表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

一話

 こんばんは。


 久しぶりに、こちらでエッセイ(らしきもの)を書きたくなりまして。今回は古代から江戸時代に至るまでの皇女達について、進めていきたいと思います。以前にも、斎宮についてエッセイを上げた事がありました。

 とりあえず、この回では斎宮だけではない皇女達の恋愛事情などに触れていきます。お付き合い頂けると有り難いですね。


 まず、古墳時代〜奈良時代辺りまでは非常に大らかな感じでした。皇女もとい、姫御子(ひめみこ)であっても両親などの許可があったら、恋や結婚は許されていたんですね。ただ、先述の斎宮などの立場だと絶対に恋や結婚は禁止でしたが。それが変わり出したのは奈良時代の終わり頃です。実は奈良時代までは異母、または異父兄弟同士でも普通に恋愛関係になり、結婚が出来ていました。けれど、平安時代の初めぐらいになると。あくまで母親や父親のどちらかが違っても、兄弟に変わりはないと言う考え方に変化していきます。そのため、異母、異父兄弟同士の恋や結婚は忌避する傾向になっていったのでした。


 もちろん、斎宮や斎院に選ばれた皇女や女王と呼ばれた姫君達に関する見方なども変わっていきます。姫君達は退下して都に戻っても独身である事を求められるようになりました。

 だから、大体はある程度の年齢になると出家する例が多かったと言われています。これは斎宮などにならなかった姫君達にも共通していますね。実は奈良時代以降、皇女の身分ともなると朝廷の財産の分散や血筋の正統性を保つと言う理由のために恋や結婚はタブーだと見做されるようになったのです。一つ、例を出すとしたら。

 架空ではあるけど、宇治十帖編で登場する匂宮の姉、女一宮と言う女性がいました。主人公の薫は一宮に片思いをしていたけど。決して、恋のアプローチも結婚も出来ない本当の高嶺の花と言える存在でした。要は皇女の場合、身分や血筋が高貴であればある程に恋や結婚はタブー視され、生涯を独身で終えるのが通例になっていたと言えます。これは江戸時代まで生き続けていました。

 まあ、明治時代から、やっと考え方などが変わっていき、自由恋愛や結婚も普通になってはいきましたが。ちなみに、皇家は古代だと親族同士での結婚が多かった事実があります。何故か?

 一つ理由をあげるとしたら、身分が高貴な人同士でないと血統の正統性が保てないと言う考え方が日本には根強かったからですね。だから、叔父と姪、叔母と甥などでの結婚が多かったと言えます。けれど、近親婚を繰り返すと弊害は確実にありました。


 まずは虚弱体質やハンデを持って生まれる子供が多かったり、不妊体質で悩む人が多かったりした事は史実から伺えます。奈良時代までは子供を生んだ皇女達は一定数いました。なのに、それ以降は子宝に恵まれず、生涯を終える例が大多数になったのです。個人的に「やはりな」と思いました。中には子を生み、育て上げた人もいますが。ごく少数です。ちなみに、宮家の姫達は皇女達よりはまだ、自由さがありました。恋や結婚は許されていたんですが。

 それでも、経済面などが原因で正妻格として扱われる姫は少数だったような印象を受けます。なかなかにままならないなと感じましたね。


 ではこれくらいで終わりにしたいと思います。失礼します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ