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軽く笑って

霧の向こうで、足音が止まった。


 迷いのない止まり方だった。

 恐怖に足を縫い止められた人間のそれとは、違う。


 私は、何も言わない。

 霧の中で、ただ待つ。


 先に声を上げたのは、向こうだった。


「いやぁ……ほんとに霧、濃いね。

 道、合ってる? ここ」


 ――軽い。


 拍子抜けするほど、軽い声だった。

 怯えも、怒りも、祈りもない。


 私は思わず、眉をひそめる。


 ……ここは、沼地だ。

 契約か、死か。

 そのどちらかしかない場所。


 なのに。


「ま、合ってなくてもいっか。

 迷ったなら、迷ったなりに楽しもうって主義でさ」


 霧を蹴る音。

 軽い足取り。

 それでいて、無駄に水を跳ねさせない。


 ――この人間、勘がいい。


 私は、ようやく口を開いた。


「……随分と、余裕ですこと」


 声は低く、霧に溶かす。

 威圧も、威嚇も込めて。


 普通なら、ここで足が止まる。

 呼吸が乱れ、声が震える。


 だが。


「お、女性の声。

 噂通りだ」


 軽く、笑う。


「安心した。

 無言で殺されるタイプじゃないんだ」


 ――減らず口。


 私は、ため息をついた。


「命のやり取りをする場で、

 ずいぶんと呑気ですのね」


「いやぁ、命がかかってるからこそさ」


 声が、ほんの少しだけ真面目になる。


「ちゃんと挨拶しとかないと。

 礼儀って、大事でしょ?」


 ……。


 冗談めいているのに、

 言葉の芯が、ぶれない。


 私は、霧の奥で男を観察する。

 姿は、まだ見せない。

 見る資格があるかどうか――判断中だ。


「あなた、怖くないの?」


 問いかけると、少し間があった。


「怖いよ」


 即答だった。


「普通に。

 めちゃくちゃ」


 それから、付け足す。


「でもさ。

 怖いからって、無礼にしていい理由にはならないでしょ」


 ……なるほど。


 この人間、軽い。

 確かに軽い。


 だが、薄くはない。


「ふふ」


 思わず、笑みが零れた。


「では――

 あなたは、何を願いに来たの?」


「それを言う前にさ」


 男は、少し照れたように笑った。


「まだ名乗ってもらってないんだけど」


 私は、霧の中で首を傾げる。


「名など、持っておりません」


「そっか」


 あっさりと、受け入れる。


「じゃあ、魔女さんでいいや」


 ――初めてだ。


 この場所で、

 その呼び方を、こんな軽さで使った人間は。


 私は、霧の奥で静かに目を細めた。


「……後悔なさいませんように」


「それは、契約の後で考えるよ」


 男は笑い、

 一歩、前へ踏み出した。


 霧が、わずかに揺れる。


 この人間は――

 今までとは、少しだけ違う。


 その予感だけが、

 胸の奥に、静かに残った。

次回もお楽しみに!

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