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人は懲りず

 霧が晴れることはなかった。

 正確に言えば、晴れたとしても誰も気づかない。


 沼地は今日も同じ色をしている。

 湿った白、沈んだ緑、音のない世界。

 昨日も、今日も、たぶん明日も。


 それでも人は来る。


 足跡が、また増えていた。

 新しい靴底の跡。

 迷いと覚悟が混ざった、重さのある歩き方。


 ――ああ、まただ。


 私は、霧の奥からそれを眺めていた。

 姿は見せない。

 声も、まだ出さない。


 人間という生き物は不思議だ。

 同じ噂を聞き、同じ結末を恐れ、

 それでも「自分だけは違う」と思い込める。


 昨日、誰かが消えたことを知っているはずなのに。

 それでも今日、足を踏み入れる。


 勇気でも、愚かさでもない。

 ただの――期待だ。


 霧を踏む音が、止まった。

 立ち止まった気配。

 周囲を探る、浅い呼吸。


 私は一歩、沼を踏む。

 音は立てない。

 水も、揺らさない。


 人間は、気づかない。


 それでいい。


 願いを持つ者は、

 いつだって自分の心の音しか聞いていない。


 私は思い出す。

 昨日の男。

 怯えながらも、最後まで目を逸らさなかった視線。


 ――あれは、少しだけ珍しかった。


 珍しい、というだけだ。

 価値があるわけではない。


 私は霧の中で、視線を伏せる。

 紫の瞳に映るのは、揺れる白だけ。


 また願いが来る。

 また契約が結ばれる。

 また何かが失われる。


 その繰り返し。


 なのに。


 今日は、ほんの少しだけ違った。


 足音が、軽い。

 恐怖の重さが、ない。


 ――ふうん。


 人間にも、いろいろいるらしい。


 私は、まだ姿を見せないまま、

 霧の奥で小さく息を吐いた。


 次に口を開くとき、

 それが「いつも通り」になるかどうか。


 それはまだ、決めていない。

次回もお楽しみに!

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