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「おかしな話だな……」


 薄暗く狭い部屋に、一人の少年が座っている。木箱を机代わりにして、ノートに何かを書いている。ロウソクで照らされた顔には、緑色の目。オレンジ色の髪の毛が、ロウソクの炎と同じように揺らめいている。


「僕の洗脳が自主的に解けるわけがない、失敗なんてありえない。昨日まではベチュにぃも洗脳は継続していたはず……なんで、なんでだろう……」


 チョンは、息をしていないベチュにぃの死体を傍に置いていた。あとで解剖をしてみようかとも考えていたが、それより自分のスキルである洗脳が解けたことが不可解だった。


「うーん、王都に報告するのも面倒だなぁ……。キャサ姫は出産を控えていたはずだし、僕の業務報告なんて読んでいる暇はないはずだ……」


 ノートに洗脳魔法が解けてしまった事実を書くのは、自分の信頼性に欠けるので怖かったが、正直に書くほかなかった。

 ノートをぺらぺら見直すと、数日前に見つかった不可解な死体の報告書が挟まっていた。


——大量のスライムを飲み込んだ若者の変死体。新種の幻覚魔法か、類似の効果を持つ植物の出現を示唆する。


「雲行きが怪しくなってきたな……」


 チョンがそう呟いたのち、また炎が揺れた。チョンの背後に気配が現れる。


「調子はどうだいチョン」


 小屋の扉を開けて入って来たのは、赤い髪をポニーテールに結んだ女だった。


「セスタ。ここは君の管轄じゃないだろ」


 腰にさげた剣の金属音が鳴って、セスタがノートを覗き込んでくる。


「スライムの変死体、解剖したんだが、報告したくてね」


「なんで直接なんだよ。報告書に書けば勝手に共有されるだろうに」


「あんまり共有したくないんだよ」


 セスタは耳元で小さく囁いた。


「あの変死体は、スライムを故意に飲み込んで自殺してたんだよ」


 チョンは「だからなんだと言うんだ」と言い返そうとしたところで言いとどまった。スライムを故意に飲み込んで自殺をするのは、幻覚作用じゃ説明がつかない。幻覚魔法で見せられる幻覚では、人一人を自殺に追い込むほどの拘束力は持たない。感情が揺さぶられれば揺さぶられる程幻覚魔法の拘束力は弱まる仕組みで、死にたくなると感じて、自殺を図るまでには必ず幻覚が解ける。やはり新種の何かが生まれてしまったのだろうか。

 それとも、より強大な幻覚魔法を確立させた者が現れたということなのだろうか。


「なぁチョン、どう思う?」


「何も才能を持たない者が死ぬと、転生して人生をやり直すことができる神話がある。スキルを得られなかった人間がそれを信じて死んだとかかな。それか転生スキルの使用者だろうけど、これまでの歴史上でも転生スキル保持者は、今は亡き国王のみだ。……まぁ、すぐに答えは出ないよ。異例なんて話ではない。世界に異変が近づいている。王都に、警告の斡旋文でも送っておくか」


 セスタは立ち上がってチョンの頭をわしゃわしゃと撫でた。


「チョンの頭脳が解決してくれることを祈っておくよ。私は戦闘しかできないからね。それより、また夜ご飯一緒に食べないか? また小屋に籠りっきりだし、心配だ」


 チョンは、表情をセスタに見せないようにしていたが、セスタは感じ取ることができた。チョンが喜んでいることを。


「いいよ。明日なら」


 そう、冷たく言うチョンにセスタは「ふふ」と微笑んだ。


「じゃ、頑張って」


 そう言って小屋から出ていったセスタを背に、チョンは王都への手紙を書き始めた。


【警告文】

 キャサ邸へ。チョンです。出産を控えているところ、このような報告をしてしまうこと、不甲斐ないです。ここ最近、少し気がかりな事象が起きており、派遣部隊でも考えがまとまらない現状です。世界に異変か、変化が訪れている予兆を感じます。今一度、身の安全を確保していただき、国民の安全を意識していただきたく、手紙とさせていただきます。


「こんなの初めて書いたけど、失礼な文章になってないといいな」


 チョンはノートをビリっと破って、それを小屋の隅にある箱に入れる。すぐには送らない。もう少し様子を見て、異変が確定したところで送ってしまおう。まぁ屋敷にはメイドだっている。安心感はあるはずだが……


 チョンはもう一度紙を取り出して、何かを書き加えた。もう、自分の抱えている悩みや考えを書いておこうと思った。洗脳が解けてきている現状では、いつ自分が危うい立場になるかは分からなかった。


 書き終わったチョンはロウソクの炎を消して、眠りの体制に入った。その夜は「ベチュ、ベチュ」と、チョンの横にある死体を探す者の声が一晩中聞こえていた。


 チョンは静かに心を痛めた。


 そしてチョンはよく眠れなかった。一晩中ベチュにぃの母親の叫びが聞こえて、ベチュにぃとの思い出が頭を駆け巡っているからだ。王都からここへ来るように派遣されたのは、このベチュ族がエグロイドという病気に感染しているためだった。人間に感染することはないが、モンスターに一時的な発狂状態を付与し、人々に甚大な被害を与える。死を恐れた若者が冒険者になりたがらない一つの原因だった。


 そんな感染のもとを殲滅するという勅令を王都から受けたのだ。表面上は偵察ぐらいに留めているが、本当は勅令を無視しているというのが今の状況だ。この集落に来た際、ベチュ族の中で唯一友好的なのがベチュにぃというモンスターだった。彼はチョンのことを仲間として向かい入れ、仲良くしてくれた。次第に集落の皆も打ち解けてゆき、この見た目も相まって「迷子の子ども」として保護される存在となった。


 だが、チョンは洗脳による能力を使った。チョンの緑色の目には相対する生物を洗脳状態に堕とす力がある。世界でまだ報告例が一つしかない能力だった。洗脳を使わずとも殲滅できるほどの状態ではあったが、好意を持たれている状況でベチュ族を殺すことはできなかった。

 であれば洗脳状態にして、自我を失わせて殲滅する。その方が気が楽だった。チョンに向けられる優しさや接し方は、あくまで洗脳による操りで、本当の心は分からないという状態に、チョンは何も感じなかった。チョンは冷酷で冷静だが、どこか優しさという暖かさに憧れを抱いていた。


 チョンはベチュにぃとの記憶が頭から離れなかった。畑仕事も、測量も、土地の観察やベチュ族の文化など、知らないことをたくさん教えてもらった。この小屋もベチュにぃと作ったものだった。ベチュにぃと約束がどうこうっていうのは、本当は交わしたかった約束を無理やり言ったものだ。本当に記憶がないのか確認したいのもあったが、ベチュにぃいが自分のなかで特別な存在だと自覚していた。それは好きだという話ではなくて、もう人生を通して一緒にいるかもしれないと希望を抱いていたからだ。


 自分で殺しておいて、何を思っているんだと、チョンは目元を手で覆った。いくら洗脳が解けたとはいえ、殺すまではなかったのかもしれない。一応記憶がなくても友好的だったし、判断を誤ったのか? ただベチュ族は非情なモンスターのはずだ。そう習ったはずだ。仕方なかった。仕方なかったんだ。


「ベチュにぃ……この仕事、辞めても良いかな……」


 その夜、チョンは人生で初めて泣いた。


 小屋の外で、中からのすすり泣きをセスタは聞いていた。セスタはチョンがベチュ族の殲滅を命令されていることを薄々感じ取っていた。このままだとチョンは命令を遂行することはできず、王都から冷たい目で見られるだろう。セスタは自分がベチュ族を殺してしまった方がいいと考えたが、チョンの泣き声でその気持ちは失せてしまった。


「良いんだチョン。君はそういう人間だ」


 小屋の前で、セスタはそう思った。洗脳スキルを持っている人間が、ここでは一人の住人として扱われている。王都での生活では考えられなかった生活を、チョンはここで感じ取っていたはずだ。幸せだったまであるだろう。


 ついにそれを自分の手で壊すとなったとき、感情的にならないような人間だなんて、セスタは思ってはいなかった。しかし、思いに更けるセスタは突然現れた何者かに襲われた。


 セスタの視界は暗転し、目が覚めた時には自分の手に血が付いていた。


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