1 転生
今僕は小高い丘の上に立っている。
眼下に広がるのは、王都の街並み。
その中央に僕が生まれ育った王城が立っている。
『久しぶりなんだろう?』
僕の横に立つフェンリルのシオンが僕の手をペロリと舐める。
「ああ、そうだ。ようやく帰って来れた」
あの日、両親を殺され、王城を追われてから約13年。…長かった‥‥。
王都の中心にある城を見ながら、この世界に転生した18年間を思い返していた。
******
その日、僕は浮かれきっていた。
高校のクラスメイトで前から気になっていた彼女に告白して、次の日曜日にデートの約束を取り付ける事が出来たからだ。
帰り道、鼻歌交じりでデートプランを練りつつ、浮かれた足取りで青信号になるや否や、周りも見ずに足を踏み出した。
キキーッ!
急ブレーキの音と同時に身体に衝撃が走ったと思ったら、僕の体は人形の様に吹っ飛ばされていた。
スローモーションの様に体が宙を舞っている様な感覚を受けながら、僕の意識はそこで途切れた。
狭くて窮屈な感覚に意識が浮上する。
ぎゅうぎゅうと押し潰されそうな圧迫から開放されたと思ったら、息をしていない事に気づいた。
酸素、さんそ‥‥。
大きく息を吸い込むと、
「オギャー、オギャー」
何だ? 何処かで赤ん坊が泣いてる?
あれ?
もしかして泣いてるのは、僕?
「おめでとうございます、王妃様。お世継ぎがお産まれになりましたよ」
僕を抱いている女の人が誰かに話しかけている。
「ああ、良かったわ。陛下も喜んでくださるわね」
王妃?
お世継ぎ?
陛下?
あれ? 僕って王子って事?
いやいや、さっきまで僕は17歳の高校生だったはず。
これってもしかして、転生ってやつなのかな?
僕の頭はかなり混乱しているが、その間にも産湯を使われ、上等で柔らかな着心地の産着を着せられた。
「坊や。やっと会えたわね」
優しく頬を撫でられて、目を開けてみるとぼんやりと母親の顔が見えた。
ローズブロンドの髪に菫色の瞳。
今まで見たことのない髪の色と瞳の色に目を見開いた。
何だ、これは?
まさか、ここは…。
かつらとカラコンでないなら、やっぱりここは異世界だな。
じゃあ、僕の髪と瞳は何色なんだろう?
「まぁ、瞳はわたくしと同じだわ。髪は陛下と同じシルバーブロンドね。それに右手の甲には紋章も」
紋章? 何だそれ?
僕の髪と瞳の色がわかったのはいいが、更に別の疑問が生じる。
「マリアンヌ! よくやった!」
いきなりの大声に体がビクンと反応する。
「もうっ! 陛下! 坊やがびっくりしてるじゃありませんか! もう少し静かに入って来られませんの?」
「あぁ、いや、済まない。つい嬉しくて‥‥」
母親に窘められて父親がオロオロとうろたえている。
王様の威厳なんて欠片も感じられない。
これってもしかして尻に敷かれてるってやつ?
二人の関係性が垣間見れて思わずニヤッと笑ってしまった。
「あ、今俺の顔を見て笑ったぞ」
いきなり目の前に男の顔が現れた。
シルバーブロンドに赤い瞳。
男の僕でも見とれてしまう位に美形だ。
て言うか、母親によく似たような顔立ちだな。
まさか兄妹で結婚はしないだろうから、親戚同士なのだろうか?
両親がこんな美形なら僕もそれなりにハンサムなのかな?
前世が十人並みだったから、もしそうなら嬉しいな。
今度はモテまくってハーレムなんて作れるんじゃないか?
ラノベでは王族や貴族は一夫多妻が多いから、もしかして父親には他にも奥さんがいるのかな?
だとしたら将来は王位継承権を巡って争いが起きたりして…。
そんな事をつらつらと考えているうちに、生まれたばかりの赤ん坊である僕は、大あくびの後まぶたが重くなってきた。
夢うつつの中、僕の名前がフェリクスと名付けられるのを聞いていた。
******
一つの命が生まれた頃、とある場所では一つの命が消えようとしていた。
母親の痩せ細った手を、一人息子が握りしめる。
「母上、しっかりしてください!」
息子の呼び掛けに母親はうっすらと目を開ける。
しかし、その瞳は息子を見てはいなかった。
「あぁ、あなた‥‥」
夫を呼んでみてもその声は届かない。
「母上、父上はもうすぐ帰って来ますから」
そんな慰めを言っても父親が帰って来ない事は息子もよくわかっていた。
それでも母親の命を繋ぎ止めているのは夫への思いだけだった。
息子の存在など何の力にもならない。
跡継ぎを産んだというのに感謝もされず、それがさも当然だとばかりの夫の態度に母親は息子への興味を無くしていた。
今にも命が尽きそうな瞬間ですら、側にいてくれる息子など、どうでも良かった。
せめてもうひと目だけでも顔を見て、名前を呼んで欲しかったのに…。
それすら叶わないまま、母親の命は尽きようとしていた。
ふと、母親の手から力が抜け、息子の手から滑り落ちた。
閉じた目から涙がひとしずく落ちる。
「母上! 母上!」
息子がもう一度手を握っても反応が返ってくる事はなかった。
息子は徐々に冷たくなっていく母親の手をただ握りしめるだけだった。