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紅い実に導かれし乙女たち  作者: 藤原ゆう
プロローグ
8/15

サクラの場合

サクラの場合

「じゃ、こういう路線でまとめていって」

「はい。教授」

 狭い部屋の中には所狭しと書籍と種類が山積みになっていて、二人いるだけでいっぱいいっぱいだった。

 教授に特に目をかけられている瀬野サクラは、この雑然としたゼミ室の常連となっていた。

 そんなゼミ室を後にしたサクラは、さっそく図書館へと足を向けた。

 すでに卒論に着手している彼女は、単位を取得しながら研究も進めている。

 加えて、なるべく両親の助けは受けたくないと、バイトにも精を出しているため、非常に多忙な毎日を送っていた。

 いわゆる典型的な優等生。

 親や親戚、そして指導者には受けがいい。

 が、逆に同年代には疎んじられる存在。

 しかも地元の名士の娘とあっては高嶺の花もいいとこだった。

 目的の書棚の前に立った彼女は、そっとため息をついた。

(疲れたな……)

 思わず知らず本音が零れて、声に出してもいないのに、キョロキョロと周りを見渡してしまった。

(やだ、私ったら。明日までに、教授に言われたところまでまとめなきゃいけないのに)

 疲れたなんて言ってる暇はないのだ。

 一冊の本を取り出し、パラパラとめくる。

 目は確かに文字を追っているのに、内容が全く頭に入ってこない。

(仕方ない。一旦帰ろう)

 集中できない時は場所を変えるに限る。

(市立図書館の方が落ち着くもの)

 ちらっと視線を横にやれば、こちらを見て何やらヒソヒソ話をしている女子のグループ。

 サクラの視線を受けて、素知らぬ風を装っている。

 視線を元に戻すと、サクラはきゅっと口を引き結んだ。

(市立図書館には少なくともああいう子達がいないもの)

 そして逃げるように大学の図書館を出たのだった。


 何かに追われるように足早に大通りを歩いて行く。

 どこかへ行ってしまいたかった。

 自分のことを誰も知らない場所へ。

 ただ毎日を一所懸命生きているだけなのに、どうしてこんなに辛いのか。

 自分が泣き出してしまわないのが不思議なくらいだった。

 もうすぐあの小道だ。

 そこに入れば、人通りもなくなる。

 そう思って、サクラはやっと足を緩めた。

 大通りから細い小道に入る。

 小道に入ってしばらく行くと、ゆるい坂道に差し掛かった。

 そこへ聞こえてきた素敵な音楽。

 サクラはふと足を止め、その旋律に聞き惚れた。

(そう言えば、私……。昨日も?)

 いや。昨日だけじゃない。

 ここ最近ずっと通っている。

 どうして忘れてしまっていたんだろう。

 彼女を誘うように林の奥へと続く獣道。

(そう、ここを行けば……)

 あの人に会えるんだ。

 サクラは迷うことなく足を踏み出した。

 辿り着いた広場には、屋台と美しい店主が待ってい るんだ。

 それを思い出すと、途端にサクラの鼓動は早くなった。

 ゆっくりと近づく彼女に、店主はにこやかに笑いかけている。

「いらっしゃい」

 彼の少し低めの声に胸が震えた。

「あの。いつものジュースを、また頂けますか?」

「いいよ。君は今日もまた来るだろうと思って待ってたんだ」

「私を?」

 待っててくれたの?

 サクラの顔が紅潮する。

 差し出されたグラスを受け取ったサクラは、すぐには口を付けようとしない。

 受け取ったままじっとグラスの中の液体を見つめていたが、思い切ったように顔を上げた。

「あの。明後日お見合いなんです」

「お見合い?」

「親の決めた相手なんです。だから私、嫌で。学校も、何もかも嫌で。出来ることなら逃げ出してしまいたい。逃げて、誰も私を知らないところに行きたい。私を、どこか遠くへ連れて行ってくれませんか?」

「……どうして、僕にそんなことを言うんだい?」

 静かな口調で言われ、サクラは真っ赤になった。

 会ったばかりの彼に、自分はなんてことを言ったのか。

 その羞恥と、だけど言うことが出来たという達成感が綯い交ぜになって、気分はどんどん高揚していく。

「いいよ。連れて行ってあげよう」

 やがて告げられた言葉に、また鼓動が早くなった。

「そのジュースを飲めば、君はもしかしたら、この辛い世界から逃げられるかも知れない。不確かだけどね」

「……あなたが、連れて行ってくれるんじゃないんですか?」

 やや失望を感じながら、サクラは問い返した。

「僕は、言わば水先案内人だから」

「私は、あなたが……」

 言いかけて、そっと唇を押さえられた。

 彼の指先の温もりを唇に感じて胸が締め付けられた。

「君はまだ本当の恋を知らない。それはそういう相手が出来てから言うべきだよ。さあ、飲んで。新しい君を見つけに行こう」

 彼に恋をしてはいけないのだと、彼自身に言われてしまった。

 

 彼より素敵な人がいるの?

 この私を受け止めてくれる人がいるの?

 瀬野のお嬢さんでもなく、優等生でもない。

 ただのサクラとして愛してくれる人がいるのだろうか。


 何も迷うことはない。

 やってみなくちゃ始まらないんだから。

 サクラは赤いジュースを一気に飲み干した。

 そして倒れこんだ。

「サクラ。君を一人にはしないよ。待ってて。君の元に届けるから。君よりも強くて、それなのに恋を知らない女の子を」

 意識を手放したサクラの姿が消えてすぐ、新しい客がやって来た。


「私、立川マリ。あんた今、羽生えてなかった?」

 尊大な態度の女の子。

 サクラとは真逆の女子学生の登場に、店主は楽しそうに笑っていた。


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