王宮2
「ん……頭痛い……」
変な時間に寝過ぎてしまったからか、目覚めたルカは軽い頭痛を感じた。
誰か呼んで薬もらおうか。
そう思い起き上がると、部屋を見渡した。
鉄格子から差し込む光はすでになく、代わりにテーブルに置かれた燭台のローソクが部屋をぼんやり明るくしていた。
「と、いうことは、寝ている間に誰かが来たってことよね」
ベッドの上に座り、膝を抱えた。
「ここ、どこなんだろう」
見知らぬ部屋に、夜一人。
そんな状況に急に心細くなってしまった。
「お風呂、入りたいな」
そもそも、ここにお風呂があるかも疑わしい。
ルカの知っている生活様式とは全く異なるのだから。
あまり履くことのないロングスカートを履いていたのが良かったのか。
彼らに特に怪しまれることもなく、なんとお城に来てしまった。
(あれ。あの人たち、どうして私を連れてきたのかな)
おなかが満たされ、睡眠も取れたことで、やっと疑問に思うべきことに考えが至ったらしい。
「ちょ、ちょっと待って」
あの甲冑の人たちに会った時に、あの人たちは「ザクロを食べたか」と聞いてきた。
(あれ。なんでザクロ食べただけで、こんな扱い受けるんだ?)
あの、詐欺師か?
やっぱり、あの詐欺師が一枚も二枚もかんでるのか?
(どうしよう。こっから逃げた方がいいのかな)
ルカは今更なことを考えているが、本人は気付いていない。
(窓……はだめだ。格子がある。じゃあ、正面突破するしかない?)
ルカは扉を睨んだ。
あまり人もいないようだったし、行けるかもしれない。
思考を巡らせているうちに、頭痛は何処かへ行ってしまった。
(ご馳走には後ろ髪引かれるけど、変なことに巻き込まれないうちに帰ろう)
そしてルカは扉をそっと開けた。
(暗い……)
仕方なく、テーブルの燭台を手にした。
廊下の石壁がローソクの明かりにぼんやり浮かび上がった。
一歩足を踏み出す。
(スニーカー履いてて良かったあ)
足音を気にすることなく行ける。
そう思うと俄然張り切って、ルカは恐らく先程通って来たであろう廊下を歩き出した。
甲冑の音がする。
ルカは曲がり角に身を潜めた。
その目の前を、見回りだろうか、甲冑の2人組が通り過ぎて行った。
(ふう。緊張するなあ)
額に浮かんだ汗を拭って、ルカは壁に身を預けた。
部屋を飛び出したものの、やはりことはそう簡単には運ばないものらしい。
ルカは安易に考えていたことを、すでに後悔し始めていた。
長い髪を鬱陶しげに払うと、ルカはまた歩き始めた。
とことん行けるところまで行って、それで城の外に出られたら良し。
出られなかったら誰かに見つかって、部屋に連れて行ってもらおう。
ルカはやはり行き当たりばったりだった。
しばらく歩くと、廊下に煌々と松明が灯された一画に出た。
そこは庭のようだった。
さまざまな花が咲き乱れ、草木が生い茂る。自然豊かな庭だった。
この庭の先には、もしかしたら外に通じる道があるかもしれない。
なくても、ここよりは身を隠す場所があるだろう。
明るくなった夜明けの頃、もう一度脱出を試みよう。
そう考えたルカは、ダッと走り出して、大きな木の陰に身を潜めた。
(こうなると、ロングスカートって動きにくいな)
しかし脱ぐわけにも行かない。
少し裾をたくし上げ、木立の中を小走りで行く。
木々の間には松明が据えられていて、とても明るかった。
(それにしても広い庭)
大学のキャンパスと同じくらいあるかもしれなかった。
(あれ。建物だ)
小道の先に小さな建物。
近づいてみると、壁はなく、柱の上に屋根が乗っているだけの簡単な作りだ。
「東屋だわ」
ここで少し休めるかもしれない。
ルカはホッと息をついて、3段ほどの階段を上がって行った。
上り切った所の床に足をついたら、ギシッと音がしたので少し冷やっとしたが、耳を澄ましても他に物音がしない。
(だよね。こんな真夜中に東屋に人がいるわけないよね)
この東屋は思ったよりも広く、吹き抜けのフロアの先には壁のある普通の家のようなフロアもあった。
東屋と言っても、さすがにお城だ。広い。
この部分は小道からは死角になっていて見えなかったようだ。
中にも所々に燭台が置いてあり、物にぶつからない程度には歩くことができた。
長椅子を見つけ、そこに横たわろうと近づいて行く。
「ちょっとした応接間だわ」
「誰?」
呟いた声に、低い声が重なった。
びくりとして振り向けば、壁の一面が窓になっている所に白い影。
「ひえっ!」
ルカは小さく悲鳴を上げると、後ずさり、長椅子に足を引っ掛け、そのまま後ろに倒れこんだ。
ガタンという大きな音ともにルカは床に転んだ。
「君!大丈夫か?」
白い影が走り寄る。
ぐいっとたくましい腕に抱き上げられた。
「ゆ、幽霊じゃない?」
お尻を強打し、痛みに呻きながら、その人が生身の温もりある人間だと確認した。
「ふ……私を幽霊だと?」
その人は笑いを零した。
薄暮の中、彼の視線とルカの視線が絡み合う。
(灰緑色の瞳……)
蝋燭の火を受けて、揺らめくように輝く瞳。
「大丈夫かい?」
ルカはしばらくその宝石のような美しさを、吸い込まれるように見つめていたらしい。
ルカは慌て「だ、大丈夫です」と言いながら、彼の腕の中から起き上がった。
「君は……誰?」
尋ねられ、ルカはハッとした。
(そういや、私、めちゃくちゃ怪しいよね)
この人も、この深夜にここで一人何をしていたのかと思うが、それでも彼は城の関係者だろう。
不審者であるのは、当然ルカの方だ。
「あ、あの、私……」
「待って」
言いかけたら、長い指で唇を押さえられた。
胸がドキドキと早鐘のように打ちはじめる。
「何か飲む?」
「え?」
聞かれると、途端に喉の渇きを覚えた。
「ちょっと待って」
彼は物腰も柔らかく立ち上がり、窓とは反対の壁際に置いてあるカウンターに向かうと、手際良くグラスに飲み物を入れ、ルカの所へ戻って来た。
「どうぞ。君のは果実酒。私のは、ブランデー」
蜜色に光るその液体を、彼は美味しそうに口に含んだ。
「果実酒……」
新歓コンパの悪夢が一瞬蘇ったものの、ルカはあえて知らぬふりをしてグラスに口を付けた。
(あれ、この味、どこかで……)
と思った瞬間、ルカは胸に焼けるような痛みを感じてグラスを取り落とした。
中のものが零れても気にすることもできず、ルカは床に突っ伏した。
「い、痛い……」
助けを求めて顔を上げると、彼の灰緑色の瞳にぶつかった。
痛ましそうに眉を顰める彼は、それでも慌てている様子はない。
「あの」
「やはり君は、紅い実の乙女なのだね」
そして彼は、
「騙すようなことをしてごめん」
と呟いた。
「え……?」
「もしかしたらそうではないかと思いながら、あえて試すようなことをした。苦しいかい?」
「く、苦しいかいって、見てわかんないの!?思い切り苦しがってんじゃない!」
グーパンチくらいお見舞いする勢いで、ルカは非難の声を上げた。
猫を被っていたのも、すっかり脱ぎ捨ててしまっている。
「あんたも詐欺師の仲間だったのね!私を騙して、何が面白いってのよ!ほんと、あったまくる」
怒りの方が優って、胸の痛みも吹っ飛んでしまいそうだった。
「ごめんね。本当にごめん」
彼は申し訳なさそうに目を伏せた。
ルカは膨れつらで、そんな彼を睨みつけている。
「苦しいかい?」
「もう平気だけど……。あなた、本当にあの詐欺師の仲間なの?」
「君がどの人のことを言っているのか分からないけど、私は詐欺師の仲間ではないよ。むしろそんな輩を取り締まる立場にある」
「だったら、どうして!」
「言い伝えが本当か、半信半疑だったから」
「は、言い伝え?」
「そう。信じる者は、狂信的に。信じない者は無関心。そんな言い伝えに振り回されるつもりなんかなかったんだが。実際、この目でその通りの反応を見てしまうとね」
信じないわけにはいかなくなるな。
「な、何のよ。言い伝えとか、反応とか。私には関係ないことだ」
「……そう、関係ない。君には我が国の情勢など一切関係ない。巻き込んでしまうことになったのは、本当に申し訳ないと思っている」
「申し訳ないとか、そういうのはいいのよ。ただ、物事を頼みたいなら、不意打ちみたいなんじゃなくて、きっちり順を踏んで頼みなさいって言ってるのよ。そしたら私も怒ったりしないで、話聞くくらいはしてあげるのに」
「……」
「何よ」
「君は……。人が好いって、言われないかい?」
「言われないことは、ないけど……」
ルカはこの人を心底からは憎めないと思った。
この人も何かいろいろ抱えていて、それで仕方なく今回のようなことをしたのだとしたら。
それに、ザクロジュースを飲んで、こんなに苦しくなる原因の答えが彼の知っていることの中にあるのなら。
決して自分も無関係ではないと思う。
「ちゃんと順を追ってくれるなら。そして、私をもう二度と騙さないって誓ってくれるなら。私、あんたに付き合ってあげてもいいわよ」
彼が息を飲むのを感じた。
(私、何か変なこと言ったっけ)
思い返してみるが、それほど可笑しいことを言ったようには思えなかった。