冷酷な王子の心の声が「婚約者かわいい」しか言っていません
第一王子クラウスは、氷でできている。
少なくとも、社交界ではそう評されていた。
笑わない。慌てない。無駄なことを言わない。
婚約者であるリリアナが新しいドレスを着てきても、青い瞳をわずかに動かし、こう言うだけだ。
「悪くない」
王宮の昼食会へ向かう回廊で、リリアナは小さく息を吐いた。
今日のドレスは、薄紫色だった。
クラウスの瞳と並んだときに美しく見えるよう、三度も仕立て直したものだ。髪飾りにも同じ色の宝石を選び、朝から侍女のミアと散々悩んだ。
それに対する感想が「悪くない」の一言。
「ありがとうございます」
リリアナも王太子妃候補として、完璧な微笑を返した。
その瞬間だった。
『悪いはずがない。似合いすぎている』
どこからか、クラウスの声が聞こえた。
『薄紫にして正解だった。昨日の私よ、よく決断した。髪飾りもいい。だが、かわいすぎて皆に見られるのは困る。いや、見られないのも困る。彼女が努力したのだから褒められるべきだ。しかし私以外が褒めるのは、少し腹立たしい』
リリアナは足を止めた。
前を歩いていたクラウスも振り返る。
「どうした」
『まさか体調が悪いのか。顔色は。呼吸は。転ばないよう手を貸すべきか。だが急に触れたら嫌がられるかもしれない』
「い、いえ。何でもありません」
「そうか」
『何でもないならよかった。驚いた顔もかわいいが、心臓に悪い』
クラウスの唇は動いていない。
回廊には二人と、少し離れて歩く侍従しかいない。
リリアナは胸元へ手を当てた。今朝、王妃から贈られた銀の耳飾りが、かすかに温かい。
まさか。
リリアナは試しに、クラウスへ一歩近づいた。
「殿下。こちらの髪飾りはいかがでしょう」
クラウスは一秒だけ髪飾りを見た。
「ドレスに合っている」
『髪もきれいだ。朝から結ったのだろうか。首元に一筋だけ残っている髪もいい。直してあげたい。しかし触れたら警備上の問題ではなく私の理性に問題が生じる』
リリアナは確信した。
婚約者の心の声が聞こえている。
しかも、思っていたよりずっとうるさかった。
◇
その日の昼食会で、クラウスが口にした言葉は合計十四。
対して、心の中でリリアナを褒めた回数は三十七回だった。
「魚料理を」
『彼女は白身魚が好きだ。骨は完全に取らせたか。料理長へ確認したが、もう一度確かめたい』
「窓を閉めろ」
『風で彼女の髪が乱れている。乱れていてもかわいいが、寒そうだ』
「その菓子は甘いぞ」
『口に合うだろうか。頬が少し緩んだ。気に入ったらしい。もう一つ勧めたい。だが食べる量を監視していると思われてはいけない』
リリアナは菓子を一つ追加で取った。
『二つ目!』
喜び方が、初めて歩いた子供を見守る父親のようだった。
隣席の第二王子フェリクスが、朗らかに笑う。
「義姉上、その菓子がお好きなのですね。厨房へ頼めば、持ち帰り用も用意できますよ」
「まあ、ありがとうございます」
リリアナが笑いかけると、クラウスは無表情のまま水を飲んだ。
『フェリクスは気が利く。私も先に言えばよかった。なぜ私は菓子一つ勧められないのだ。次は言う。絶対に言う』
「リリアナ」
「はい」
「必要なら、用意させる」
『言えた』
リリアナは思わず笑った。
クラウスの指が止まる。
『笑った。私に向かって笑った。今日は記念日にしてもよいのではないか』
「では、お願いいたします」
「ああ」
『もう一度笑った』
世間では冷酷と恐れられる第一王子が、菓子を持ち帰る約束だけで心の中に祝祭を開いている。
リリアナは今まで、彼を誤解していたのかもしれない。
◇
「殿下の心の声が聞こえるようになったの」
自室へ戻るなり打ち明けると、侍女のミアは黙って茶を注いだ。
「信じていないでしょう」
「内容によります」
「私のドレスが似合いすぎて困る、と」
「殿下が?」
「菓子を二つ食べたら、ずいぶん喜んでいたわ」
「殿下が?」
「フェリクス殿下が気を利かせたので、先を越されたと落ち込んでいた」
「本当に殿下ですか?」
ミアは疑わしそうに耳飾りを調べた。
王家の紋章が刻まれた古い品だ。王妃は「将来の王太子妃を守るもの」とだけ説明していた。
「呪われてはいないようです」
「当然でしょう。王妃様からの贈り物よ」
「王家の品だから安全とは限りません」
もっともな意見だった。
「明日も聞こえるか、確かめてみるわ」
「聞こえたとして、どうなさるのです?」
リリアナは少し考えた。
政略上の婚約とはいえ、クラウスと婚約して八年になる。
彼が自分へ好意を持っているとは、一度も考えたことがなかった。
嫌われてはいない。しかし大切にもされていない。
そう思っていた。
「まずは、殿下が一日に何回『かわいい』と思うのか数えてみます」
「そこからですか」
◇
翌日、リリアナは王宮図書室でクラウスと会った。
試しに、いつもより隣へ近く座る。
クラウスは書類から顔を上げた。
「何か必要か」
『近い』
「いいえ。こちらの方が、同じ資料を見やすいかと思いまして」
「そうか」
『近い。髪から花の香りがする。今日はどの香油だ。聞きたい。いや、気味悪がられる』
リリアナはさらに少しだけ近づいた。
クラウスの背筋が固まる。
『肩が触れそうだ。落ち着け。私は第一王子だ。国境紛争の調停もした。婚約者が近くに座った程度で動揺してどうする』
「殿下」
「何だ」
「次の舞踏会、最初の曲を私と踊っていただけますか?」
「もちろんだ」
『誘われた。彼女から。私が。最初の曲を』
それきり心の声が途切れた。
リリアナが横を見ると、クラウスは書類を逆さまに持っていた。
「殿下。そちらは上下が逆です」
「知っている」
『知らなかった』
リリアナは口元を手で隠した。
「笑ったな」
「いいえ」
『笑っている。かわいい。私の失敗で笑われるのは複雑だが、かわいいのでよい』
それから、二人の間には小さな変化が増えた。
リリアナはクラウスへ自分から話しかけるようになった。
クラウスが差し出す手を、ためらわず取るようになった。
彼が不器用な気遣いを見せれば、きちんと喜ぶようにした。
そのたび、クラウスの心は騒がしくなった。
『今日は三回も話しかけられた。何か頼み事があるのだろうか』
『手を取ってくれた。手袋を新しくしておいてよかった』
『最近、よく笑ってくれる。体調が悪く、私に最後の思い出を与えようとしている可能性はないだろうか』
最後の心配だけは余計だった。
「殿下。私は健康です」
「急にどうした」
『なぜ分かった』
「お顔に書いてありました」
「そうか」
『今後は表情を引き締めなければ』
すでに十分引き締まっていた。
◇
変化が起きたのは、春の祝宴だった。
会場には王国中の貴族が集まり、音楽と笑い声が満ちていた。
リリアナの前へ、給仕が赤い果実水を置く。
杯へ手を伸ばした瞬間、クラウスが彼女の手首をつかんだ。
「飲むな」
低い声だった。
彼は杯を取り上げ、銀の小匙を浸した。匙の先が黒く変色する。
毒。
周囲がどよめいた。
「誰も動くな。出入口を閉鎖しろ」
クラウスの命令で、衛兵が扉を封鎖する。
リリアナは彼の横顔を見た。
いつもなら聞こえるはずだった。
無事か。
怖かっただろう。
手首を強くつかみすぎていないか。
そんな、過剰なほどの心配が。
しかし何も聞こえない。
耳飾りが冷たい。
「殿下?」
「医師の診察を受けろ」
クラウスは杯を布で包み、衛兵へ渡した。
無音のまま、給仕を拘束し、厨房の封鎖を命じ、リリアナを別室へ移す。
その顔はいつも以上に冷たかった。
まるで、最初から毒が入ることを知っていたように。
医師がリリアナの無事を確認し、部屋から退出する。
二人きりになると、クラウスは窓辺に立った。
「今日はもう帰れ」
その瞬間、声が戻った。
『本当はそばにいたい。だが、私の近くが最も危険かもしれない』
「殿下は?」
「処理がある」
『怖かっただろう。無事でよかった。本当に、よかった』
リリアナは自分の耳飾りへ触れた。
先ほどの沈黙は、魔道具の故障ではない。
クラウスが毒に関する処理を終えた途端、心の声は戻った。
「私に、何か隠していらっしゃいますか」
クラウスは一瞬だけ目を見開いた。
「何も」
『隠している。だが言えない』
今度は聞こえた。
嘘をつくと聞こえなくなるわけではない。
では、何に対して沈黙したのか。
◇
三日後、リリアナの護衛を減らす命令書が見つかった。
第一王子の署名と印章があり、祝宴の一時間前だけ護衛配置を変更する内容だった。
騎士団長がクラウスへ命令書を渡す。
彼が紙に触れた瞬間、また心が消えた。
「これは私の署名ではない」
クラウスは命令書を灯火へかざした。
紙の繊維が光り、透かし模様が浮かぶ。
「だが印章は本物だ。使用記録を調べろ」
無音。
彼は命令書を暖炉へ入れた。
「お待ちください!」
リリアナが止めるより早く、紙が炎に包まれる。
「なぜ、証拠を燃やすのですか」
「必要なものは取った」
クラウスの指には、紙から外した針ほどの金属片があった。
彼はそれを胸元へ隠す。
「これ以上は私が調べる。君は関わるな」
『怒った顔もかわいい、などと思っている場合ではない。嫌われても遠ざけなければ』
心の声は戻っている。
必要なものとは何なのか。
なぜ、それを説明できないのか。
「承知しました」
リリアナは答えた。
もちろん、関わらないつもりはなかった。
◇
その夜、リリアナはクラウスを尾行した。
「王太子妃候補のなさることではありません」
黒い外套をかぶせながら、ミアが言った。
「未来の夫が反逆者かもしれないのよ」
「ならば、なおさら騎士へお任せください」
「騎士の命令書が偽造されているのに?」
ミアは反論できなかった。
二人は王宮西棟の回廊を進み、使われていない礼拝室の裏へ隠れた。
ほどなく、クラウスが現れる。
向かいに立っていたのは、第二王子フェリクスだった。
いつもの親しげな笑顔はない。
「次は失敗しないでください、兄上」
「分かっている」
クラウスの心は聞こえない。
「義姉上も、そろそろ疑い始めるころです」
「あれは私が遠ざける」
「兄上にできますか? ずいぶん大切になさっているようですが」
「計画には関係ない」
無音。
リリアナの胸が冷えた。
フェリクスは何かをクラウスへ渡した。
黒い封筒。その封蝋には、王家の反逆者を示す逆さの獅子が刻まれている。
「地下礼拝堂で、お待ちしています」
フェリクスが去る。
クラウスは一人になった後も、微動だにしなかった。
やがて小さく息を吐く。
『リリアナに会いたい』
心の声が戻った。
『だが会えば、離れがたくなる。明日、婚約を解消しよう』
リリアナは思わず物陰から出そうになり、ミアに口を塞がれた。
「今は駄目です」
耳元で囁かれる。
クラウスはリリアナを愛している。
それは疑いようがない。
同時に、何らかの反逆計画へ加わっている。
それも疑いようがなかった。
◇
翌朝、クラウスは本当に婚約解消を告げた。
「北部のハーシェル領へ戻れ。国王陛下には私から説明する」
執務室には二人しかいない。
「理由をお聞きしても?」
「政務上の判断だ」
『これでいい。嫌われれば離れてくれる。生きていてくれれば、それでいい』
「私に愛想を尽かしたのですか」
「そう思ってくれて構わない」
『構う。まったく構わなくない。だが、そう思ってくれ』
リリアナは彼の前へ一枚の紙を置いた。
心の声が消えた場面を書き出したものだ。
毒杯。
偽の護衛命令。
第二王子との密会。
逆さの獅子の封蝋。
地下礼拝堂。
クラウスの表情が変わった。
「なぜ、これを」
「殿下。王家の配偶者を守る耳飾りには、どのような力がありますか」
彼の視線が銀の耳飾りへ移る。
「強い感情の一部を伝える、と聞いている」
「私には、殿下の心の声が聞こえます」
クラウスが固まった。
『いつからだ』
「薄紫のドレスをお褒めくださった日からです」
『どこまで聞いた』
「昨日の自分を褒めていらしたところも」
『忘れてほしい』
「無理です」
クラウスは片手で顔を覆った。
「それで、私が反逆に加わったと考えたのか」
「いいえ。最初はそう考えました」
リリアナは王宮図書館から借りた古い契約書を開いた。
「王家への反逆へ加わった王族は、計画に関する思考と権限を神器から遮断される。これは、初代国王が定めた契約ですね」
「ああ」
「殿下の心は、嘘をついたときには消えません。反逆計画へ直接触れたときだけ沈黙する。つまり殿下は、形式上その計画に加わっている」
クラウスは答えない。
「首謀者ですか」
「違う」
「では、潜入なさっているのですね」
長い沈黙の後、クラウスはうなずいた。
◇
フェリクスの目的は、地下礼拝堂に残された王位継承の契約を書き換えることだった。
契約へ第一王子を反逆者として登録すれば、クラウスは王族の権限を失う。
必要なのは、クラウスの魔力、王族印、反逆への同意、そして公爵家の証言者。
「私が、最後の証人ということですね」
「だから遠ざけたかった」
「最初から教えてくだされば」
「契約は、計画を漏らした者も反逆者として登録する。君に話せば、君まで巻き込まれる」
「すでに巻き込まれています」
「今からでも領地へ戻れ」
「お断りします」
「リリアナ」
「殿下は、私に信じてほしいですか?」
クラウスの心には、不安と願いがあふれているはずだった。
しかし今、リリアナは耳飾りへ意識を向けなかった。
彼の口から出る言葉を待った。
「信じてほしい」
クラウスはまっすぐ彼女を見た。
「だが、信じろとは言えない」
「なら、私が自分で決めます」
リリアナは彼の手を取った。
「私は殿下を信じます。そして、証人として地下礼拝堂へ参ります」
「危険だ」
「知っています」
「毒が使われるかもしれない」
「飲み物は持参します」
「契約術式が暴走する可能性もある」
「耳飾りは王族の配偶者を守るのでしょう?」
「まだ配偶者ではない」
「では、早めに結婚なさいます?」
クラウスの思考が完全に止まった。
「冗談です」
『冗談か』
ひどく残念そうだった。
◇
地下礼拝堂には、初代国王の石像と巨大な契約陣が残されていた。
床を埋める銀の線。その中心で、フェリクスが待っている。
周囲には彼の支持者である貴族と、買収された神官たちが立っていた。
「義姉上までお越しになるとは」
フェリクスが笑う。
「兄上。随分と素直に証人を連れてきてくださいましたね」
「約束どおりだ」
クラウスの心は無音だった。
彼は王族印を契約陣へ置く。
床の銀線が青白く光り、クラウスの足元へ伸びた。
フェリクスが宣言する。
「第一王子クラウスは、現王家を覆す計画へ同意した。王家の契約に従い、継承権の停止を求める」
神官たちが復唱する。
光がクラウスを囲んだ。
「証人、リリアナ・ハーシェル。あなたが見聞きした真実を述べてください」
フェリクスの声は自信に満ちていた。
リリアナは耳飾りへ触れる。
それでもクラウスの心は聞こえない。
代わりに、別の声が流れ込んできた。
『これで兄上は終わりだ』
フェリクスの声だった。
『婚約者自らが最後の証人になる。兄上が大切にした女の言葉で、すべてを奪われる。王冠も、父上の期待も、この国も、ようやく私のものになる』
耳飾りが熱を帯びる。
強い感情をリリアナへ向けている王族の心を拾う魔道具。
フェリクスは勝利を確信した瞬間、自分の心を彼女へ開いてしまった。
「証言いたします」
リリアナは契約陣の中央へ進んだ。
「反逆を計画し、国王を陥れようとした人物を、私は知っています」
フェリクスが笑みを深める。
「その人物は、第一王子クラウス殿下ではありません」
笑みが消えた。
「第二王子フェリクス殿下です」
「何を根拠に!」
「王家の耳飾りが、あなたの心を伝えました」
銀の線が震えた。
契約陣は証言の真偽を確認するため、リリアナの耳飾りへ接続する。
フェリクスの思考が、礼拝堂全体へ響いた。
『なぜだ。なぜ私の声が。止まれ。黙れ!』
神官たちがざわめく。
クラウスは懐から小さな金属片を取り出し、契約陣へ投げた。
偽の護衛命令書から抜き取ったものだ。
金属片から黒い線が伸び、フェリクスの足元へつながる。
「偽命令書に仕込まれていた契約端子だ」
クラウスの声が礼拝堂へ響く。
「毒杯、護衛の変更、偽造印章。そのすべてが、この術式へ魔力を送っていた。接続先はフェリクス、お前だ」
契約陣の光が向きを変えた。
クラウスを囲んでいた線がほどけ、フェリクスを縛る。
「違う! 私は王国のために!」
『兄上より私の方が王にふさわしい。皆もそう言った。私は選ばれるべきだった!』
口の言葉と心の言葉が、同時に礼拝堂へ響く。
契約陣は迷わなかった。
《反逆意思を確認。第二王子フェリクスの王族権限を停止する》
青白い光が弾け、フェリクスの胸元から王家の紋章が消えた。
◇
フェリクスは王位継承権を失い、北方の行政区へ送られることになった。
処刑や幽閉ではない。
兄と比べる者のいない土地で、一人の行政官として働き直す。
彼を持ち上げ、陰謀へ加わった貴族たちは、それぞれ裁きを受けた。
事件から三日後。
リリアナは王宮庭園でクラウスと向かい合っていた。
「改めて確認する」
クラウスの表情は、いつも以上に硬い。
「私の心の声が、聞こえていたのか」
「はい」
「すべて?」
「私へ強く向けられたものだけだと思います」
「いつから」
「薄紫のドレスの日からです」
「菓子の件も?」
「二つ目を食べたとき、たいそうお喜びでしたね」
「舞踏会に誘われたときも?」
「国の祝日にできないかと」
クラウスは両手で顔を覆った。
『消えたい』
「それも聞こえています」
「今のもか」
「はい」
しばらくして、クラウスは観念したように手を下ろした。
「忘れてくれ」
「嫌です」
「なぜ」
「うれしかったからです」
クラウスが目を見開く。
「私はずっと、殿下に政略上必要なだけだと思っていました。心の声に安心させられたのです」
「そうか」
『喜んでいいのか。いや、勝手に聞かれていたのだから苦情を言うべきでは。だが、うれしかったと言われた。かわいい』
「ただし、今後は心の中だけで済ませないでください」
「努力する」
「では、何かおっしゃってみてください」
クラウスは黙った。
『何を言えばいい。かわいいでは短すぎる。美しいは他人行儀か。愛しているは急すぎるだろうか。婚約者へ言うのだから急ではない。しかし場所が庭園でいいのか。もっと正式な場を』
「長いです」
「まだ何も言っていない」
「心の中が長いのです」
クラウスは小さく息を吸った。
「君が、かわいいと思っている」
「存じています」
「いつも隣にいてほしい」
「はい」
「君が隣にいてくれて、うれしい」
不器用で、短い言葉だった。
けれどリリアナには、それで十分だった。
「私もです」
彼女が笑うと、クラウスの表情もわずかに緩んだ。
『笑った。かわいい。やはりかわいい。今の言葉でよかっただろうか。もう一度言うべきか。しつこいと思われるかもしれない。だが私もです、と言った。これはつまり』
「殿下」
「何だ」
「少し静かにしていただけます?」
「私は何も言っていない」
リリアナは声を立てて笑った。
冷酷な王子の心は、今日も少しもうるさかった。
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