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霧は濃く、深く、私の視界をすっぽりと覆っていた。足元の水面は微かに揺れ、冷たく湿った空気が肌にまとわりつく。呼吸をひそめ、聴覚だけを研ぎ澄ます。けれども、視界が閉ざされている分、アレクの存在感は否応なく全身に響いた。胸の奥で、心臓が早鐘を打つ。


「……なぜ、ここまで?」

声には出さなかったが、問いかけが頭の中で繰り返される。理解できない人間のはずだ。なのに、なぜ彼は、魔女である私の前で恐怖も迷いも見せず、ただ歩みを止めないのか。


水と霧の壁を作り、彼を押し返そうとする。波が渦を巻き、霧が光を乱反射する。視界のほとんどが白と灰色の混ざった世界に変わり、耳には水の流れと自分の呼吸だけが届く。


だが、アレクは進む。静かに、しかし確実に。私の力をかき分けるように、霧の奥から姿を現す。赤く微かな夜の光に染まった彼の瞳が、私の全てを見つめる。その強さに、魔女としての理性が揺らぐ。


「……人間を、理解しようと思ったことは一度もない」

吐き捨てるように言う。しかし、その言葉に重みはない。むしろ胸の奥がざわつき、理性と感情が喧嘩を始める。


「それでも……君のそばにいる」

アレクの声が、霧の中で震えることなく届く。思わず息を呑む。理解できないはずの人間が、なぜこれほど強く、まっすぐに私を見つめるのか――。


胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。魔女としての冷徹さを保とうとするたび、心が波打つ。恐怖でも怒りでもない、胸の奥底から沸き上がる、得体の知れない感覚。圧倒的な力の前でも、彼には屈しない覚悟がある。


水面が一瞬静止し、霧が渦巻く。刃のように鋭い魔力を展開するが、彼は微動だにせず踏みとどまる。心臓の鼓動が、耳に響きすぎて周囲の音をかき消す。鼓膜の奥で、緊張が、期待が、恋心が、全部混ざり合ってバクバクと暴れる。


「……だからいいのね、覚悟は貴方が持つべきもの」

言葉が霧に溶け、静かな夜に音だけが残る。アレクの瞳の中に映る自分の姿を、私は見逃さない。戦いの緊張と、互いの覚悟、そして言葉にできない感情が、霧の奥で渦巻いていた。


霧の向こう、夜の静寂を裂く水音と呼吸。二人だけの世界が、今、確かに生まれている。

次回もお楽しみに!

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