魔王城、違法建築につき強制代執行で解体します
天を衝くようにそびえ立つ、漆黒の尖塔。
禍々しい瘴気を纏うその巨大な城は、人類の絶望の象徴であり、魔界の支配者たる魔王の居城であった。
「はぁっ……はぁっ……! ついに、ここまで来たぞ……!」
魔王城の巨大な正門前。
血と泥にまみれ、満身創痍で膝をつきながらも、勇者アレンは伝説の聖剣を杖代わりにして立ち上がった。
彼の後ろには、魔力切れ寸前の大魔導師や、神聖力を使い果たした聖女が荒い息を吐いている。
ここまで来るのに、どれほどの犠牲を払ったことか。
三日三晩に及ぶ四天王との死闘。毒の沼地を越え、幻惑の森を抜け、ついに人類の悲願である魔王討伐の最終局面に辿り着いたのだ。
「開け、魔王城の扉よ! この勇者アレンが、貴様の野望を――」
「あー、ごめん。そこ、測量の邪魔になるからちょっとどいてくれる?」
勇者の歴史的な口上は、全く空気を読まない気の抜けた女の声によって遮られた。
「……は?」
アレンが間抜けな声を上げて振り返ると、そこには異様な出で立ちの人物が立っていた。
王宮の文官が着るようなカチッとした制服の上に、なぜか鮮やかな黄色の『反射チョッキ』を羽織り、頭には『安全第一』と書かれた白いヘルメットを被っている若い女。
彼女の背後には、同じようにヘルメットを被り、測量用のポールや謎の魔導具を持った作業員風の男たちが十数人控えていた。
「えっと……君たち、誰? なんでこんな魔界の最深部に一般人が……?」
「一般人じゃありません。王国国土交通省・都市計画局、建築指導課のミヤコです。本日は公務で参りました」
ミヤコと名乗った女――私は、バインダーに挟んだ図面と睨めっこしながら、魔王城の巨大な門を見上げた。
「それにしても、酷い違法建築ね。勇者さん、この正門の高さ、目視でどれくらいあると思う?」
「え? い、五十メートルくらいはあるんじゃないか……?」
「でしょ? 王国建築基準法では、この地域の用途指定は『第一種低層住居専用地域』に該当するの。建物の高さは絶対に十メートル以下に抑えなきゃいけないのよ。五十メートルなんてもってのほか。完全に日照権の侵害だし、容積率も建ぺい率もフルシカトね」
「ようせき……なんだって?」
「しかも、見てよあの外壁」
私は勇者の言葉を無視して、魔王城の禍々しい黒曜石の外壁を指差した。
「トゲトゲしてて威圧感があるのは百歩譲ってデザインの自由だとしても、あんな鋭利な装飾が落下したらどうするの? 建築基準法第39条『災害危険区域』における安全対策基準を全く満たしていないわ。それに避難経路の表示もないし、防火管理者の選任届も出ていない。極めつけは、着工前に必須である『建築確認申請』がうちの役所に一枚も提出されていないのよ」
私はバインダーをバンッと叩いた。
「無許可でこんな巨大な欠陥住宅を建てるなんて、行政を舐めるのもいい加減にしてほしいわ!」
私は前世、日本の市役所で建築指導課の公務員として働いていた。
違法建築の取り締まりや、クレーマー気質の悪徳業者との終わりのない折衝に明け暮れ、過労死してこの世界に転生した。
魔法と剣のファンタジー世界とはいえ、人が生き、生活する以上、そこには必ず『都市計画』と『建築基準』が必要になる。私は転生後もその知識と執念を買われ、王国の建築指導課のトップに上り詰めていた。
「お、おいあんた! 正気か!? ここは魔王城だぞ! 人間の法律なんて通用するわけが――」
「法律は絶対よ。人間だろうが魔族だろうが、この王国の領土内に無断で建物を建てるなら、等しく法を遵守する義務があるわ」
私が勇者をピシャリと跳ね除けたその時。
ギギギギギ……と重苦しい音を立てて、魔王城の五十メートルある正門が内側から開いた。
『何事かと思えば、人間の勇者一行か。それに……なんだ、その妙な格好の輩は』
門の中から現れたのは、漆黒の甲冑に身を包み、身の丈の倍はある巨大な大剣を軽々と担いだ魔族の巨漢だった。
全身から立ち上るすさまじい殺気と魔力に、勇者一行が「ひっ……!」と身構える。
「出たな、魔王軍四天王の一角、『暗黒騎士』ガルド……! 気をつけろあんたたち、奴の一撃は山をも両断する――」
「ちょっとあなた」
私は勇者の制止を無視して、暗黒騎士ガルドの目の前までズカズカと歩み寄った。
「あなた、この建物の所有者? それとも施工業者?」
『……は? 何を狂ったことを言っている、小娘。我は魔王様に仕えし――』
「責任者じゃないなら、今すぐ建物のオーナー(魔王)を呼んできなさい。これ、今までに三回も内容証明郵便で送った『是正勧告書』なんだけど、全く返答がないのよね」
私はバインダーから取り出した厳々しい公文書を、ガルドの分厚い胸当てにバシッと押し付けた。
「行政指導を無視し続けた結果、本件はすでに『建築基準法違反による強制代執行』のフェーズに移行しているわ。今日、この場をもって、この違法建築物(魔王城)は我が国土交通省の権限において強制的に解体処分とさせていただきます」
『……きょ、強制代執行……? 解体だと……?』
暗黒騎士ガルドは、押し付けられた公文書と私の顔を交互に見比べ、完全に思考がフリーズしていた。
無理もない。勇者が剣を交えて魔王城を陥落させるのがこの世界の常識だ。だが、私はそんな野蛮で非効率なことはしない。
「ええ。行政のパワーを舐めないでよね」
私はヘルメットの顎紐を締め直し、背後に控える作業員たちに向かって右手を高く突き上げた。
「重機部隊、前へ! 対象は魔王城正門および外壁! 周辺の安全確認ヨシ! 徹底的にやっちゃいなさい!」
「「「おうっ!!」」」
作業員たちの威勢の良い掛け声とともに、ズシン、ズシンと大地を揺らす重低音が響き渡った。
勇者と暗黒騎士が呆然と見上げる先。
森の木々を薙ぎ倒して現れたのは、王国の最新魔導技術と私の前世の知識が融合して生み出された、超弩級の『土木作業用ゴーレム(通称:魔導パワーショベル)』の編隊だった。
地響きとともに現れたのは、全高十五メートルに及ぶ三体の魔導ゴーレムだった。
通常のゴーレムが岩や土の塊であるのに対し、この『土木用改・魔導パワーショベル』は、ミスリル合金で補強された強靭なアームと、鋼鉄を豆腐のように切り裂く油圧式(魔力圧式)の巨大なハサミ――クラッシャーを備えている。
作業員たちが「オーライ、オーライ!」と手旗を振ると、ゴーレムは精密な動きで魔王城の正門にその巨大なハサミをかけた。
『な、ななな、何をする貴様らぁぁぁっ! 止めろ、止めぬか!』
暗黒騎士ガルドが、愛剣を振り回して叫ぶ。
彼は魔界最強を誇る騎士の一人だ。その一振りで城壁すら砕くはずの剛腕が、聖剣でも傷つかないはずの大剣を、魔導パワーショベルのバケットに向かって叩きつけた。
ガギィィィィンッ!
凄まじい火花が散り、衝撃波が周囲の勇者一行を吹き飛ばす。しかし、魔導パワーショベルのバケットには、傷一つ付いていなかった。
「無駄よ。そのゴーレムの外装は、王宮の錬金術師たちが三日三晩かけて配合した『対物理・対魔法高耐久特殊合金』……通称、公共工事用グレード。四天王の攻撃程度でへこむような柔な設計はしていないわ」
私はバインダーを抱え直し、冷淡に告げた。
「ガルドさん。あなたのその妨害行為は、刑法第95条『公務執行妨害罪』に該当するわ。これ以上抵抗するなら、追加で罰金および拘留の措置を執るよう法務部に要請するけど、いいかしら?」
『知るか、そんな法! 我は魔王様の……ひぎゃっ!?』
ガルドの言葉が途切れたのは、魔導パワーショベルのアームが、彼が担いでいた伝説の大剣を「むんず」と掴んだからだ。
そのまま巨大なクラッシャーが、大剣の刃をゆっくりと、しかし確実に握りつぶしていく。
パキィィィィィィィィィィンッ!
魔界の奥底で数千年の時をかけて鍛えられた魔剣が、ただの廃棄物として粉砕され、地面に転がった。
「よし、障害物撤去完了。解体作業再開して!」
作業員の合図で、三体のゴーレムが同時に活動を開始した。
バリバリ、メリメリと、魔王城の象徴であった黒曜石の正門が、無慈悲に引き剥がされていく。誇り高き魔族の紋章が刻まれた扉は、次の瞬間にはただの「瓦礫」として分別用のトラックへと放り込まれた。
「アレンさん、何を呆けてるの。門が開いたわよ。……あ、不法投棄にならないように、ちゃんとマニフェスト(産業廃棄物管理票)は切っておいてね」
私は、口をあんぐりと開けて固まっている勇者アレンの肩を叩き、瓦礫の山となった門跡を通り抜けた。
「……信じられん。俺たちが一週間かけても傷一つ付けられなかったあの門が、ものの数分で……」
「これが行政の執行力よ。個人の勇気なんて、組織の予算と法執行の前では無力なの」
***
門を突破した私たちを待ち受けていたのは、魔王城特有の「トラップ」の数々だった。
一歩踏み出すごとに、壁から無数の槍が飛び出し、天井からは巨大な鉄球が振り子のように落ちてくる。床は毒の沼地へと変貌し、侵入者の命を容赦なく奪おうとする。
「危ない、ミヤコさん! 下がれ、トラップだ!」
アレンが私を庇うように前に出たが、私は彼を軽く手で制した。
「止まって。……作業員A、B! 安全確認!」
「了解! レーザー墨出し器、起動!」
作業員たちが手慣れた手つきで魔導具を設置すると、薄暗い廊下に真っ赤なグリッド線が投影された。
壁の隙間、床の沈み込み、天井の仕掛け――すべてが可視化される。
「……あー、やっぱりね。建築基準法施行令第121条『避難階段の設置基準』に著しく違反しているわ。通路に突起物を設置するなんて論外。しかもこれ、槍の材質が未登録の魔導合金じゃない。SDS(安全データシート)の提示を求めなきゃ」
私はため息をつき、腰のベルトに下げていた『強制解体用・魔法封印テープ』――黄色と黒の縞模様のテープを取り出した。
「これより、このエリアを『危険作業区域』に指定するわ。トラップを解除するんじゃない。物理的に『養生』して無効化しなさい」
作業員たちは、飛び出してきた槍を大型のハンマーで叩き折り、根元をコンクリートで固めていく。振り子の鉄球には頑丈なワイヤーをかけて固定し、床の毒沼には速乾性の特殊樹脂を流し込んで、ものの数分で「歩きやすい滑らかな廊下」に変えてしまった。
「よし、安全通路確保。これで作業員が転倒して労災(労働災害)を起こす心配もなくなったわ。アレンさん、進んで」
「……これ、冒険じゃない。ただの現場監督の巡回だ」
アレンが力なく呟きながら、安全になった廊下を歩いていく。
彼ら勇者パーティの役割は、今や「作業員の護衛」という、当初の目的からは大きくかけ離れたものになっていた。
***
魔王城の中庭――そこは、四天王の第二の刺客、『屍霊術師』ゾルダの領域だった。
腐臭漂う庭には、数万体ものアンデッドの軍勢がひしめき、空を覆わんばかりの亡霊たちが耳を劈くような絶叫を上げている。
『ケケケ……愚かな人間どもめ。我が不死の軍勢に、肉も魂も喰らい尽くされるがいい! この怨念の叫びこそが、貴様らの葬送曲よ!』
中央の祭壇で、ゾルダが禍々しい杖を振り上げた。
勇者の聖女が青ざめ、加護の魔法を唱えようとしたが、私の怒号の方が早かった。
「そこ! 騒音規制法違反よ!!」
私の叫びに、ゾルダの動きがピタリと止まった。
「……え?」
「え、じゃないわよ! 住宅街……ではないけれど、この地域の騒音環境基準を大幅に超過しているわ! 何デシベル出してると思ってるの!? 近隣の村から苦情が来たら、うちの部署が謝りに行かなきゃいけないのよ、分かってるの!?」
私はポケットからデジタル騒音計を取り出し、空を舞う亡霊たちに向けた。
「はい、120デシベルオーバー。ジェット機のエンジン音と同レベルよ。しかもそのアンデッドたち……」
私は地面から這い出そうとしている骨の山を指差した。
「廃棄物処理法および清掃に関する法律、第16条『投棄禁止』に違反しているわ。死体や遺骨を許可なく土中に埋置し、かつ魔法で不当に再利用する行為は、公衆衛生上の観点からも極めて悪質よ。土壌汚染対策法にも引っかかるわね」
『な、何を……我が術は至高の暗黒魔法……』
「いいから黙って! 作業員C、騒音対策用の結界壁を設置! あと、土壌洗浄用のアルカリ魔法薬液、準備して!」
「へいよー!」
作業員たちが手際よく、透明なアクリル板のような魔法壁をゾルダの周囲に立てていく。
亡霊たちの叫び声は瞬時に遮断され、真空状態のような静寂が訪れた。さらに、アンデッドの足元には高濃度の洗浄液が散布され、彼らの魔力の核を中和していく。
『ア、アアア……我が軍勢が、ただの清掃業務のように消えていく……!?』
「ゾルダさん。あなたのこの『アンデッド工場』、環境省の許可、取ってる? 取ってないわよね。特定施設としての届出がない以上、即刻操業停止命令を出させてもらうわ」
私はバインダーに挟んだ赤い「立入検査証」をゾルダの鼻先に突きつけた。
「行政を甘く見ないで。あなたがどれだけ魂を呪おうが、私にとっては『未処理の産業廃棄物』に過ぎないんだから。さあ、撤去! 撤去、撤去!!」
ゴーレムたちが今度は『高圧洗浄用バケット』に装備を替え、ゾルダのアンデッド軍勢を文字通り「洗い流して」いく。
絶叫を上げていた亡霊たちは、美しく浄化された水とともに消え去り、中庭にはただの「綺麗に整備された庭園」が残った。
「……ミヤコさん、一応聞いていいかな」
勇者のパーティの魔導師が、震える声で尋ねた。
「その『洗浄液』って、神聖魔法の一種なの?」
「いいえ、ただの強力な界面活性剤に、魔力中和用の塩分を混ぜたものよ。要は『お掃除』。汚れは元から絶たなきゃダメなの」
***
ついに私たちは、魔王城の最上階――魔王が座す『玉座の間』へと続く大階段に辿り着いた。
しかし、そこには最後にして最強の壁が立ちはだかっていた。
魔王軍四天王の筆頭、『賢者』エルダー。
数千年の知恵を蓄えたとされる老魔族は、玉座へと続く階段の踊り場で、分厚い魔導書を広げて待っていた。
『……行政の犬か。先ほどから見ていたが、法という名の不自由な鎖で、この自由なる魔界を縛ろうとするとは。嘆かわしいことだ』
エルダーが杖を一突きすると、階段の周囲に強力な多重結界が展開された。
聖剣の一撃ですら通さないであろう、物理と魔法の両面を遮断する絶対防御。
『この結界は、世界の理そのものを書き換えて構築したもの。貴様らの脆弱な重機とやらでは、傷一つ付けることはできん。法を説くならば、この理を超えてみせよ』
勇者アレンが「今度こそ俺の出番か……!」と聖剣を抜き放とうとしたが、私はそれを手で制し、不敵に微笑んだ。
「理、ね。……でもエルダーさん。残念だけど、その結界、もっと根本的なところで『アウト』だわ」
『……なに?』
「あなたの展開しているその結界……王国の『消防法第17条』における消防用設備としての承認、受けてないでしょ」
『……は? しょうぼう……?』
「不燃材料ではない魔法障壁で通路を完全に遮断する行為は、火災発生時の避難障害に該当するのよ。しかも、階段部分での設置なんて言語道断。特定防火対象物における重大な違反行為よ」
私はヘルメットの横に装着した通信機を叩いた。
「緊急通報。魔王城最上階階段エリアにおいて、悪質な消防法違反を確認。これより第119機動消防魔導隊による『強制排除』を開始するわ。……放水準備!」
『待て、放水だと!? この結界は熱にも衝撃にも耐える――』
「普通の水だと思わないことね。これは『魔法消火用・高粘度魔力剥離剤』を混入した高圧放水よ!」
階段の下から現れたのは、巨大なタンクを背負った消防士姿の魔導師たちだった。
彼らが構えたノズルから、ピンク色の粘り気のある液体が、凄まじい勢いでエルダーの結界に叩きつけられた。
ジュゥゥゥゥッ……!
絶対の理を誇っていた結界が、まるで熱い鉄板に落ちた雪のように、シュンシュンと音を立てて溶けていく。
『ば、馬鹿な……!? 我が数千年の英知を結集した究極の結界が、ただの消火活動で……!?』
「英知を誇る前に、法令順守の講習を受けてきなさい。安全を疎かにする建物に、存在する価値なんてないのよ!」
結界が崩壊し、無防備になったエルダーを、消防隊の『高圧放水』が直撃した。
数千年の賢者は、水圧に耐えきれず「ぶべらっ!」という情けない声を上げて壁まで吹き飛ばされ、そのままズルズルと床に崩れ落ちた。
「よし、階段の障害物排除。これより最終目的地の玉座の間へ突入するわ!」
勇者アレンは、もはや何も言わずに、ただ黙々と私の後ろをついてきた。
彼の目には、魔王城を滅ぼそうとする英雄の輝きではなく、現場の進捗を黙視する監督官のような、悟りきった静かな光が宿っていた。
***
巨大な観音開きの扉が、魔導パワーショベルの重厚な一撃によって粉砕された。
舞い上がる黒い砂埃。その先に広がるのは、禍々しい赤い月明かりが差し込む、広大な玉座の間だった。
部屋の最奥。
何千もの人骨を積み上げて造られたという、あまりにも悪趣味で巨大な玉座に、一人の男が座っていた。
漆黒の翼を背に生やし、額から二本の角を突き出した、魔族の王。
『……よくぞ来た、人間ども。我が四天王を退け、この魔の聖域を冒涜した罪、万死に値する』
魔王の低く響く声とともに、部屋全体の魔圧が急上昇した。
勇者アレンが「っ……これが、魔王のプレッシャーか……!」と、今さらながら主人公らしい顔をして聖剣を構え直す。聖女も祈りを捧げ、大魔導師は究極魔法の術式を編み始めた。
だが、私はそんな演出には一秒たりとも付き合わない。
私はヘルメットを被り直し、バインダーから厚さ三センチはある『最終通知書』の束を取り出した。
「あなたが本物件の所有者兼、建築主の『魔王』さんで間違いないわね?」
『……小娘、我の言葉を聞いていたか? 今、貴様らに死を――』
「はいはい、死の話は後。まずはこれを見て」
私は玉座の下までスタスタと歩み寄り、魔王の鼻先に書類を突きつけた。
「王国建築基準法、消防法、都市計画法、景観法、さらには魔界・人間界相互不可侵条約に基づく環境特別条例。……この魔王城、全254項目の法令違反を確認しました」
『……ほう。法、か』
魔王は鼻で笑い、玉座の肘掛けを強く握りしめた。
『この城は、我が魔力によって一晩で築かれた絶対の城塞。人間の浅知恵で造られた法などという紙切れが、我が覇道に通用すると思うたか?』
「一晩で築いた? ……ああ、やっぱりね」
私は溜め息をつき、眼鏡をクイッと上げた。
「それ、『建築確認申請』の無視以前に、地盤調査すらしてないでしょ。ここの地層、実は石灰岩質で空洞が多いのよ。そんな場所に、これだけの重量がある魔道金属製の城を建てるなんて、構造計算上の安全率が1.0を大幅に下回っているわ。いつ大規模な不等沈下が起きてもおかしくない、極めて危険な欠陥住宅よ」
『欠陥住宅だと……!? 我が魔力で補強されていると言っているだろうが!』
「魔法による補強は、建築基準法上の『構造耐力』としては認められません。……それからこれ、固定資産税の納税通知。過去三百年分、延滞金を含めて一円も支払われていないわね」
私は電卓を弾き、表示された天文学的な数字を魔王に見せつけた。
「本日の強制代執行には、この未納分の徴収も含まれているわ。……魔王さん。あなた、この城の『検査済証』、持ってるの?」
『……けんさ、ずみ……? 何のことだ』
「やっぱりね。……あーあ。完了検査を受けていない建物に人を住まわせるなんて、所有者としての資質を疑うわ。……アレンさん、下がって」
私は勇者を後ろに追いやり、背後の作業員たちに合図を送った。
「これより、建築基準法第9条に基づき、本物件の『除却(解体)』を開始します。……魔王さん、直ちに退去しなさい。抵抗するなら、不法占拠として公的武力行使(勇者の皆さん)を投入するわよ」
『……おのれ、ふざけるなぁぁぁっ!!』
魔王が激昂し、その手にどす黒い魔力の球を形成した。
世界を滅ぼす一撃が放たれようとした、その瞬間。
「……ミヤコさん! 危ない!」
アレンが叫んだが、私の指示はそれより早かった。
「重機部隊! 玉座の真下の床、抜きなさい!」
「ガッテンだ!!」
玉座の間の床――私が事前に『構造上の欠陥』として指摘していた部分に、階下で待機していた魔導パワーショベルの巨大なドリルが突き立てられた。
バリバリバリッ! という凄まじい音とともに、魔王が座っていた玉座の土台が、あっけなく崩落する。
『ぬ、わぁぁぁぁぁっ!?』
重厚な口上も、必殺の魔力球も、物理的な「足場の崩壊」の前では形を成さない。魔王は玉座とともに、地下の『ゴミ集積所(として私が指定したエリア)』へと真っ逆さまに落ちていった。
「……構造計算を無視するからこうなるのよ」
***
それから数時間は、地獄のような、あるいは極めて効率的な「解体ショー」だった。
魔王が地下で作業員たちの『土壌汚染対策用の魔法ネット』に絡まって暴れている間に、城の本体は容赦なく解体されていった。
ゴーレムたちが壁を砕き、天井を剥がし、禍々しい装飾品を「燃えるゴミ」「不燃ゴミ」「資源ゴミ」に素早く仕分けしていく。
「あ、そのシャンデリアは魔力が残ってるから『危険物』扱いね! 別のコンテナに入れて!」
「ミヤコさん、この隠し扉の奥に金貨が大量に……!」
「それは全額、滞納していた固定資産税と、今回の代執行費用の仮押さえとして没収よ。国庫への入金伝票、切っておいて!」
勇者アレンたちは、もはや剣を鞘に収め、作業員が運んでくるガレキの山を呆然と眺めていた。
「……ねえ、ミヤコさん。俺たち、魔王と命がけで戦って、世界を救うはずだったんだよね?」
「ええ。結果的に世界は救われたわ。違法建築がなくなって、周辺環境の安全が確保されたんだから。立派な人助けよ、アレンさん」
「……なんか、思ってたのと違うけど。……でも、確かに魔王、泣きながらガレキの仕分けさせられてるしな……」
視線の先では、魔力を封印する『差し押さえ令状』を額に貼られた魔王が、泣きべそをかきながら「この石材は……リサイクル……可能……」と呟き、自分の城の破片を運ばされていた。
***
夕暮れ時。
かつて魔界を恐怖で支配していた魔王城は、跡形もなく消え去っていた。
そこにあるのは、綺麗に整地された、広大で平坦な更地だけだ。
「よし、更地引き渡し確認ヨシ。周辺の瓦礫清掃も完了ね」
私はヘルメットを脱ぎ、額の汗を拭った。
勇者一行は、達成感よりも脱力感に満ちた表情で、沈みゆく夕日を見つめている。
「……本当に、更地になっちゃったね」
「当たり前でしょ。行政が一度動くと決めたら、そこにはペンペン草一本残らないのよ」
私は、縄で縛られ、地面に座らされている魔王(現在は「未登録物件の所有者」兼「脱税犯」として拘留中)の前に立った。
「……魔王さん。今回の代執行費用、および未納の固定資産税、さらには環境破壊への賠償金。合計で……王国の国家予算三回分くらいの請求書、後で実家に送っておくから」
『……実家なんてないわ。我は……我は、魔界の孤高の王……』
「じゃあ、この土地の再開発事業で働いて返してもらうわ。ここにはね、来年から『王国・魔界合同・多目的総合防災公園』を建てる予定なの。あ、もちろん建築確認申請は、私が責任を持って審査してあげるから安心して」
『……我、公園の掃除係からスタートか?』
「あら、勤労は国民の義務よ。魔王であってもね」
***
数ヶ月後。
かつての魔王領は、世界で最も整備された『先進的再開発エリア』として生まれ変わっていた。
魔導ゴーレムによる定期的なゴミ回収、完璧に計算された防火区画、そして何より、法令を遵守した美しい建築物が並ぶその光景は、人間と魔族が共生する新たな時代の象徴となった。
私は、新設された『国土交通省・魔界特別支局』のオフィスで、今日も山のような書類に判を突いていた。
「支局長、アレン公爵(元勇者)から、新居の増築に関する確認申請が届いています」
「……アレンさん、またバルコニーの広さで建ぺい率ギリギリを攻めてるわね。却下。やり直しさせて」
「了解です。……それから、公園の清掃ボランティアに来ているルシウスさん(元魔王)から、ゴミの分別ルールの改善提案書が出ていますが」
「どれ……あ、この分別方法、前世の横浜市方式に近いわね。採用。彼、最近いい仕事するじゃない」
窓の外では、元魔王が『ポイ捨て禁止!』と書かれた看板を手に、笑顔で子どもたちにゴミ拾いを教えている姿が見える。
剣と魔法のファンタジー。
そんなキラキラした物語も、結局のところ、支えているのは『法』と『インフラ』、そしてそれを守らせる現場の執念だ。
「さあ、次の現場の検査に行くわよ。……ギル、安全帯の予備持ってきて!」
世界を救うのは勇者の剣ではない。
ヘルメットを被った一人の役人と、バインダーに記された冷徹な「法律」なのだ。
私は今日もバインダーを武器に、違法建築と理不尽が蔓延るこの世界の『是正』のために、現場へと駆け出していく。




