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霧がいつもより濃く、夜の沼地はまるで異世界のように変わっていた。水面はほとんど見えず、波立つ音だけが私の耳に届く。人間たちは今日も、願いを抱えてここへ来る。恐怖と欲望に絡め取られ、己の小ささを思い知らされる者もいれば、強欲に突き進む者もいる。だが、私の目には、彼らは皆同じ。小さな遊び相手に過ぎない。
「……また、来たのね」
小さく呟く。口に出さずとも、心の奥底で興味が弾けるのを感じる。微かに水を蹴る音。自然のそれとは違う気配。私は軽く霧を踏む。肌に触れる冷たい水滴が、魔力の振動に応じて震える。姿は見えなくとも、存在は逃れられない。私の霧の中では、すべてが私の領域だ。
突然、霧の流れが渦を巻き、水面が高く波立つ。空気が振動し、夜の静寂は粉々に砕け散った。相手は怯えない。むしろ挑むように、霧の中で微かに笑う気配。私は軽く口角を上げ、魔力を強める。小さな水の渦が光を反射し、紫と緑の光彩を放つ。その中心に立つ私の姿は、圧倒的な美しさと恐怖を兼ね備える。
「……逃げられると思っているの?」
声は届かなくとも、力の波動がすべてを支配する。霧の奥で、私の存在を否応なしに知らしめる。反応は遅れ、恐怖の色が見えた瞬間、私は微笑む。人間のその微妙な感情、わずかな動揺、予想外の勇気——それが、今日も私を少しだけ楽しませるのだ。
だが、気配の主は、予想以上に軽やかだった。跳ねるような動きが霧を切り裂き、私の圧を一瞬和らげる。ほんの一瞬、心の片隅に笑いが浮かぶ。「ふふ……面白いじゃない」
私はゆっくり、しかし確実にその気配を捕らえ、霧を自在に操る。波立つ水面に足を取られないよう、彼の前に立つ。紫の瞳が微かに光り、緑の髪が霧に溶ける。今日も、私の手のひらで、人間の運命が揺れる。心のどこかで、この小さな遊びが、まだ終わらないことを望んでいる自分に気づきながら。
次回もお楽しみに!




