そのままで
霧はいつも通り、沼地を覆っていた。
白く、冷たく、境界を曖昧にするこの霧は、私にとっては空気と同じだ。だが人間たちは違う。この場所に立つだけで、心拍が乱れ、思考が濁る。
アミットは、少し離れた場所に立っていた。
足元の泥に気を取られるでもなく、霧に怯えるでもなく、ただ黙ってこちらを見ている。その視線には、迷いと決意が同時に混じっていた。
私は彼女を観察する。
感情の揺れはわかる。だが、その理由までは掴めない。
人間はいつもそうだ。
合理でも本能でも説明できない選択を、当然のように選ぶ。
「……変だよ、あなた」
不意に落とされたその言葉は、刃にはならなかった。
責める調子でも、笑う調子でもない。ただ、事実を述べるような声音。
私は首を傾げる。
変だと言われたところで、何が変わるわけでもない。理解されないことは、魔女にとって日常だ。
それでも――
アミットの表情は、どこか痛みを含んでいた。
彼女は私を否定したかったわけじゃない。
私を正したかったわけでもない。
ただ、自分の中に生まれた違和感を、言葉にせずにはいられなかったのだろう。
アレクは何も言わない。
彼はいつもそうだ。選択の場面では、沈黙を選ぶ。それが彼なりの誠実さだと、私はもう知っている。
「理解できないものを、理解しようとするのは無駄よ」
そう言ったつもりはなかった。
口に出たのは、ただの事実だった。
アミットは一瞬、目を伏せる。
そして、ほんの少しだけ笑った。
その笑みが、優しさから生まれたものだと、私はまだ知らない。
知ろうとも、していない。
魔女は人間を理解しない。
理解できないからこそ、願いを叶え、代償を喰らう。
霧が濃くなる。
視界の向こうで、人と魔女の境界が、また一つ曖昧になっていく。
それでも世界は続く。
噛み合わないまま、それぞれの選択を抱えて。
私は今日も、沼地に立っていた。
次回もお楽しみに!




