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黄昏の堕天使— She Could Not Stop Saving People —  作者: 夏乃緒玻璃


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黄昏の堕天使②

 黄昏の堕天使②

 大した事じゃない。


 本気で殴られたわけではない。

 だって、あの人も、母も――大人達は笑っていた。


 本当に怒っていたのなら、笑わないさ。

 ヘッドホンを手に取って、僕はお気に入りの曲を流す


 ◇◇


 りりせさんの屋敷から、急いで戻ったけれどーー家に着く頃には真っ暗になっていた。


 親たちはもう、食事を終えて片付けていた。


「ただいま。ごめんなさい――遅くなって」


 男がゆらりと立ち上がり、無言で――すれ違い様に頬を張った。


「母さんに余計な仕事をさせるな」


 軽い――別に、大して痛くも無い軽い張り手。


 大した事はない。

 ただ――男の冷たい視線の方が辛かった。


 台所で、母が「はあ」とため息をついた。


「もう一度温めるから、いいよ」


 なんの感情もない、ただ少し疲れたような声。


「今日は、晩御飯いらないからいいよ。食欲――ないんだ」


 僕はかろうじて、作り笑顔で声を絞り出した。

 親たちのいるこの空間で、一人で食事なんかとれない――喉なんか通らない。


「あら。そう」


 母の返事はそれだけだった。


 男は一言「気楽な子供が一丁前に食欲だとよ」と吐き捨て、奥へ行ってくれた。


 僕は2階の自分の部屋に戻る。

 背中越しに、男と母の会話が聞こえた。


「そういやお前、来週、誕生日だろ?」

「あら、何か買ってくれるの――」


 僕は、ほんの少し寂しかったが――りりせさんとの約束――小首を傾げた少し困った顔を思い出し、クスッと笑ってしまった。


 部屋に入って、鍵を掛ける。

 やっと、一人だ。


 もう、明日の朝まで、誰も僕を困らせないはずだ。

 そう思うとホッとした。


 型落ちの――昔買ってもらったスマホを取り出し、ヘッドホンを差し込む。


 東京にいた時、友達から譲ってもらった、耳をしっかりガードして――外の物音を遮断してくれる、オーディオ・テクニカ。

 ちょっとした宝物だ。


 最近のお気に入りは、グレイシー・エイブラムス。

 歌声を聞けば――嫌な事は忘れていられる。


 コトン。


 物音がした。


 どこかの――窓が開いたような音。

 どこかで――聞いた事のあるような音。


「ミャオ」


「えっ?」


 突然、背後に気配を感じて振り返る。


 そこにいたのは、黒い小さな――猫。

 薄緑の目が宝石のように光る。


「え――お前、どこから」


 戸惑う僕の目の前を、猫は悠然と横切り、窓へ向かった。


 窓ガラスをコンコンと前足で叩き、僕に向かって振り向き、もう一度「ミャオ」と鳴いた。


 僕は命じられたかのように、窓を開けた。


 黒い小さな姿は振り向きもせず、夜の闇に消えていった。


「あれは――なんだか、今日は奇妙な事ばかりだ」


 もうその日は音楽を聴く気にもならず――宿題を済ませて、早めにベッドに入った。


 奇妙な誕生日は、こうして終わった。


 ◇◇


 翌日。


 下校時間になると、僕は急いで、りりせさんの屋敷へ向かった。


 枯葉を踏みしめ走る。

 時々、銀杏を踏み潰して変な臭いが漂ったが、構わない。


 一秒も無駄にしたくはなかった。

 あのステンドグラスのような紫の瞳が、頭から離れなかった。


 僕は屋敷の前の小径に辿り着き、そこで息を整え、汗をハンカチで拭き、深呼吸した。


 髪の毛を整えて、学生服の埃を払い、汗くさくないか確かめて――いかにもゆっくり歩いてきましたという風を装って、飾り門の前に立つ。


 いつものように、幽霊のような犬がこちらを見ている。

 ステンドグラスの窓は、閉まっている。


「呼び鈴を押して――いいのかな」


 もし、りりせさんじゃない、違う人が出てきたらどうしよう。

 何かご用ですかと、インターホン越しに冷たく言われたら、なんと言おう。


 逡巡する。


 目を閉じて、覚悟を決めて――えいっ、と押す。


 コトン。


 返事の代わりに、窓が開いて――やはり少し気だるそうな表情で、りりせさんがヒラヒラと手を振った。


「リモートで錠を開けますね。入ってください――昨日のテーブルで、待っていて」


 僕は、サルーキに少し怯えながら、飾り門を開けた。


 犬は、動かない。


 ギギッ。

 小さな機械音を出して、門がロックされる。


 そんな必要はないのだろうけれど、家でのいつもの癖で、そろりそろりと物音を立てないように進みながら、玄関前の丸テーブルに向かい、腰掛けた。


 りりせさんは、トレイにティーポットを乗せてやってきて、僕の向かいに腰掛けた。


 その紫の瞳をよく見たかったが、正面から見つめるのも憚られ、横目でチラリと視線を向ける。


 しかし、長い睫毛が邪魔をして、お茶を注ぐ姿勢の彼女の瞳を隠す。


 今日のハーブティーは、赤い色をしていた。


「ローズマリーティーに、ハイビスカスをブレンドしてみました。まずは飲んでみてください――毒味は、男の子のお仕事ですよ」


 りりせさんはそう言い、悪戯っぽく笑う。


 僕は手に取って少しスパイシーな匂いを確かめ、

 飲んでみる。

 正直、味なんかわからない。


「美味しい――と思います。香りとか、ごめんなさい――よくわからないけれど、好きな味です」


 気の利いた事が言えなくて、それだけ言って俯く。


「では、私も。ああ、少しハイビスカスを入れすぎて、ローズマリーの香りが台無しになってしまっていますね。私、不器用なんですよ」


 また目を閉じて少しうなだれて、ため息をつく。


「まあ、光くんが美味しいと言ってくれたから、よしとしましょう」


 僕はまた一つ気付いた。


 どうやら僕は、あの紫の凛とした光を携えた、美しいりりせさんよりも、目を閉じたり伏せたりして、年相応に見える彼女の方が、どちらかといえば好きなようだ。


 そんな事を考えていた時、開け放した玄関から、小さな影が歩いてきた。


「ミャオ」


 黒猫が、一言鳴いて、りりせさんの膝に乗る。


「あれ、昨日の。なんで――」

「サイモ、ご苦労様でした――大丈夫ですよ。あとは私が」


 りりせさんがひと撫ですると、猫はまた玄関の中に去ってゆく。

 軽く手をふり、見送りながら彼女は言う。


「あの子はサイモ。私の友達。私はバフォメットに見張られて、ここから出られないから、あの子に光くんへのプレゼント選びを手伝ってもらったのですよ」


「昨日、僕の家に来たのは――」


「光くん」


 少しだけ――ほんの少しだけ、りりせさんの声が低くなる。


 「ねえ、光くん。ここは天使の家だけれど――私はもう、天使ではありません」


 りりせさんは、真っ直ぐに僕の顔を見る。

 紫の宝石の瞳が昏く輝いている。


「だからもう、人を救う事は、私にはできません――いまの私にできるのは、逆」


 この人は、何を言っているのだろう。


 僕は、頭ではそう思った。

 しかし、心は真実を捉えていた――この人は、いや、りりせさんは、人じゃない。


 そして、いま、それを僕に明かしているのだと。


「もしーーもう、家の人たちが優しくならなくても」


「ただ、あなたを避けるだけの存在になったとして」


「それでも、今よりいいですか?」


 僕はーー彼女の目を、はじめて真っ直ぐに見返して、そして、頷いた。


 涙が、溢れてきた。

 僕は今、何かを永久に失った――それを選択した。


 そして、代わりに――。


 りりせさんは、黙って僕の頭を撫でてくれた。


 そして、立ち上がり――サルーキに向かって、冷たく言った。


「少しだけ、光くんと一緒に外出します。今晩中に戻らなければ、明日私を噛み殺しなさい。どうせ私はこの屋敷に戻るしかないのだから」


 サルーキは、一声だけ「ウウ」と吠えて、不気味に跳躍しながら庭の奥へ消えた。


「さあ。また黄昏が来てしまう。急ぎましょう――あなたの家へ」


 手を引いて、歩きだす。

 夕日に照らされ――影が長い。


「!」


 一瞬だけだったが、僕は見た。


 りりせさんの影が――長く伸びた影が。

 その美しく均整のとれた姿そのままに――。


 その頭部、風に揺れる長い髪の影だけが――まるで無数の蛇のように蠢くのを。


「光くん、私が怖いですか?私を嫌いになりましたか?」


 りりせさんが、静かに問う。


「ごめんなさい――怖いです。でも同じくらい、いや、もっと、りりせさんが好きです」


 しばしの沈黙。


「これは、私の質問の仕方が悪かったですね。ええ、ええ。コホン。さあ――行きましょう」


 夕暮れ。

 僕らは連れ添って――僕の家に行った。


 家に着くと、りりせさんは僕に「少しだけ外で待っていてください」と、姉が弟に何か言い聞かすようなポーズで指を立てた。


 彼女は一人で家に入っていき――やがて「誰だ。誰かいるのか。光か!」という男の声、そして――男と、母の絶叫が響く。


 そして、静寂が訪れた。


 少し疲れたような顔をして、りりせさんが戻ってくる。


「一日遅れですけれど、お誕生日おめでとう光くん。私からのプレゼントは置いてゆきました。もしーーあなたがまだ、私のお友達でいてくれるなら、窓辺でお待ちしています。でも――おいでにならなくても、恨みません」


 クスッと、少し寂しげに彼女は笑った。


 僕はなんと答えたらいいか考え、ほんの一瞬、俯いた。


 その時、激しい突風が吹いた。


 目を閉じて、再び開いた時、彼女の姿は消えていた。

 目の前に、ヒラヒラと、一枚の黒い羽が落ちてきた。


 僕はそれを拾い上げた。

 微かなハーブの香りがした。


 ◇◇


 翌日。


 珍しく用意されていた朝食を食べ、僕は無言で家を出た。


 昨夜から、大人達の態度は変わった。


 彼らは、もう僕を叩きも、怒鳴りもしなかった。

 ただ、恐ろしい怪物のように僕を見て――僕が見返して目が合うと、「ひっ」と小さく悲鳴をあげて、ごめんなさい、ごめんなさいと何度も謝った。


 もう、本当の意味で――彼らと対話するのは永久に無理になった、そう悟った。


 だが、それは――今までだってそうだったさ。

 僕は、それを失ったけれど、平穏な日々を得た。


 そして――得たものはそれだけじゃない。


 コトン。


 ステンドグラスの窓が開く。

 門のロックは、自動で開いた。


「失礼します」


 飾り門をくぐり、中へ。

 サルーキがまた見ている。


 僕の方から「よう」と手を上げてやると、犬は「フン」とつまらなそうな鼻息を残して、奥へ飛び跳ねて行った。


 玄関が開き、黒猫を肩に乗せて、トレイを持った、りりせさんがやってきた。


「ようこそ。今日は――なんとラベンダーとレモンピールのブレンドハーブにしてみました。さあ――毒味は男の子のお仕事ですよ?」


 紫の瞳が、僕に微笑みかけた。




 第二話 完

この作品は、ダークファンタジー短編の「仄暗いジュエル」の四作目となります。

ダークとは言っても、暗すぎず明るすぎない黄昏の物語を意識しています。


シリーズ通して共通するテーマとしては、欠落、救済、代償です。


欠落は決して埋まらない。

救済は甘美な奇跡ではない。

代償は必ず払わされる。


だから、人を救う人形は最後に活動を停止し、悲しみの記憶を無くした男は同時に愛の記憶も薄れ、心からの謝罪ならば贖罪は死でなければならず、失われた娘の体を取り戻しても心は壊す。


全てーー選択と代償を主人公たちは払う。

その「案内役」として、一瞬だけ交わるのが「人の姿をしているが人ではない、境界に棲む女」

というのを、共通のフォーマットとしています。


今回、主人公の光くんは平穏と、りりせさんの実は激マズかもしれないハーブティーを得ましたが、さて何を失って、これから更に何を失うのか。

という所で終わっていますが、彼らはまだ物語を続けたがっている様子なので、また不定期シリーズとして続編は書く、と思います。


りりせさんの真名については、語ると詰め込み過ぎになるので、今回はスルーしましたが、「りりせりか」という響きはリリシズム(叙情)から来ており、名は行動を縛る故に、絶望を見過ごせないーーそんな業があるという話が、本来2話に来る予定でした。


いつかまた、書きたい二人です。

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