王宮
***
コントニア王国のサイサル王は、今日も執務に追われていた。
経済・外交・軍事。
片付けなくてはならない仕事は山積している。
寝る間も惜しんで執務をこなす王のことを、側近たちは敬愛しながらも心配していた。
「王。少しお休みください」
宰相であるモンドバルト公爵は年の頃はサイサル王と同じくらい。
王には幼い頃から仕えていて、正に側近中の側近だった。
若くして宰相となってからは、その手腕を存分に発揮していた。
「休む? 何故?」
そんな宰相の言葉にすら、サイサル王は同意しかねるとでもいうように眉をひそめた。
「休む暇などはない。人は常に動いているのだから。王である私が休むわけにはいかないだろう」
そう言って、サイサル王はまた書類に視線を戻した。
「だからこそ、王にはいつまでもお元気でいていただかねばならないおです」
「私をみくびるな。アウリス。この程度でどうにかなる程、私は弱気できていない」
「もちろん。王が文武両道に長けた方であるのは、十分存じ上げております。少々のことで、どうにかなるお方でないことも。しかし物事には限度というものがございます。今一度、ご自分のお身体ともご相談いただきたく……」
「アウリス」
「は」
「先日話していたハデスという組織についてだが」
「……はい」
「もっと詳細な情報はないのか」
「申し訳ございません。……調査をさせてはおりますが、なかなか正体の見えない集団でございまして。王にご報告申し上げられるだけの事項が揃っておりません」
「わが国の諜報部を持ってしてもか」
深く頭を垂れる宰相に、王は「引き続き調査を行うように」と告げ、別の書類へと目を移した。
そこ遠慮がちに扉をノックする音がした。
アウリスが扉へと歩み寄る。
「なんだ。今は人払いをしている」
「はい。承知しております。しかし遺跡へ派遣しておりました部隊から早馬が着きまして。一刻も早くご報告したいと申すものですから」
「遺跡から早馬が?」
まさか、とアウリスは思わず王を見た。
言い伝えを聞いても一切興味を示さず、自分の国は自分で守ると言い切ったサイサル王。
もし言い伝えの乙女が見つかったのだとしたら。
「これは非常に慎重に対処せねばならぬ事象だ。私が兵に会おう」
小声でそう言うアウリスに、侍従は緊張した面持ちで頷いた。
「王。来客のようですので、本日はひとまずこれで失礼いたします」
そしてアウリスは王の返事も待たずに退室して行った。
部屋には、苦笑を浮かべたサイサル王が残された。
「アウリスも忙しいな」
あいつこそ無理をしているのに。
地下組織のテロ行為が激しい昨今では仕方無いこととはいえ。
「悩みの尽きないことだ……」
サイサル王はため息交じりに呟くのだった。
***
王城に早馬が到着して、しばらく経った頃。
ルカを乗せた馬車が、王都の入り口となる門をくぐった。
馬車が轍にはまって跳ねた衝撃に、うつらうつらしていたルカは目覚め、窓の外に視線を移した。
「わ……」
そこには人が溢れていた。
先程いた遺跡とは全く違う景色に、ルカはあんぐり口を開けた。
「うちの大学にもこんなに人いないわ」
けれど、その人々の姿は全く違ったものだった。
男性はマントのようなものを羽織り、ピッタリとしたズボンにブーツ。頭には羽飾りの付いた帽子。
女性は裾の長く、袖が大きく広がったドレスを着ている。頭には色とりどりの造花を着け、とても華やかだ。
しかしその表情はどこか暗く、憂いを帯びている。
その華やかな装束との対比を不思議に思い、ルカは首を傾げた。
「乙女よ。もうすぐ到着ですぞ」
乙女って。
19にもなる身には気恥ずかしい呼び方だ。
ルカは心持ち顔を赤くしながら、声をかけた甲冑の男に頷いた。
馬車は速度を下げて、街の通りを走って行く。
ルカはそんな街の様子を興味深げに眺めていた。
ここがどこなのか。
夢なのか何なのか分からないが、日常とは確実に違う経験をしているという自覚はあり、ルカは不安に思う気持ちもあったが、この状況を楽しんでいる自分も感じていた。
(とりあえず食べ物なんだよね)
彼らに素直についてきたのも、彼らといればいつかきっと食事にありつけると踏んだからだ。
(食べるもの食べてから、この状況を把握しよう)
呑気に手を降っていた、あの店主の姿が思い返される。
思い出すとまた怒りがふつふつとこみ上げてくるが、ルカは深呼吸でそれを抑えた。
(今は余計なことに体力使わず、時を待つのよ。ルカ)
そう自分に言い聞かせた。
しばらくすると馬車がゆっくりと停止した。
「乙女よ。お疲れでございましょう」
言いながら扉を開けたのは、あの甲冑の男たちのリーダーと思われる人で、こちらに手を差し伸べてきた。
その手を取って馬車を降りる。
「食事を用意させました。あの者がご案内いたしますので」
その言葉を耳にしながら、ルカは目の前にそびえるお城を見て呆然としていた。
それは外国のおとぎ話から抜け出てきたようなお城で、見上げれば塔が幾つも見えた。
「ここが我が王のお住まいです。さ、お早く中へ」
背を押されるように前に進むと、そこには女性が一人立っていた。
優しそうな微笑みを浮かべていて、とても綺麗な人だった。
「お待ちしておりました。ここからはわたくしがご案内致します」
城に入る前に甲冑の男たちとは別れ、女性の後に着いて長い廊下を歩いて行った。
彼女は話しかけてこず、だからルカも話さない。
二人は終始無言で歩いていた。
女性はやはり、街中で見た女性たちのように、裾が長いドレスを身に纏っている。
髪は綺麗に結い上げて、飾りのついたかんざしを着けていた。
街中の女性たちよりは、やや質素だろうか。
そんな風に観察していると、彼女が立ち止まった。
「こちらのお部屋です。どうぞ、お入りください」
ここに来て、ルカは少し緊張している自分を感じていた。
今までがあまりに警戒心がなさすぎたのだ。
こくりと喉を鳴らして部屋を覗き込むと、そこには大きなテーブルがあって、その上にはご馳走が所狭しと並べてあった。
途端おなかが盛大に鳴った。
「まあ。さあ、どうぞお召し上がりくださいな」
女性はクスクス可愛らしく笑いながら、椅子を引いてくれている。
ルカは顔が赤くなるのを感じながら、ここに来ていろいろ思い悩むのも馬鹿らしいと、素直に椅子に腰掛けた。
「それでは給仕はこちらの者が致します」
そう言うと、その女性は止める間もなく部屋から出て行ってしまった。
給仕をしてくれるという人はやはり女性で、でも先ほどの人とは違い、少しお堅い雰囲気だった。
きっちりと結い上げた髪がそれを物語る。
「食前酒を召し上がりますか?」
物言いもごくごく事務的で、とても親しくなれそうにはない。
「い、いいえ。召し上がりません」
テンパった返事にも特に反応はなく、淡々と水挿しからグラスに水を入れ、それをルカの前に置いた。
「お口に合わないようでしたら仰ってください」
「食べてもいいですか?」
「……」
返事はなかった。
そんなことまで答える義務はないと言われているような気がして、ルカはフォークを取ると、目の前にあった煮込みのような料理に手を出した。
一口大の肉を頬張る。
「あ、美味しい」
口に入れた途端溶けてしまう程、柔らかい肉だった。
(これは期待できるんじゃない?)
もうそこからは、じっと傍に立っている女性のことなどお構いなしに、どんどん食べ進めて行った。
(あれも美味しい。これも美味しい。ぜーんぶ、美味しい!!)
ここって最高っ。
最後にクリームのたっぷり乗ったシフォンケーキを頬張って、ルカの食事は終了した。
「ごちそうさまでした!」