理不尽な世界
「ここらへんで良いわ。降ろしてちょうだい」
馬車の中でそういうキャサ姫は、山道の中腹辺りで降りる準備を始めた。
「キャサ姫様、ここはまだ山の中腹ですが、大丈夫ですか?」
執事のジェスタはそう心配するが、キャサ姫は「大丈夫」と力強く言った。
「ジャンのためよ。一度くらい、スキルを使っても怒られないわ」
ジェスタは、分かってはいたものの、改めてそう言われて緊張な面をした。
「無事に帰ってきてください……一国の王妃が一人では、何が起こるか分かりません。ここから屋敷までは距離があります。お気をつけて」
ジェスタは馬車を止めてキャサ姫を降ろした。普段の大層な格好ではない、フードで顔を隠したシンプルな格好のキャサ姫は、そのまま道をはずれて森に足を運び始めた。馬車の音は遠のいていってしまった。
キャサ姫は膝を曲げて掌を地面につけた。
「お願い……暴走しないでね……」
森の木々の音が無くなるほど、風を感じなくなるほど、キャサ姫は集中した。地面から、風が逆流してくるのを感じてキャサ姫は大きく目を見開いた。
「うわっ」
突然床が抜けたように、手のひらが地面の中にストンと落ちて、体が魔法陣の中に吸い込まれてしまった。
落ちた先は、光の世界だった。
真っ白い光だけの世界に、レッドカーペットが敷かれている。そのレッドカーペットの先には高い椅子があり、そこに誰かが座っている。
「キャサ姫、久しいな」
その場を一瞬で支配してしまうような低い声で、彼女は口を開いた。椅子に座っているのは女神様だった。
「女神様、夫のスキルについて聞きたくて」
「転生スキルの死んだあとか、大丈夫だ。ジャンに受け継がれたぞ」
「……! じゃ、じゃあ夫は⁉ どこか転生したのでしょうか……」
「私は女神だ。女神は慈愛と慈悲をくべるもの。神とは違う。全ては分からない。女神は生まれる人に力を与えるが、その者が死んだあとの顛末までは分からない。転生は生まれることではなく、生まれ変わること、すなわちただの変化だ」
「で、でも夫は今でもどこかで生きているんですよね?」
「キャサ姫、恐ろしい性格をしているな。あんなことをしておいて夫の所在を確認するか。本来ならばお前は処刑に値するのだぞ。ジャンを守るためとはいえ、それがお前を肯定するわけがないだろう」
キャサ姫は険しい顔をした。
「私は、やはり罪を償うべきでしょうか……」
「女神といえど人を殺すことはできない。決断、判断、与えられた選択肢の中で自分が何を選ぶのか、それを選ぶのは自分次第だ」
キャサ姫は自分の犯した罪を思い出していた。
まだ国王が生きていた頃、その女好きの性格には頭を抱えていた。結婚相手も、ほとんど強制的に選ばれ、権力による圧力に誰も逆らうことはできなかった。転生スキルを手に入れた彼は「奇跡」と呼ばれ、内政も上手かったことから国民から絶大な支持を得ていた。しかし、屋敷の中では女性に対する態度は横柄だった。
わいせつな行為はもちろん、妻がいるというのにメイドに声をかけていたり、美人な者しか雇わないという偏った考えで支配されていた。そのため元々屋敷に従事していた男性のメイドに常に苛立ちを覚えていた。
屋敷に従事していた男性はたくさん解雇されたが、洗脳スキルを持つチョンと、今は亡きデジアンという男だけが残された。デジアンのスキルはテレパシー。二人とも貴重なスキルであったため、簡単には解雇されなかったが、やはり夫はそれを許してはいなかった。
悲劇はある夜に起きた。あの夜、膝の上に血まみれのデジアンの頭が置かれている光景をキャサは忘れることができない。デジアンは虫の息で声すらも出せなかったが、テレパシーのスキルで犯人を頭の中に訴えた。
「国王様が……やりました……きっと、男を屋敷から消そうとしているのです……」
いくら男性の従事者が気に入らないとはいえそこまでするのかと、キャサ姫は怒りに身を任せた。チョンが殺される可能性を危惧してすぐに辺境に派遣して、そのあとにビギンに無理を言って、料理を手伝わせてほしいと懇願した。
——毒を盛るために。
生まれる子供は女の子だと嘘をついていた。男が生まれると知ってしまえば、生まれたその子供すら殺してしまうのではないのかと思ったのだ。
そういう考えにどんどん支配された結果、夫を殺してしまったのだ。
「キャサ姫、一つだけ良いことを教えておこう」
暗い顔のまま、キャサ姫は顔をあげた。
「転生というのは、別の世界線に行くことではない。転生した夫は、まだこの世界のどこかにいるのだ」
「……!」
「世界に説明できないことなどない。全ての情報が繋がって、人間関係も、その思いも、死も生も、すべてに理屈が通っている。だが、その繋がり方は実に理不尽だ」
「ど、どういうことですか……」
「チョンが、危険だぞ」
キャサ姫は「チョン……!」と叫んで、また魔法陣を出した。すぐに腕は取り込まれて、空間に転がり込んだ。
キャサ姫は焦った。また、自分の判断で誰かが死んでしまうのではないかと。女神様の言っていた理不尽なこと。それは少し考えれば分かることだった。
チョンの近くに、夫は転生したのだと——
キャサ姫は自分のスキルを使うべきかと悩んだ。このスキルを誤って使えば、甚大な被害を出しかねない。この力を押さえられるセスタがここにいない以上、むやみに使うわけにはいかない。
——キャサ姫のスキルは『愛』。
それも、いまだに報告例は一つしかない、危険な愛だった。




