っ取り早いのはやはり魔獣を食う事らしい。
但し、魔獣を食う事で増える魔力は魔獣と自分との魔力に差があるほど顕著で、差が無かったり自分より魔力の低い魔獣を食っても、ほとんど魔力は増えないとの事だ。
しかも、魔獣の肉による魔力が増える効果は新鮮さが命らしく、さらに脳と心臓は他の部位よりも食べた時の魔力の上昇率が高いらしい。
また、食用以外にも、薬の材料として内臓などが、武具の素材として骨や皮が珍重されるんだそうだ。
――つまり魔獣の肉で干し肉を作っても商品価値は無いが、骨や皮なら売る事も可能って事か。
今回マルグリットは、ジェラルデン王国の王太子が成人するのでその祝いの献上品にする為に生きたままの魔獣を欲した、とある貴族に雇われたと言う話だ。
他の仲間は同じ様に雇われた人間や、貴族が連れてきた騎士と従者で、ジュラルデン王国有数の剣の使い手もいたらしい。
それでもあのオオカミに歯が立たず、あっさりと壊滅してしまった。
事の顛末はまぁ、お粗末と言えなくも無い。
依頼者である貴族が魔獣寄せの香を焚いたところ、この辺りには居る筈の無い巨大なオオカミに襲われたようだ。
捕獲する魔獣を呼び寄せる為に魔獣が寄ってくると言う香を焚くのは分かるんだが、それで手に負えない魔獣を呼んでは本末転倒だろう。
ってよく考えれば、俺も似たようなことをしてたな。人の事は言えねぇや、ははは……。
……話を戻そう。
マルグリットの話では、あっと言う間に何人もの仲間がオオカミに引き裂かれ、頼みの大男が傷を負いながらもオオカミを押さえ付けたところに、マルグリットが大きな魔法を叩き込んだところまでは覚えているらしい。
後は魔法の使いすぎでマルグリットが倒れ、川で目を覚ますまで意識を失っていたようだ。
俺が到着してからの事を補足すると、マルグリットは沈鬱な表情で「そうですか」とだけ呟いた。
後、この森は蒼の森と呼ばれているようだ。
森の面積はかなり広く、幾つもの国に接し、どの国の支配も受けていない辺境の地なんだそうだ。
その為、森の奥地では強力な魔獣が野放しで、あのオオカミは何らかの理由でそこから来たのではないか?と言うのがマルグリットの見立てだ。
「恐狼が、森に入って五日も経っていないこんな場所で見つかるなんて事は聞いた事もありません」
震えながらそう言うマルグリットに、ではどう言う魔物を探しに来たのか?と聞いたところ、オオカミならばあれより二周り程度小さい大きさの、暴狼を探しに来たと答えた。
それでも俺が倒したオオカミの魔獣の倍くらいの大きさなんじゃないか?それを生きたまま捕獲となれば、難易度は桁違いに上がる。
やはり、この女は敵に回さない方が良さそうだ。
もし敵に回すとしたら、気づかれない内に一瞬で事を終わらせるとしよう。
「魔獣と言うのはそんなに種類があるものなのか?」
オオカミの魔物、ではなく恐狼だの暴狼だのと言った名前が付くくらいなら、それなりの回数似たような個体の目撃例がある筈だ。
「魔獣については分からない事が多いのですが、魔獣は産まれた土地と元となった動物の種類で、大凡の能力が決定されるらしく、この辺りであればオオカミならば群れ狼、ウサギならば叫兎と呼ばれる魔獣になります」
「ほう?では、この辺りだと他にどんな魔獣が居るんだ?」
「他の魔獣でしたら、シカの魔獣の火炎鹿やリスの魔獣の空跳び栗鼠、滅多に見つかる事はないのですが 幻影狐と言うキツネの魔獣や、隠れ鼠と言う鼠の魔獣も居ると聞いた事があります」
リスにキツネにネズミか、どちらも武器の素材にはなりそうも無いが、覚えておくだけ覚えておこう。
「ところで、先ほどの話に一つ疑問がある。
ここら辺の狼なら群れ狼とやらの筈だが、オマエ達が欲するのは暴狼なのだろう?なぜ、その貴族はこんな場所で魔獣寄せの香を焚いた?」
「えぇと……。先ほども言いましたが、魔獣を食べれば魔力が増えます。
ですのでトレットン子爵が、折角危険な森に来たのだから目的の暴狼を捕獲する前に自分達も魔獣を食べようと……」
答えるマルグリットは少し気まずげだ。
トレットン子爵ってのはマルグリットの雇い主だったな。そりゃ、雇い主に言われたのなら断れないんだろうが、マルグリットの態度を見ると、マルグリットもそれに賛成したんだろうなぁ。
「それは毎日やっていたのか?」
「はい、ここ数日は日に一、二度」
おれは人差し指を舐めて湿らし、高く掲げた。風は草原から奥地の方へ流れている。
「オオカミと言うのは、とても鼻が良い」
「です、ね」
「オマエ達は数日に渡って、日に何回も魔獣寄せの香を焚いていた」
「は、はい」
「その香の香りが、風に乗って奥地に届いていたら、あの巨大なオオカミが来たとしてもおかしくは無いのではないか?」
「……あ!」
それには思い至らなかったと、マルグリットは頭を抱えて激しく身悶えた。