御伽噺の竜
たどり着いたのは、沢山の竜の骨と沢山の壊れかけの武器に囲まれた小さな洞窟だった。
どう見ても、竜が入り込めるようなサイズではない。
リューシャの背から飛び降りたレーヴェは、首をかしげた。
「…小さくないか?」
『昔、二百年くらい前の話。ここに迷い込んだ十人ばかりの騎士たちが少しの間住んでいた場所。太古から連綿と連なる祖よりの知識以外、世界を何も知らぬ私に文字を、人という存在を教えてくれた』
「まさか、“アークトゥルスの十の騎士”か!?」
『彼らはそう呼ばれていたの?』
「呼ばれていたもなにも、有名な御伽噺だ。無茶振りばかりする我侭な王の命令を受けて、十人の騎士が砂漠のドラゴンに挑んだ。だが、彼らが剣を向けた竜はとても心優しくて、逆に砂漠で死に掛けていた彼らを助けた。王の命令は絶対、けれど心優しきドラゴンを殺すこともできない。彼らは悩み、そして竜を選んだ。国に戻った騎士たちは、それぞれの得意分野を生かして、我侭な王を改心させた。以来、その国は竜を愛して、竜を尊敬する国になった」
リューシャは唖然とした。
まだ生まれて百年くらいで、体も小さかった頃。砂漠のオアシスで行き倒れていた騎士たちを拾ったのは事実だ。
そのなかの一人が女性騎士で、リューシャをひどく気に入ってくれたのだ。
初めての友人と呼べる存在だった。
まさか故郷に帰ってからそんなことをしていたとは。
『びっくりした……』
「俺も驚きだよ。あの村で聞いた話じゃ、そうとう酷い竜だと思っていたんだ。それが蓋を開ければ、御伽噺にも出てくるような竜だったなんてな」
『御伽噺にされたというのが、びっくり』
「あんたの驚きはそこか」
レーヴェは思わずツッコミを入れた。
どうやらこのドラゴンは世間知らずらしい、とガンガン更新されていく竜の情報に頭痛を覚えるようだった。
だが、本格的に夜の帳が降りはじめ寒さが本格的になってきたと感じたので、洞窟に入ってもいいかと問いかけた。
頷くリューシャ。
『案内する』
そう言って、リューシャは仄かな古薔薇色の光を纏わせた後、光の球体に、そして光が消えたところには一人の少女がいた。
年のころは十五歳か少し上くらいか。
鱗と同じ古薔薇色の髪をハーフアップに纏め、レーヴェを見上げる瞳は黄昏色。
纏う服装は、赤鋼色のローブとワンピース。
少し古めかしい文様が、いかにも世間知らずというか俗世から切り離されて生きてきたというのを感じさせる。
「これなら、入れる」
「……人の姿を模せるのか。というかやはり女だったのか」
「姿は作られたもの、性別も一族がいない以上あまり役に立たない。気にすることはないよ」
すたすたと洞窟の中に入るリューシャ。
レーヴェはあわててその後を追った。
洞窟の中に入れば、暖かな空気が流れる。壁を見ると掘り込まれた文様魔法。
空調のすべてをこれで管理しているのだろう。
洞窟の最奥には、一枚の毛足の長い絨毯。それと、いくつかのクッション。
「生贄の輿からかっぱらったのか?」
「そう。生贄になってしまった人たちは、ここで体を休めてから街に続く地下道を教えて逃がした。そこからどう生きていくかは、自由」
「そうか、道理で村の経由地点だった西の町が、ドラゴン討伐に反対だったわけだ」
レーヴェが村から要請を受け、他の騎士のメンバーと共にドラゴンの情報を求める際に邪魔をしてきた町があった。
国への公式な依頼で、しかも竜の骨という高ランク素材がごろごろあるという情報に、確認だけでも、と派遣されていたレーヴェの所属する騎士師団は、その表立ってはいないが結構邪魔だったその妨害に手を焼いたのだ。
「これは、事情を聞いて原因を探ったほうがよさそうだな。証人がいれば早いんだが…」
「……もう、あなたは私を殺す気が無い?」
唸るように事実と村からの依頼との差と町の対応を考えていたレーヴェに、リューシャは声をかけた。
その言葉の内容に、レーヴェは即座に彼女に向かって土下座を敢行した。
「どうしたの?」
「村の依頼、騎士としての役割であったとはいえ、唯一たる砂漠の薔薇の竜には申し訳ない事をしました。まして、契約を強引に結ばせるなどの所業、本来ならば我が首をもってしても償いきれぬ行いです。大変申し訳ございません」
「……村に勘違いされる原因を作ったのは、私。正さずにきたのも、私。悪しき竜は狩られるもの。それは世界の理」
「ですが、それでは…」
「なら、最初の通り私の願いを叶えて。村の人々の誤解を解いてくれれば、それでいい」
リューシャにとって、それだけでいいのだ。
あとは、自分は今までどおり長い時間を一人、時折訪れる人間と言葉を交わしながら世界に還るその日まで生き続けるだけだ。
それを伝えれば、眼前の騎士は困ったように固まった。
「何か、問題でも?」
「そうですね、まずは村の生贄の誤解からなのですが」
「敬語は要らない」
「…………」
リューシャの言葉に一瞬黙り込んだものの、レーヴェはいまさらか、と腹をくくって普段の通りに話し出した。
「まず、生贄の誤解からだ。百年にも渡った思い込みはそう簡単には消えない。しばらくの間、逆恨みで襲い掛かる者から隠れないとならない。二つ目に、国への事情説明。生贄を黙認してきたこの自治領も当然のことだが、逃がされた生贄たちを匿ってそのまま何の事情説明もしなかった町の連中も国への報告義務を怠ったとして代表者だけだろうが呼び出される」
「国というのは、そうしていくつもの律を経て成り立つもの。それは必然」
「そして、竜が無害であるという証明のために、その、あんたを、だな……」
ひどく歯切れの悪くなった最後のあたりの言葉に、リューシャは思考をめぐらせる。
答えは簡単だった。
この場所にとどまる事はできないという事実だ。
逃げ出せた生贄たちがどんなに竜を援護しても、村から見れば信じられぬわけで、そしてそれは争いになる。どちらが正しいのか、証明させるには竜本人を引っ張り出すのが一番なのである。
事実であろうと無かろうと、竜殺しの力を秘めた武器を持って騎士たちがこの場所にやってくるのは確定しているのだ。
「私もあなたと一緒に赴けばいい。それだけ」
「いいのか?正直、あまり良い扱いはされないと……」
「契約石。あなたと私の間には、虚言は存在しえない。それは私にとって大きなアドバンテージ。あなたが、私に対してひどい扱いをしたい、というのなら話は変わってくるけれど」
「それはない!俺はアークトゥルスの御伽噺に憧れて、騎士になった。だから人を喰うという竜を許せなかったんだが、あんたは違う!むしろ俺が憧れた竜そのものじゃないか。俺があんたに害をなすことはこれからは一切無い!!」
レーヴェはリューシャの肩を掴んでそう叫んだ。
あまりの勢いに、リューシャは少々押されぎみである。それに数秒たってから気がついたレーヴェは、思わず絨毯の上に蹲った。畜生滅茶苦茶恥ずかしい。
「ならかまわないと私は思う」
「いいのか、リュー、シャ」
「閉じ篭るばかりが生ではないから。私も、話に聞くだけではなく人を知りたい。私は私の命を最優先にするけれど、それでも人よりは頑丈だから、少しくらいなら良いかもしれないと思ったんだよ。それに世界がそれを後押ししている」
「世界??」
「体が滅びれば魂は世界に還る。世界と交じり合った魂たちは成長を好み、その後押しをする。私の背を押すのは、遠い昔に世界に還った同胞たちの魂」
「つまり、ご先祖様があんたがここを出て行くのに賛成している、と解釈していいのか?」
「大まかには」
竜の感覚は飛びぬけていると聞いていたが、ここまでとは。
レーヴェはくらくらしながらその言葉を聴いた。
そして夜も深ける頃まで、リューシャとレーヴェは話し続ける。
そこには、出会った当初の殺伐とした雰囲気は皆無だった。