亡き者の影
キャサ姫が屋敷に帰り着いたとき、レギラは重苦しい顔で出迎えた。ただポーカーフェイスであることに変わりなかった。いつも通り背筋を伸ばしている。
「おかえりなさいませ」
「チョンを!」
キャサ姫がそう叫ぶと、レギラは「なぜ」と静かに驚いたが、キャサ姫はそんなこと気にすることはなかった。靴も脱がずに、レギラの肩を揺らした。その顔は、怯えているようにレギラには見えた。
「お願い、チョンを今すぐここに帰して。今すぐ!」
キャサ姫は涙を流し始めたが、レギラは急いで行動を起こすことはしなかった。
「キャサ姫様、帰ってきて早々チョンのことを聞いてくるなら、もう分かっているのではないでしょうか」
キャサ姫は「やだ!」と叫んだ。
「やだ! ダメ! これ以上はダメ! まだ間に合うでしょう!」
キャサ姫はひざから崩れて、レギラのメイド服を引っ張った。無慈悲にも、レギラはキャサ姫の手を握って、表情を変えぬまま言った。間髪一つ入れずに、あくまで業務報告のように、人の心などもっていないかのように
「チョンは、亡くなりました」
キャサ姫の声は、部屋で寝ているジャンの目を覚ました。何が起きたのかすぐに確認したかったが、ベッドの上でじたばたしているだけで何もすることができない。ふざけるな母の泣き声が聞こえても何もできないなんて! ジャンは何もすることができなかった。
キャサ姫はしばらく泣いた後、死んだような目で何も言わなくなってしまった。レギラはそんなキャサ姫を部屋へと背負っていき、ジャンと添い寝させるようにベッドに寝かせた。曇ったガラス玉が、色を失った目がジャンを見ている。
「キャサ姫様。あなたにはジャン様もいます。ただし、ジャン様にはあなたしかいないのです。チョンの件は、私たちメイドに任せてください。キャサ姫様の責任ではありません、国王が亡くなったときから、正しい人も、間違った人もいないのですよ」
キャサ姫はジャンを優しく抱きしめて、泣き疲れた拍子にすぐに眠ってしまった。ジャンはただならぬ空気を感じ取って、しかし何もできずにいた。ただされるがままにキャサに抱き着かれて、幸せなのかなんなのか分からずにいた。
レギラは部屋から出ると、そのまま屋敷の奥へと進み始めた。屋敷で唯一の鉄製の扉があるのは、屋敷の奥の奥。そこを開くと、地下へと続く階段がある。そこをくだって行くと、地下牢が現れる。薄暗い空間にある檻に閉じ込められていたのは、セスタだった。
「もう、私が殺したってことで決まっちゃったの……?」
既に生気を失ったセスタが、気分の悪そうな顔で牢屋の中で壁に座っている。叫び疲れた、訴え疲れた、そんな顔だった。
「セスタが殺した可能性が高いって見えるだけです。あなたが殺しただなんて、そんなことは私が認めたくないのですよ」
「私じゃないって言っても、他に何があるの? だって、私の剣で刺された跡がチョンにはあったんだよ。私は記憶がないけれど、もしかしたら私がやったのかな」
「セスタ。思い詰めすぎです。私は最初のセスタの言葉を信じている。必ず潔白を証明してみせますから」
「私は、あの神話を信じてるから、急がなくてもいいよ」
「神話?」
「チョンが死ぬ前に、話してたの。才能がない者が死んだとき、転生ができるって。チョンは才能のことをスキルだと思っているみたいだけど、彼、いつも一人だったからさ、私にとってはそれも、転生に値するぐらい不幸なんじゃないかなって。転生って女神さまが与える、救済処置でしょ? 孤独な彼が死んでも、今もどこかで生きているってことでしょ」
レギルは「それは違います」と冷たい声で言った。
「その神話は伝承されている者ではありません。正しくは、転生が可能な人間は、確かに才能のないもの。ですが、その才能とは、人に認められるほどの才能である必要がある。チョンの洗脳スキルは、恐れられ、そして孤独になってしまう。誰も彼のことを認めなかったスキルで間違いはないのですが……」
「だったら! チョンはやっぱり転生してるんじゃ……!」
「いや、チョンの転生にスキルは関係ありません。セスタ。あなた自身なんです」
「……私?」
「認められてしまえば、もう転生はできなくなってしまう。セスタ、あなたは……チョンのことが好きだったのでしょう?」
セスタは、枯れたはずの涙をまた流し始めた。まるで、その時用に残していたかのように。
「チョンのことが好きだった。それは、彼を認めてしまったじゃないのですか。チョンは、その洗脳スキルではなくて、愛される才能を持った人だった。残念なことに転生はしていないと思います」
レギラは静かに確認した。
「ただし勘違いしてはいけません。人に愛されているだなんて、彼にとってそんなに幸せなことないですよ。セスタがチョンに想いを伝えてはなくても、彼には伝わっていたはずです」
そう言うとレギラはポケットから一つの紙きれを出した。
「これは、チョンが送ってきた手紙。警告文と銘打ってあって、しばらくは最近の世界に訪れている危険を示唆していたものですが、書き加えられたのか、その先が書かれていました」
レギラは檻の中にそっと手紙を置いた。
「あなたが読むべきです。セスタ」
そう言ってレギラは地下牢から出ていった。セスタは手紙を取って、最後の方を、涙で何も見えない目で見た。
——僕の洗脳スキルも、そろそろ切れてきたようで、限界が近づいてきております。もし洗脳が解けて、目覚めたベチュ族に殺されてしまうとしても、でも私は非人道的なスキルの使用をしております。避けられない運命だと思っております。
そして、セスタに、そんな人間など好きになるなと喝を入れていただきたい。レギラさんあたりに言わせれば良いかと思います。しかし、恥ずかしながら、私もセスタのことをどこか想っていたのです。どこかのタイミングで、そのことをセスタに伝えてやってください。
——馬鹿なセスタは、すぐに元気になります。
「チョン……」
セスタはそう呟いて、手紙を綺麗に畳みなおした。地下牢の中で、セスタの泣き声が響くことは二度となくなった。




