マリの場合
マリの場合
目の前に座る男とどうして付き合うことになったのか、マリはそればかりを考えていた。
取り立てていい男というわけでもない。
むしろタイプじゃない。
ちょうど彼氏が途切れて暇だった、ということもある。
それは大いにある。
(ま、何よりお金持ってるっていうのが一番か)
本人が聞けば泣くようなことをさらりと思って、マリはカプチーノを口に含んだ。
彼はずっと喋り続けているが、マリの耳には一向に入らない。
時々適当に相槌を打てば、彼はそれで満足することを知っているからだ。
(とんだ、バカ男だわ)
ふふんと鼻で笑って、ちらりと目をやれば、彼と目が合った。
(え?)
ドキッとして、カップを口に付けたまま固まってしまった。
(なんで、こんな悲しそうな顔で見てんのよ!)
彼はふっと目線を下げ、しばらく何かを逡巡していたかと思うと、思い切ったようにマリを見た。
「マリちゃんは、俺といてもちっとも楽しそうじゃないよね」
「え?」
「だって、いつも俺ばかり話してて、脈絡に合わない相槌打って。そんなの俺と一緒にいる意味ないじゃないか」
「それは……」
そうだけど……。
思わず肯定しそうになって、マリは咄嗟に言葉を飲み込んだ。
これを言ってしまえば終わりだということは、いくら彼女でも分かっていた。
けど、彼は雰囲気で感じ取ったのか。
まるで泣き笑いのような顔になり、「もう、終りにしよっか」と呟くように言ったのだ。
「は?」
今まで出したことのないような声を出してしまい、慌てて口を押さえた。
「お互い、その方がいいと思うんだ。俺もマリちゃんも、次に進んだ方がいい」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。何一人で思い込んで結論出しちゃってんの?」
「俺はもう、ずっと我慢してたんだ!」
店中に響き渡るような声だった。
隣の人が思わず振り返るくらいの。
マリは呆気に取られて、口が開きっ放しになっているのにも気付いていない。
「少しでも長くマリちゃんといたいから、ずっと我慢していたんだ。君がつまらなそうにしてても、何とか盛り上げようと思って話題を作って。でもね、もうそういうのにも疲れたよ。恋人って、こんなんじゃないだろ。お互いがもっと思いやってないと。俺たちにはそれがないじゃないか。だからね、もう、さよならしたいんだ」
彼の真っ直ぐな視線がマリを射抜く。
茫然自失の彼女に、彼は「さよなら」と終わりを告げて立ち上がった。
「ま、待ちなさいよ」
彼女の絞り出すような声に、立ち去ろうとしていた彼が立ち止まる。
「勝手に言いたいことだけ言って帰るわけ? 馬鹿にしてんじゃないわよ。あんたから告ってきたんでしょ。だったら最後まで責任持って付き合いなさいよ」
「君は……」
振り向くと、彼の呆れたような顔があった。
「人と付き合うのに、順序なんて関係ないだろ。二人が思いあってるってのが一番大事なんじゃないか。俺たちにはそれがなかった。だから別れるんだよ」
もうこれ以上話しても無駄とばかりに、彼はさっさと支払いを済ませて店を出て行ってしまった。
「な、何よ……。あんたが私と付き合いたいって言ったんじゃない……」
零れそうになる涙をぐっと我慢して、マリはカプチーノを飲み干した。
(男なんて貢いでればいいのよ)
なのに余計なことを考えて、挙げ句の果てに私をコケにして!
悲しみを怒りに変えて、マリは立ち上がった。
そうして彼女は自分の気持ちすら誤魔化して生きている。
翌日キャンパスを歩いていると、彼が可愛らしい女の子と楽しそうに歩いているのに気が付いた。
(そっか……)
胸のあたりがキュッと痛んだ。
誰だって楽しい方がいいに決まってる。
マリは教室に向かおうとしていた足を止め踵を返した。
校門を出ようとしたところで、「ルカー。教室そっちじゃないよ」という声にちらりと視線をやった。
照れたような笑いを浮かべているのが"ルカ"だろうか。
そして数名で連れ立って教室棟の方へと歩いて行った。
ふっと小さくため息をついた。
私には……。
私には、ああして引き留めてくれる友達もいない。
どこで、どう間違ってしまったのか。
分からないくらいに、後戻りの出来ない所まで来てしまっているんだ。
言いようのない思いを抱えたまま、マリは大通りから続く小さな路地へと入って行った。
ちょうど緩い坂道に差し掛かったところで、どこからともなく綺麗な音楽が聞こえて来た。
(あれ、この音楽昨日も聞いた?)
すると、たちまち記憶が蘇る。
昨日も一昨日も、自分はこの先にある屋台で甘くて美味しいジュースを飲んだのだ。
そして彼女は惹かれるように、広場へと続く獣道へと進んで行った。
この先に、巻き毛の店主がいることを確信しながら。