01 旅立ち「主人公レンジの回想」
新たに生を受けた。そして新たなる旅立ちに備えて心の調整をしている。
ここに至るまでの回想だ。それはもう最後の段階に入ろうとしている。
◇
たしか25歳の時だったと思う。
交通事故で意識が戻らない身体になって植物状態のまま、30年後に死去した。
それは平成の世が幕を閉じた頃だった。その後の年号は知らないまま。
「だが良い。
もう生まれ変わったみたいだし……」
俺は異世界転生を受けた。立っていたのは神界。
頭上に言葉が届けられて見上げると、同年ぐらいの長髪の女がいた。
俺が目を白黒させて困惑している様子を制するように。
彼女はそっと片手をかざし、「女神デアディア」と名乗った。
「であであ? なんて呼びづらい名前なんや……」
と、思わず零してしまい、失礼だったかと自身の肝を冷やした。そんなこちらの心境には目もくれず用件だけが伝えられた。
彼女に誘導されて「講習」を受ける部屋へ案内され、今いる世界について様々に受講する。さすがに全てのことではなく、自分が最低限生きていけるだけの勉強だった。
その結果、自分が果たすべき仕事の世話までしてもらった。
先ずはそれを受けるしかなく、俺は「環境治療」に携わっていく様だ。
◇
「またか……」
と、思わずため息が漏れた。
俺の前に現れた女神の姿は受講の後は見ることがなかった。
心行くまでじっくりとは行かないが、暫くここで生活を共にした。
基本は自由で、スローライフで構わないのだとか。
使命的な何かを強要される生活ではないことが解り、安堵した。
自分の決意が固まったらそのタイミングで地上に降りていく。
そこで静かに「頂いた能力」で活躍をすれば良いだけだ。
俺としては他人との関りは、もう──望まない。
そういっては首を横に振り、俯き、煮え切らない態度で何度も暗い顔を神界の者たちに見せてきた。
「生前の因縁のようなもの、と女神はいってた──」
生前に嫌な目に遭った。その辺の微かな因縁は残るらしい。
「記憶をすべて消す」という選択肢もあると、そう教わるが、さすがにそれは勘弁してほしいと本気で思い、拒否した。自分でなくなることをまだ受け入れられなかった。
そのために自分の仕事がこれに決まったのだとか。
どこで誰に成ろうとも、生を受けて再び人生を歩むなら、他人との関りを拒んでも関わるしかない、そういう意味なのか。
「だが自在に動けるだけ、まだマシだ……」あらゆる痛みの抜けた健康優良な快適な肉体を頂いていることは素直に喜べる。
見た目は地上人の二十歳。
「まだ日本人をロクに堪能していないのに……」
鏡や水面に自分の顔が映るたび、緋色や琥珀色の目に抵抗を感じてしまい目を伏せていた。
「こ、これ……俺を跳ね飛ばした外国人みたいになっとるやないか~……ッ!」
強い要望を出した。黒髪と黒い瞳は残してくれと。
女神が「受け付けられないなら」と配慮してくれ、それは優しかった。
受け入れがたい現実が多くてなかなか地上へと踏み出せずに神界に自分の意思で長くとどまり続けたのだ。
「粘った甲斐があった。黒髪、黒い瞳を取り戻せた……」
◇
生前の世の中では冒険やサバイバル系のゲームが流行っていた。
仕事も近場のオフィスなのに自転車通い。ゲーム開発会社の日々のデスクワークでは運動不足になりがちで、休日もテストプレイに夢中で部屋に籠ることが増えたが若さにかまけてトレーニングをサボってばかり。少し鈍った身体で偶の外出。
「眠気覚ましのコーヒーが切れてる。夜食も含めて買い出しに行っとくか」
居住区の衣棚時空から室町時空を抜けて油小路通り十一条の交差点へ。
横断歩道の信号待ちは人通りが少ない摩擦のない道を選んだ。向かいに見えるコンビニから勢いよく飛び出す坊や。点滅間近の歩道をこちらへ全力で駆けてくる。
信号待ちの車両も後続車も見当たらなかった。子供が歩道の真中を過ぎる頃、遠方より路面と対峙する様な低い駆動音を吐き出す四輪が俺の耳に障る。
一抹の不安と共に、上の方から空吹かしのスポーツカーがぶっちぎって来るのを横目に見る。その車体の低さに底突きの不安がよぎるほどの異形の外国車。
子供もそちらに気を取られ見つめ、立ち止まってしまった。
心の叫び声が身体より先だった。
『いけない、このままでは轢かれてしまう! 坊や早く渡り切れ!』
凍り付いたようにその場にとどまる坊や。俺の足は前傾姿勢とともに自然に前へと向かった。
「……まだ間に合う!」
通りすがりの子供に訪れた危機を救うため、俺もダッシュで駆け寄ったが接触事故に遭う。中学時代は陸上部にいた、足には自信があったはずなのに。車はそのまま逃走したが、子供はなんとか無傷で済んだ。俺の身体は転がる石の様に丹波橋辺りまで跳ね飛ばされた。
リアルは冒険者でもないのに馬鹿みたいだったか──と薄れていく意識の中での救急搬送。
眠っている間──
「……もう子供なんか嫌い、助けたくない」身体が麻痺で動けない現実の中、そんな情けないうわごとを漏らしていた様だ。
死の直前に一時回復した。家族が「レンジ。よく頑張った。偉かったな!」と激励。その目から滴り落ちる雫が血涙にしか見えなかった。年老いた家族の顔に時の流れを感じた。かけた心配と苦労はいかばかりか。
けれど、一瞬だけだ。意識が回復したのは。30年の時間経過は分からなかった。永い眠りについていた自分を知らなかった。自分にこんな言葉を掛けてくれるのは家族だけだと信じたかっただけだ。
俺はただ、目を覚ましたに過ぎなかった。ろくに口も聞けない、応えてやれるのは目の瞬きだけだった。最早、泣くことも許されない泥人形の様な廃人だった。
それが命日の遠い日の想い出さ。
──切なくて、とても寂しかった。──とても悲しかった。
悲しい気持ちの涙があったか、目覚めた喜びの顔だったか、もう覚えていない。
あの時に感じた苦い体験からの脱却──願いとして通じたのかもな。この転生。