王宮4
小鳥のさえずりが耳にうるさい。
「ルカ。ルカ、起きて」
「うーん。お父さん、まだ早いでしょ」
「お父さんて……。そろそろ起きて。ルカ」
ルカは夢の中で(ん?)と思った。
そして違和感を感じて、パッチリ目を開けた。
「サイサル」
「おはよう。ルカ」
「お、おはよう」
「朝食をこちらで食べるように手配したから、起きて身支度を整えて」
「え、そうなの?」
「そう。あちらに浴室があるから」
「よ、 よ、よ、浴室?」
「お風呂、嫌い?」
「ううん、好きだけど。この東屋、お風呂まであるの?」
「東屋っていうか、隠れ家、だよね。私が施策にふけりたい時に使ってるんだ」
どうやら、ここは普通の家だったらしい。
「ああ、そうだ。ここに着替えがあったはず」
いそいそと動き回るその姿は、とても一国の王には見えない。
(サイサルって、意外に主夫タイプ?)
「はい。ここにはこんなのしかないから、気に入らなかったら、あとで着替えて」
差し出されたのは、街やこの城の女性たちが着ていたようなドレスだった。
「ありがとう」
ここにこんなドレスが置いてあるのも不思議だったが、サイサルとて、いい年した青年だ。
女性の着替えくらいあってもおかしくはない。
(サイサルに彼女の気配?)
サイサルデータに付け加え、朝食の時にもっと詳しく聞いてみようと、ルカはるんるんで浴室に向かった。
浴室に一歩入っただけで、いい匂いが花をくすぐった。
「バラの花びらが……」
湯船に揺れている。
「お姫様みたーい」
と言っても、ルカは未だかつてお姫様に憧れたことはない。
それでもお姫様体験は悪い気はしなくて、ドレスを身につけた時が気分も最高潮だった。
「似合わないけど……」
このドレスの持ち主とは体型がずいぶん違ったらしい。
悲しい現実には目を伏せ、朝食に集中することにした。
「お待たせ」
「やあ、可愛いな」
さらりと言われたことに、妙にどきりとしてうろたえてしまった。
そして、ドレスの裾を踏んづけた。
「キャッ」
「ルカ!」
咄嗟に、サイサルに抱きとめられる。
「あ、ありがとう」
離れようとしたら、腰に回した腕に力が込められた。
(ん?)と思ったのも一瞬で、腕の力はすぐに緩められ、ルカはサイサルに支えられるようにして立たされた。
「気を付けて」
「うん。ありがと。やっぱり着なれないせいかな」
ははと笑うルカに、サイサルは微笑んで、椅子を引いた。
「さ、姫。どうぞ」
「姫って、やだな。そんな柄じゃないから」
するとサイサルはルカの手を取り、その甲に口付けた。
「え? え?」
「君は十分お姫さまだよ」
語尾にハートマークが付いていそうなサイサルの言葉に、ルカは一気にのぼせ上がった。
免疫のないのルカには、サイサルの言葉やしぐさのすべてが刺激的だった。
そしてそのまま手を引かれ、椅子に座らされた。
「ルカは何が好きかな。パン? スコーン?」
サイサルはいそいそと、ルカの皿にいろいろな料理を取り分けてくれる。
「あ、大丈夫だよ。自分で取るから。サイサルも食べようよ」
「ああ。私は朝は食べないんだ」
聞き捨てならないことを聞いた気がする。
「朝食べないって、どういうこと?」
「ん? 全く食べないわけではないよ。コーヒーとチョコは欠かせない」
そりゃ、チョコでも糖分は取れるけど。
それじゃ、ここに並べられたご馳走は全部ルカのだと言うのだろうか。
「ダメダメ。そんなんじゃ。一国の王様がそんな食生活で、いい政治ができるはずないでしょ。朝はしっかり、栄養バランス良く食べる。これ、基本よ」
「それは、そうだろうけど。食べられないんだ」
「サイサル」
「ん?」
「なら、これからは私がサイサルの朝ごはん作ってあげる」
「え?」
「私こう見えて、自炊歴長いし、一応一通りの家庭料理は作れるのよ。よし、さっそく明日の朝から作るわね」
「ルカ……いいのかい?」
「もちろん彼女さんが怒ったりするなら遠慮するけど」
「だから彼女なんていないって。でも朝から君に台所に立ってもらうなんて悪いな」
と言いながら、サイサルはどこか嬉しげで、にこにこしている。
「何か苦手なものとかある?ピーマンとか、キノコとか」
「ふふ……いや、ないよ」
「そう、それは偉いわ。だったら、何出してもいいよね」
「うん。お任せ」
ルカが朝ごはん担当になるということは、もう決定事項らしい。
「いやあ。明日から楽しみだな」と言いながら、サイサルはコーヒーをすすっている。
「だったら、今日から栄養バランス改善よ。こんなに私一人じゃ食べきれないもの。サイサルも食べて」
ルカはどかどかと空いた皿に料理を取り分け、サイサルに差し出した。
目の前に置かれた皿を見て、サイサルの顔がひきつった。
「……さすがに今日は」
「ダメ! 食べないんなら、私また、お城脱出計画決行するんだから」
「それは困る」
「でしょ。だったら、食べて。無理しないで、食べられるだけでいいから」
サイサルはのろのろとフォークを手に取った。
「ルカ。君って……」
「なに?」
「世話好きなんだな。しっかりしてるし、周りに頼られることも多いだろ」
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
こちらは一歩引いた付き合いをしているつもりなのに、一人にならないというのはそういうことなのだろうか。
それからは二人とも無言で料理を片付けていった。
ルカは一心不乱に食べている。
そんな彼女を時折サイサルが見つめるが、彼女はまったくそれに気付かなかった。
「料理長も張り切ったな」
もう無理と言うように、サイサルがフォークを皿の縁に置いた。
「まあ、初日にしては十分ね」
「はい。ごちそうさまでした」
手を合わせるサイサルに、ルカはうんうんと頷いて見せる。
「それにしても、ルカはよく食べるんだな」
「あら。基本は食べることよ。基本は大事にしなきゃ」
「そっか。そうだね」
「ではでは。明日からお願いします。ルカどの」
「お任せを。国王陛下」
二人は笑い合った。
優しい空気が二人を包む。
朝の光の中で、サイサルの銀の髪が華やかに輝いていた。
ルカは不思議だった。
最初はどんなにあくどい人間なのかと思ったのに、話をし、その人柄に触れるに連れ、サイサルがとても素敵な人なのだと分かってきた。
普通初対面の人に朝ごはん作ろうかなんて言わない。
それなのに、サイサルにはしてあげたいと思う。
それは彼が抱えるものの大きさであるとか重みを感じたから。
彼の力になりたいと思ったから。
そして、そう思わせるものを彼が持っているから。
紅い実の乙女だとかいう話は置いておいて、この世界に来てしまった以上自分なりに出来ることをして、日々を有意義なものにして行った方がいい。
その手始めが、サイサルの朝ごはん作りなのだろうと思っていた。
階段を踏み鳴らす音がする。
その音に、サイサルが顔をしかめた。
「どうやら、楽しい朝食もお開きのようだ」
「え?」
部屋に入って来たのは、サイサルと同じようなチュニックにズボンを着た男性と、甲冑の兵士たちだった。
そして男性はルカを見るなり、がっくりと肩を落とした。
「王。これは一体どういうことです?」
「おはよう。アウリス。ルカ。これは、私の片腕のアウリスだ」
「あ、どうも。初めまして」
「初めまして、ではない。世話係の女官から姿が見えないと知らせを受けた時には、どれほど焦ったか。どのような経緯でここにおられるのです?」
「あ、ええと……ごめんなさい」
「アウリス。食事は済んだ。私も執務に戻ろう。彼女を部屋に案内してやってくれ」
「王」
「詳しい話はあとだ」
「……は」
「ああ、それと。彼女の部屋を後宮へ。その方が警備もしやすいだろう」
「こ、後宮ですと!? それはなりません。後宮は、妃の住まわれる場所です」
「今現在、私に妻妾はいない」
「それは、王が拒まれるからではありませんか」
「だから、いいだろ?」
「……」
「いずれは彼女が後宮の主になる。それはお前の望みだったのではないか?」
アウリスの眉がピクリと動いた。
「御意」
それからアウリスはすばやく兵に指示を出し、ルカに向き直った。
「お部屋の用意をさせております。乙女には、今しばらくこちらでお待ちを」
ルカが頷いたのを確認すると、今度はサイサルを見た。
「では、執務室に」
「ああ」
サイサルはルカの頭をポンポンと撫でると、そのまま隠れ家を出て行った。
アウリスもそれに続こうとしかけたが、つと立ち止まりふりかえった。
「乙女よ。王はあのように気さくな方だ。親しまれるのは構いません。しかし、それもご自分の役目を果たされてこそのことだということをお忘れなきよう」
一人残されたルカは、また怒りが再燃していた。
「役目を果たすってなんなのよう! 私は詐欺師に騙されただけなんだってばあ! 一番可哀想なのは私なのー!!」
庭の方にまで響き渡る声で吠えまくるルカに、恐れをなした女官たちは、しばらく迎えに来るのを躊躇していたという。