ルカの場合
「あまりいないんだけど、時々君みたいにそのざくろジュースが気にいって通ってくれる人がいるんだ」
グラスに口を付けないルカを急かすことはせず、店主は自分も椅子を持ってきてルカの隣に腰掛けた。
「OLだったり、人妻だったり。……少し、何て言うか、生活に疲れたような人が、ね。ここでザクロジュースを飲んで、僕のハープを聴いて。ゆったりと雑貨を見て帰る。そうするとね、少し元気が出るんだって、言ってくれる。君だけじゃないんだ。出来ることなら、人と付き合わないでいたいって思ってるのは。だからね、僕はそういう人たちの一刻の慰めになれたらいいと思ってる。また明日頑張ろうと思ってもらえたら、僕の存在意義があるんだろうって。君がここに来たのも偶然じゃない。君自身が、ここを望んだんだ」
ルカの頑なな心が溶けていく。
彼の静かな、歌うような声が全身に行き渡る。
そして、ルカはグラスを傾けた。
甘いジュースが喉を通る。
こくこくと音を鳴らして飲み干した。
(やっぱり美味しんだよね、これ)
ふっと息をついた所で、また心臓がどきんと大きくはね、昨日よりも強い痛みが襲って来た。
「うう……」
胸を抑えて椅子から転がり落ちる彼女を、店主は慌てた様子もなく静かに眺めている。
「あ……助けて……」
草の上に転がり見上げたが、彼が手を差し伸べる様子はない。
痛みは引くどころか強まるばかり。
「き、救急車呼んでよ」
掠れた声でそう言ったが、彼は動かない。
(な、何よ。口では偉そうなこと言っといて……)
思って、ハッとする。
(これも自分でどうにかしろっていうの?)
しかし、どうにかしようと思って出来ることでもなさそうだった。
心臓を刺すような痛みは強くなる一方で、呼吸すら苦しくなってきた。
(一瞬でも気を許した私が悪いのか)
でも彼の言葉が己の心を揺さぶったのも事実だった。
「あんた……うまいこと言って、私を騙したの?」
すると彼は首を横に振った。
「ジュースを飲もうと決めたのも君だから」
「あ、あんた。詐欺……師でしょ……」
「心外だな。今のこの状態は全て君自身の選択の結果だって、本当は分かってるでしょ?」
冷たくあしらわれて、ルカは怒りを越えて悲しくなってきた。
「私が詐欺師に騙されるなんて……。ここで死んだら、あんたのこと……絶対許さないよ……」
苦しい息の中ではあったが言いたいことを言って、ルカはついに意識を手放した。
パタンと草の上に手が落ちる。
店主はそっと歩み寄った。
「やれやれ。強い子だ。この痛みにここまで耐えたなんて。でも、それだけの強さがなければ、あの世界では生きていけないだろう」
店主はすっと彼女の体の上に手をかざす。
「ようやく見つけた君だから。悪いようにはしないよ。少しだけ、彼らに力を貸してやって欲しいんだ」
お願いだよ……。
けれど、その願いに答える声はない。
「さあ、お行き。彼らの元へ。そして、君自身の生きる意味も、見つけて来るんだ」
彼の手のひらから光の球が生まれ、それは徐々に大きくなりながらルカの体を包み込んで行く。
「まだ完璧ではないのだけど、君なら大丈夫だろう」
強い君なら。
そして、彼は大きく腕を振るった。
と同時に、ルカの体が消え去った。
跡形もなく。
痕跡すら残さずいなくなってしまった。
店主は満足そうに微笑みながら佇んでいる。
「やれやれ。これでしばらく休暇がもらえるかな……」
早速申請しに行こう。
そう独りごちて、彼は踵を返した。
そこへ、今日最後の日の光が、木漏れ日となって広場に射し込んだ。
淡い光が彼の影を草の上に映し出す。
そのシルエットは不思議な形をしていた。
実際の彼にはないものが映っている。
それは鳥の羽のように見えるシルエット。
一対の羽が、彼の身体から伸びていた……。