ヒドロセイロウ(二)
──七月某日。
駅が近い大通りの喫茶店で、私はAさんと待ち合わせをした。
「遅くなってしまってすみません」
そう謝りながら私の正面に座ったが、彼女がやって来たのは予定時刻の十分前。遅刻どころか全然早い。
Aさんはアイスカフェオレを注文した。無表情かつ冷たい雰囲気に反して、どうやら甘いものが好きらしい。
「最近暑いですよね…。当たり前に四十度越えですし、そのうち五十度越えて、人類滅亡してしまうかもしれませんね」
私は冗談を言って場を和ませようとしたが、Aさんの表情は変わらない。余計に気まずくなってしまった。
「ワタシを呼び出したということは、アナタは決意を固められたのですね」
「……はい」
もう揺るがない。もう迷わない。誰に何と言われようと絶対に。
私の返事を聞いたAさんは、持ってきた鞄から書類と小さな巾着袋を取り出し、机に置いた。
「こちらの書類は先日お話しした手順についての詳細を書き起こしたもの。本来ならこちらでより簡略化するべきでしょうが、聡明なアナタならその心配も不要と判断しました」
「この巾着には、書類に記載した『道具』が入っています。そうそう壊れる代物ではありませんが、取り扱いにはご注意を」
書類と巾着袋を受け取る手が震え、冷や汗が背中を伝う。もう後戻りしないと決めたはずなのに、身体は恐怖を訴えてくる。
Aさんはそんな私の様子などお構いなしに淡々と説明を続けた。
「これらは誰にも見つからない、または誰の手も届かない場所への保管を。万が一見つかれば」
──アナタは命だけでなく、人間としての尊厳、権利すら失うでしょう。
「……怖いこと言わないでくださいよ」
「事実、消息を掴めない者もいますので」
手慣れた様子からある程度予想はしていたが、やはり私以外にも挑戦者はいたようだ。──彼らは一体どうなったのだろうか。成功したのか、それとも。
アイスカフェオレを飲み終えると、Aさんは喫茶店を後にした。
「アナタの分もお支払いしておいたので」
向かいには空いた椅子と、氷だけが残ったグラス。
彼女が去ってしばらく経った頃、私はようやく自分の飲み物に口をつけた。




