小さな決意
レーヴェはひどく自己嫌悪で沈み込んでいた。
早朝にリューシャから伝えられた生体魔道具らしき反応に気がつかなかったことを悔いているのだ。
ドラゴンであるリューシャでさえ少しの間気がつかなかったものに人間であるレーヴェが気付こうなど無理無茶無謀の三拍子がそろっているのだが。
そしてもうひとつの理由があった。
馬車で出立し、街道を進んで半ばあたりで襲撃にあったのだ。
守る側である騎士である己が、護るべき相手に庇護されなければならないという状況に陥らざるを得ない、自身の弱さが心底嫌なのだ。
できれば同等、できれば自力で身を護れる程度の力を持っていたかった。
「レーヴェ、正直、すこしうっとうしい、よ?」
「わかってる、わかってる……」
破損した馬車の修理のため、街道から少しだけずれてレーヴェ含む騎士達は休息を取っていた。
馬車の修理はそれを得意とする者に任せておけばいいので、することがない人間は早めの昼食と相成っている。
街道の少し後方を見れば、焼け焦げた跡。そして黒焦げになった襲撃者たち。
襲撃してきたのは、この真昼間に黒ずくめの格好をした者達だった。
彼らは、人間ですらなかった。
傀儡人形と呼ばれる、人工魔石を核にしたゴーレムの一種だ。
この傀儡人形は、術者が指定した人間の意識を憑依させて動かすタイプのゴーレムで、核が破壊されるか、器が木っ端微塵になるか、術者もしくは接続している人間の意識が離れるまで動き続ける。
接続されている人間が一流の暗殺者であったりすれば、それは痛覚のない、死なない、そして情報漏えいが存在しないという三つの好条件を持った、忌むべき暗殺人形となる。
それがレーヴェたちに、合計三十体ほど襲い掛かってきたのだ。
「リューシャにやってもらわなかったら、犠牲者が出てたんだということも、わかってる」
街道のど真ん中。
襲撃された際に、戦闘ができない町長や村長、そして領主の三人とその側近や世話係の守護を最優先にした結果、後衛担当の人間が無防備にさらされることとなった。
数の不利はなかったが、移動中に騎士甲冑装備をしている人間などおらず、毒の塗られた傀儡人形相手に通常ならば犠牲が出ていただろう。
ところが、今回の場合。
「束縛《Sanyama》」
というリューシャの一言で襲撃者はすべて拘束され、そしてその拘束から逃れる前に、人間の姿のままだというのに放たれたリューシャの竜の吐息で一掃された。
一方的な虐殺とでも呼ぶべき状態だった。
それならなぜ馬車が破損したかといえば、リューシャの竜の吐息に驚いた馬たちが暴走しかけた結果である。
「……レーヴェは、強くなりたい?」
「あぁ、あんだけ圧倒的なものを見せられたら、なおさらな」
町での一対多数の手合わせは武器だけだったから、リューシャの異常な強さはどこか曖昧なものに写っていた。
実際、英雄とか呼ばれてしまう連中はああいうことができてしまう。資質が必要だったり半分人間辞めなきゃいけないとはいえ、ひとまず人間の範疇でできることだ。
が、今回は違うのだ。
自嘲気味に笑うレーヴェを見つめて、リューシャはひとつうなづいた。
「それなら、強くしてあげる」
それは前夜にリューシャが心に決めていたことだった。
覚悟があるか無いかの状態で鍛錬にどれだけ耐えられるか変わってくるので、いつ切り出そうかと悩んでいたのだ。
「あなたに最初に教えるのは、竜言語による身体強化。あなたの魔力に比例して、それは効力を発揮するよ」
「魔術短縮詠唱とは、違うのか?」
「同じだけれど、ちょっとだけちがうかな。魔力を外部に放射して変化させるのと、自分自身の中で変化させるのとでは、工程の数が違うから。まずはね……」
レーヴェの手をとり、リューシャはその額を彼の額に合わせた。
ふわりと香る柔らかな香りに、レーヴェは一瞬硬直する。が、手のひらや触れ合った額から柔らかな体温とはまた別の温度を感じると、思わず目をつぶった。
そうしなければいけない気がしたのだ。
「ゆっくりでいいよ…魔力を私に合わせて。わかりにくければ、そう、呼吸を合わせるようにして……」
同調だ。とレーヴェはゆらゆらと揺れるリューシャの魔力に、自分の魔力を沿わせるようにする。
同調とは、魔術の訓練をする上で誰もが最初に覚える基礎的なものだが、リューシャはそれを利用して魔力の質を変化させていく過程をレーヴェに伝えようとしていた。
それに気がついたレーヴェは、時折大きく波打つリューシャの魔力と同じように自分の魔力を揺らす。
そして、ある特定の波動でリューシャの魔力は安定した。
レーヴェのまったく知らない、複雑なくせに柔らかな、なんとも不思議な律だった。
「これが、竜言語使用時の魔力周波。少し複雑かもしれないけれど、あなたに渡した契約石が補佐をするから」
「あぁ、大丈夫だ、覚えられると思う」
「それならよかった。そのまま。私と同じ言葉を復唱して?」
ひとつ、レーヴェはうなづく。
ひどく耳に通る声で、リューシャは言った。
「鷹の目《Hŏka nētra》」
「ホーカニトラ」
レーヴェが復唱した言葉は、リューシャと違い硬いものだった。だが、それでもリューシャに同調することで竜言語使用のための波動を宿したままの魔力は反応を返した。
レーヴェの瞳に、魔力が集中し変化を起こした。
「う、わ…っ!?」
驚き、レーヴェは眼を見開いて、そしてまた驚いた。
周囲が、よく見えるのだ。普段の視界よりもクリアに、そして遠くまで。
「これは視力の強化を表す言葉だよ。最初は負担の少ないこれから練習しよう?」
そう言って、リューシャは同調を解いた。
それから数秒して、魔力周波を維持しきれなくなったレーヴェの視界は元のものへと落ち着きを取り戻す。
「すごいな、あぁ、本当に、すごいな……」
たった一言で、人間が使用している魔術よりも効果の高い視力強化の魔法が発動した。
レーヴェも数度、任務のために視力強化呪文を使用したことがあったけれど、ここまでの効果は表れなかった。
「これなら……強く、なれるな」
ぽつりとレーヴェがつぶやく。
それにリューシャが静かに言葉を返した。
「あなたのため、私のため。理由は色々あるけれど、強くしてあげると、私は言ったよ」
だからどうか力に溺れないで。
声には出さないその言葉を読み取ったレーヴェは、浮つきかけた己を瞬時に叱咤した。
彼女は気がついていなかっただろう、だが、その表情が心配げに歪んでいたのだ。
きっと、竜の契約者の中には竜に与えられた力に酔ってしまった者もいるのだろう。
『世界接続』をしたときに、そんな人間がいたとリューシャが知っても不思議ではない。
だから、レーヴェは声には出さずに決めた。
力をきっとリューシャは与えてくれるから、それに相応しいように、自身の心も鍛えよう、と。
それはリューシャと共にある上で、必要になるから。