魔女である
霧の外では、夜明けが近いらしい。
沼地に差し込む微かな光が、霧を薄く染めていく。
それでも私は、そこから一歩も出る気はなかった。
人間たちの視線が、遠くから刺さる。
直接こちらを見ることはできないはずなのに、
なぜか“何かがいる”と理解している顔だ。
囁き声が混じる。
恐怖とも好奇心ともつかない、落ち着かない気配。
「……あれ、本当に人なのか?」
誰かがそう言った。
それだけで十分だった。
人間は、理解できないものに名前をつけたがる。
怪物、災厄、魔女。
どれも間違いではないし、正解でもない。
私は足元の水を踏みしめる。
音ひとつで、彼らの肩が跳ねるのが分かる。
この反応。
この距離感。
ああ、やはり――私は人間ではない。
隣で、彼が小さく息を吐いた。
「……怖がられてるな」
同情でも、怒りでもない声音。
ただの事実として、そう言う。
「当然でしょう」
私の声は冷たい。
そうあるべきだ。
人間と同じ場所に立つつもりなど、最初からない。
それなのに彼は、一歩も離れない。
「でもさ」
軽く、霧を払うような調子で続ける。
「俺には、今さらだ」
その言葉に、わずかに魔力が揺れた。
意図せず、沼の水面が波打つ。
今さら、とは何だ。
恐怖を知ってから距離を取るのが人間だ。
なのに彼は、知った後でも変わらない。
理解できない。
理解できないからこそ、切り捨てるべきなのに。
人間たちが後ずさる。
私と彼を、同じ“異物”として見始めている。
――それが、ひどく滑稽だった。
「勘違いしないで」
私は言う。
「私は、あなたたちの仲間ではない」
人間たちにも、彼にも向けた言葉だ。
彼は一瞬だけ黙り、そして笑った。
「知ってる」
即答だった。
否定もしない。
肯定もしない。
ただ、受け入れるでもなく、隣に立つ。
その在り方が、私には異常に見える。
だからこそ、確信する。
私は人外で、
彼は人間で、
それでもこの距離は成立している。
霧が再び濃くなる。
人間たちは視線を失い、ざわめきだけを残して去っていく。
残ったのは、沼地と霧と、並ぶ影。
理解されなくていい。
受け入れられなくていい。
私は魔女だ。
そして今日、改めて知った。
――人間でないことを選び続ける限り、
この関係もまた、名前のないまま続いていくのだと。
次回もお楽しみに!




