転生一回目
~転生一回目~
記憶はある。誰かに背中を押されて電車に轢かれた記憶。今、俺は目を閉じている。
耳元にちろちろと水のような音が聞こえる。背中にひんやりとした、でも心地のいい感覚が広がっている。小鳥のさえずりが聞こえる。
転生だ。こんなに嬉しいことはない。さぁ誰でもいい。美人なヒロインでも剣士でも、魔法使いでも、エルフでも獣人でも。なんなら正体不明な少女とかでもいい。
「あのう、大丈夫ですか?」
的な言葉をかけながら誰か俺のことを起こしてくれ!
……チュンチュン。
誰だ。俺の鼻に乗ってるのは誰だ。むずがゆいな。あまり目は開けたくないんだ。誰もいないなんてオチだけはやめてくれ。そんなの転生ではない。
ああそうだ、女神がいるのが定番じゃないのか。ドジな女神でもとんでもない存在感の女神でもいいから、誰か起こしてくれ。
それかあれか? まさか人型以外に転生したとかいうやつか? 剣か? 自販機か? モンスター側か? だから起こされないのか?
埒が明かないので薄々目を開くが、もちろん美人な誰かがいかがわしい服を着てこちらの顔を覗き込んでいるなんてことはなく、鼻に乗っている鳥が飛んで行って、青々とした空が目の前に広がった。無情に綺麗だった。
腕をあげて空に掲げる。どうやら人の手はしている。上半身を起こしても、下半身だけ化け物なんてこともなく、慣れ親しんだ人型。服もお約束の貧乏っぽいすさんだ衣装。ここまで揃っていて、人一人もいないなんてことがあるのだろうか。
広がっているのは美しい草原。どこまでも永遠と続いていそうな草原が、地平の彼方まで緑色で染まっており。地面は水たまりのようで、湿地帯のようだった。
ここはあれだな、天国だ。転生とかじゃなくて天国だ。人もいないし、だいたい転生って森で目覚めるか、誰かの子どもとして生まれるはずだ。大きな城の城壁があるわけでも、馬車の通り道があるわけでも……
いや、転生と言えばステータスじゃないか!
「す、ステータス、オープン……」
今になって分かるが、こんな恥ずかしいセルフを小説の主人公は、自信満々に言っていたのだろうか。腕をブンと振っていかにもらしい動きをしても、それっぽいものなんてなに一つ出てきやしない。自分でやっていてばからしくなってくる。
「ああああ!」
とりあえず大きな声を出してみるが、どこかに霞んでいくのみで返答すらも帰っては来ない。服にはポケットもなく、何も持っていない。ここはどこで、俺は何者なんだろう。転生でも天国でも、こんな投げやりなことがあるだろうか。
こんな転生もの、俺だったらつまらないし、すぐにブラウザバックしてしまう。お約束もあるだけで機能していなければ、読者の喜ぶヒロインもいない。展開もなければ、説明も何一つない。なんだこの話は。神は仕事をしているのか?
ということは、自分から何かしら動かないと、何かフラグを立てないと何も起きないということだ。面倒だけど、何か行動を起こさないと。
それからは異世界でも天国でもない地獄の時間がやってきた。自信満々にステータスオ―プンと叫んで、恥ずかしくてどこかに隠れたくても、開けているから自分も守れない。服を脱いで体に何か模様が書いてないのかと探したり、分かったことは太ってもなければ筋肉マッチョでもない体で、水はあっても草まみれで顔を確認することもできない。手触りでもよく分からない。何もない。何もできない。
もしかしたら鏡張りの部屋で、少し歩いたら壁があるんじゃないかと歩いても何もない。耳をすませば音が聞こえるかと思っても、水の澄んだ音しか聞こえない。
次第に喉が渇いて、腹時計も鳴ってしまった。何もなければ、何を試しても何も起きない。努力は水の泡、孤独で悲しいだけの時間が過ぎていく。
水ですら、水なのかもわからないけど、何かが起きるかもしれないと飲んでみた。ひんやりとした液体が胃に辿り着いて、特に何も起きずに喉が潤った。
ふと、まだまだ続く野原をぼーっと見つめて涙が出てきてしまった。転生しても何も変わらないし、じゃあ転生前の方が環境的には恵まれていたのではないか。
母さんの顔がフラッシュバックして、こみ上げる嗚咽と共にしばらく野原に泣き声が木霊した。それは寂しさもあれば、怒りも含まれていた気がする。
不憫とか、理不尽とか、不条理とか、そういう悲しさじゃない。変われない、何も起きない、誰にも認められない、理解されない、判断すらしてもらえない。それがあまりにも孤独で耐えられなくなってしまった。
大泣きで霞んでいた腹の痛みに気づいたのは、数分経ってからだった。それだけで、もはや嬉しくなっていた。水を飲んだからなのか、ならばもっと飲んでやると口を草たちに突っ込んだ。口を尖らせて、ひんやりした水をじゅるじゅる体内に送り込んでいく。
腹から何かが突き出そうな痛みを感じ始めて、だんだん自分の飲んでいる水の様子がおかしくなっていることに気づいた。さらさらした水は、ねっとりとした粘性のある、スライムとローションの間のような液体になっていた。あまりの腹痛に倒れ込んで、痛みに耐えながらのたうち回った。すると右足がだんだん重くなっていくのを感じて、とうとう粘性の液体が粘着性を持ち始めたことを悟った。何が起きているのかは分からなかったが、恐怖を感じてしまった。
体全体に付いた液体はべとべととした液体に変わり、体を完全に固定してしまった。虫を捕まえるトラップみたいだ。目の前に液体が集まっていき、壁のように大きな山ができあがった。そこににゅっと出てきたのは一つ目だった。
——ああ、俺、食われるんだ。
勘弁してくれ。何も変わらなかったどころか、最弱モンスターのはずのスライム的な何かに食われて俺は死ぬというのか。冗談じゃない。スライムに食われたってどうなるかなんて分からない。まさか消化されていって、体がどんどん溶けていくなんてことじゃないだろうな。死ぬときに苦しみは味わいたくない。どうすればいいんだ……!
腹の痛みと、襲いかかる死の恐怖で正常な思考ができなくなってしまった。こいつに食われるぐらいなら、自分で死んで、もう一度転生してやると思った。
べとべとになった液体をじゅるじゅると勢いよく吸って、吐き出しそうになりながら無理やり飲み込んでゆく。永遠に途切れない餅を食べている気分だった。体の拒否反応を無理やり壊して、飲み込んでいく。胃袋でも破裂して死んでしまえたらいい。
しだいに喉に液体が詰まって、酸素が上手いこと入らなくなった。窒息に近い状態になって意識が朦朧とし始めた。腹の痛みすら感じなくなってきて、
——あ、落ちる




