理解しない
霧は、今日も私の輪郭を曖昧にしていた。
沼地に立つ私の足元で、水面が静かに揺れている。
揺れているのに、波紋は広がらない。まるで、この場所そのものが外界と断絶しているかのようだった。
人間たちは、また何かを選び、何かを失ったらしい。
遠くで交わされた言葉や、交差した感情の残滓が、霧を通して薄く伝わってくる。
怒りでもなく、悲しみでもなく、ただ“重い”。
私はそれを、理解できない。
理解しようとしたことは、何度もあった。
彼らがなぜ恐れ、なぜ願い、なぜ同じ過ちを繰り返すのか。
なぜ、救われたいと願いながら、救いを拒むような選択をするのか。
けれど、そのどれもが、私の中では最後まで形にならなかった。
アレクは覚悟を口にする。
重く、真剣で、命を賭すような声音で。
それが彼にとってどれほど大切なものなのかは、態度から伝わってくる。
……それでも。
なぜそこまでして、進もうとするのか。
なぜ引き返さないのか。
なぜ“失うと分かっている道”を、自ら選ぶのか。
答えは、分からない。
アミットは、何も言わない。
言わないまま、立ち位置を変え、距離を測り、誰かの背中を見送る。
その行動に悪意はなく、むしろ優しさに近いのだろうと、頭では理解している。
けれど、感情としては、理解できない。
人間は不合理だ。
矛盾を抱えたまま生き、それを当然のように受け入れている。
恐ろしいほどに、曖昧で、脆く、そしてしぶとい。
私は、ふと気づく。
——私は、彼らと同じ場所に立つ必要はない。
理解できないものを、無理に理解しようとする必要もない。
分からない感情に、名前を与える義務もない。
私は魔女だ。
願いを叶え、代償を喰らう存在。
人間の倫理や希望に寄り添うために、ここにいるわけではない。
霧の中で、私は静かに息を吐く。
冷たい空気が肺を満たし、思考が冴えていく。
理解しない。
分からないままでいる。
それを、選ぶ。
人間を理解しないことは、拒絶ではない。
それは、私が人外であるという、ただそれだけの事実だ。
それでも彼らは、ここへ来る。
願いを抱え、恐怖を携え、私の前に立つ。
私はそれを拒まない。
理解しないまま、受け入れる。
霧が、私の足元から静かに濃くなる。
世界と私の境界線が、再び曖昧になっていく。
——人間を理解しない魔女として、私はここに在る。
それでいい。
それが、私なのだから。
次回もお楽しみに!




