置いていく
霧は今日も、変わらず重たい。
湿った空気が肺に絡みつく感覚には、もう慣れている。
私は沼地に立ち、二人を見ていた。
前に立つ者と、後ろに立つ者。
どちらも人間だ。
だが、同じ“人間”という括りに収めるには、あまりにも違う。
アレクは分かりやすい。
覚悟を掲げ、恐怖を飲み込み、理解できないものに向かって歩いてくる。
それは人間がよくやる行動だ。
危うくて、愚かで、それでも嫌いじゃない。
理解しようとする。
理解できないと分かっていても、理解しようとする。
私は、そういう人間を何度も見てきた。
そして、何度も失わせてきた。
だからアレクが前に立つ理由は、分かる。
感情の流れとして、計算できる。
だが――。
後ろにいる者。
アミット。
彼女は、私を見ない。
正確には、“見ようとしない”。
それがどういう意味を持つのか、私は測りかねていた。
恐れているわけではない。
逃げているわけでもない。
彼女はただ、線を引いている。
この距離以上は近づかない。
この距離以下は離れない。
まるで最初から、答えを知っているかのように。
「……変な人間」
思わず、そう零す。
私にとって“変”とは、理解できないという意味だ。
恐怖でも、嫌悪でもない。
ただの事実。
人間は普通、二択を迫られる。
踏み込むか、逃げるか。
だが彼女は、そのどちらも選ばない。
理解できない存在を、理解できないまま隣に置く。
それを、不自然だとも、不公平だとも思っていない。
それは人間らしくない。
私は人外だ。
だからこそ、人間の感情は大体分かる。
欲望、恐怖、執着、愛情。
どれも形が似ている。
だが、彼女のそれは違う。
優しさに似ているが、優しさではない。
愛情に似ているが、愛情でもない。
もっと静かで、もっと残酷だ。
――期待していない。
その事実に、私は小さく息を止める。
期待されないというのは、楽だ。
だが同時に、逃げ場でもある。
アレクは私に期待している。
理解されないことも含めて、受け入れようとしている。
それは重い。
だが、人間らしい。
アミットは違う。
彼女は、私が人外であることを前提にしている。
変わることも、救われることも、最初から計算に入れていない。
それなのに、離れない。
「……本当に、変」
私はそう呟きながら、霧の中へ一歩踏み出す。
人間を理解することは、私にはできる。
だが、人間が“理解しないことを選ぶ理由”までは、分からない。
それが分からない限り、私は魔女だ。
そして、これからも人外であり続ける。
二人はまだ、私の背後にいる。
前と後ろ、その距離は変わらない。
理解できないまま、私は先へ進む。
彼らを置いていくためではない。
ただ――
置いていっても、彼らがそこに居続けることを、どこかで知っているからだ。
次回もお楽しみに!




