俺の役目
一体なんで俺は、いきなり母に抱かれたのだろう。まぁ幸せだからいいんだけど、どうも屋敷全体が騒々しい気がする。母の顔には涙の跡が見えるし、レギラが言っていたこともなんだか不穏な気がする。扉の先ではバタバタと誰かが走っている音が聞こえているし、何かが起きている。一体何が起きたというんだろう。
今なら、一人で行動できるんじゃないか?
チョンという人物のこと、あの紫色のスープも何もかもおかしい。俺だって転生してウハウハしたいのは山積みだけど、ここまで愛してくれた母の涙を見て、何もしないなどそんなことは男として許せない。
とはいえ何を目指して何をすればいいのか分からなかった。今なんとなく予想できているのは、転生は、てっきり全く別世界に行くことだと思っていたけど、どうやら俺は同じ世界で転生しているようだったということだけ。でもまだ偶然かもしれない。何か、決定的な証拠がほしい。
母の腕の隙間から部屋を見る。月明かりが入り込んで、壁にある大きな本棚を照らしている。この世界の転生のことを調べるしかない。それか、図鑑で俺のことを食ったあのスライムを探すか、ベチュという単語を見つけるのもいいかもしれない。答えは書物の中にあるはずだ。
母の腕をくぐって、ベッドの上をハイハイで進む。この体では、ベッドから降りるこの高さでさえものすごく高く見える。立つことに慣れているわけでもないし、ここは転がり落ちるしかない。音を立てないようにゆっくり……、でもどうしても安全に降りることができない。
すると、突然俺の体はふわっと浮いて、そのまま綺麗にベッドの下に着地した。
「ジャン様……」
小さな声でそう呟くのは……ジェスタだった。
「おトイレですか?」
ジェスタは紳士的な顔で優しく微笑んだ。どうコミュニケーションをとろうか必死に考えた。俺はものすごい勢いで母の机に向かって、高い机の壁に張り付いた。腕を伸ばして、机から落ちそうな紙とペンを落とそうとする。
「これ、ですか、もう芸術に目覚めたのですかな」
ジェスタは見事にそれを汲み取って、紙とペンを俺に渡した。俺は、筆談をしようと思った。何が起きているのかをジェスタは知っているはずだった。
赤ん坊の筋肉ではなかなか難しかったが、ペンを使って文字を書いた。
「なにがおきてる?」
それを見たジェスタは
「なんと……」
と静かに驚いた。何分もかけて、一つの文章が完成した。
「ははがないている。おれもてだすけをしたい。じぇすた、れぎらをよんでくれないか」
俺はレギラを呼ぶことにした。レギラなら、俺がこんなことをし始めたことに驚いても、すぐに受け入れるはずだ。
しかし、ジェスタは「素晴らしい」だの「天才だの」褒め続けていて一向に進まない。適当なことを言って納得させるしかなかった。
「じかんがない。これはおれのすきるだ。いますぐにこうどうを。めいれいだ」
それを読むとジェスタは「な、なるほど、いますぐ」と言って部屋から出ていった。今のうちに本でも読んで情報を集めておきたい。
本棚の一番下にある辞典を取り出して「ベチュ」という単語を探す。右上から目を流して「ベチ」「ベチャ」……「ベチュ」……あった。
——ベチュ シャルガイドの北東の辺境に住むモンスター種族の総称。半透明な体に系十二本の触手が生えており、それを器用に使って生活を行う。人間との共存時代があったが、エグロイドの感染拡大の原因として隔離させることとなった。好物はデベチュギラスープ。
「うおあ……!(黒だ……!)」
思わず声を出してしまう。やっぱり同じ世界に転生していたということだ。
次に引くのはもちろん「転生」だ。と思ったが、偶然開いたページに見覚えのある挿絵が書かれていた。ドロドロとした体に、大きめが付いている。あの時俺のことを食ったスライムだった。その欄には「デベチュギラ」と書いてある。
すべてが、すべてに繋がってる。そのことは、だんだんと確信に変わってきていた。転生の欄を見る。
——転生 生まれ変わること。シャルガイドに伝わる伝承では、才能を持てず誰にも認められなかった者にのみ与えられるチャンスと伝えられている。
認められない者に与えられるチャンス……。俺は思い出した。誰にとも会えずにスライムにのめり込まれたあの時のことを。スキルなんて才能もなく、誰にも認められずに死んだ。だから、転生できたのか? であれば、チョンに殺された時は? 俺は、たしかに母さんに愛されて、チョンにも認められていたはずだ。なんでだ? 化け物母さんは黒幕かなんかなのか? なんでそんなことが起こる?
なんでだ?
なにかがおかしい。何かが足りない気がする。
その時、息を切らしたレギラが勢いよく扉を開けた。いつものポーカーフェイスは、確かに崩れていた。




