別れの言葉
少し短いです。
チャリティが終わり、簡単な打ち上げが行われた。それは、ニコラ・ヴァレンシア孤児院の卒業生たちにとって、小さな同窓会でもあった。
島主のガレア、進行役を務めたメグミには、惜しみない賞賛と、少し皮肉交じりの激励が贈られた。
「この島を、これからも守れよ! 孤児院もな!」
「良いイベントだった。……あんたたちにしては上出来だ。」笑い声もあった。
けれど、誰もが心の奥で、言葉にできない想いを抱えていた。
――ニコラのことだ。
病に伏した彼女には、誰も面会を許されなかった。今回、約束を破って島に戻ってきたことに、後ろめたさを覚えている者も多かった。
彼らにとって、ニコラはただの育ての親ではない。厳しく、優しく、泣きながら、怒りながら――
たった一人で、何十人もの子どもたちを、大人になるまで育て上げた、かけがえのない母だった。
※
……今も忘れない。
島を離れる朝、港で、ニコラは一人ひとりを、両腕でぎゅっと抱きしめた。
「絶対に、負けるな」と、耳元で囁いた。
泣くのを我慢していた彼らの背中を、無言で何度も何度も叩いた。
笑って見送るはずだったのに、最後、ニコラの目からはどうしても涙が溢れた。
「戻ってこなくていい。――胸を張れる大人になって、どこかで生きろ」それが、ニコラの最後の言葉だった。振り返るなと教えられた。
でも、誰もが、振り返らずにはいられなかった。
港に小さくなるニコラの姿は、ずっと、心の奥に焼き付いている。
※
ガレアが立ち上がり、終了の挨拶をしようとしたときだった。会場の扉が静かに開き、リコが車椅子を押して現れた。
――その上にいたのは、ニコラだった。
一瞬で、会場の空気が凍りついた。
そこにいたのは、あの日、笑って送り出してくれた、あの誇り高い母の姿ではない。
痩せ細り、土色の顔に浮かぶ骨ばった頬。
抜け落ちた髪。
くぼんだ目だけが、それでも変わらぬ強い光を宿して、彼らを見つめていた。
誰もが立ち尽くし、ただその姿を、呆然と見つめるしかなかった。
小さな、小さな声が、会場の沈黙を破った。
「――お前たち、何で帰ってきた?」
絞り出すようなその声に、誰も答えることができなかった。
「……一流になったか? ……それが、お前たちの……全力か?」問いかけは、叱責でも責めでもない。
ただ、あの朝、港で背中を叩いてくれたときと同じ、底知れぬ愛情と誇りに満ちた声だった。
ニコラは、震える手で必死に笑顔を作った。
かつて、何度もそうして、幼かった彼らを励まし、導いてきた、あの笑顔で。
「……会いたかったよ。嬉しかった」
胸の奥で、何かが静かに、音を立てて崩れた。誰かが、小さくすすり泣く声を漏らした。唇を噛み締め、拳を握りしめる者もいた。
それでも、誰一人として、声を上げて泣くことはできなかった。
ニコラは、小さく頷き、震える声で、最後の言葉を贈った。
「助け合って……生きていけ。……私の、大切な、息子たち、娘たち」
その声は、まるで祝福のようにあたたかく、
けれど、取り返しのつかない別れの響きを帯びていた。
やがて、会場には、誰のものとも知れない涙の音だけが、静かに響き渡った。
※
そして、夏祭りは、二日目最終日を迎えた。
二日目は、一日目以上の良い天気に恵まれた。ヴァレンシア孤児院のかき氷は、大人気となり、飛ぶように売れていた。
そして、夕刻になる。全ての屋台は片付けられる。あとは、聖女様の登場を待つだけだ。広場には、島民も来島者も集まって来ている。
「ノルド、お願いがあるの?」
「どうしたの?」セラに頼まれて、ヴァルとカノンを探していたノルドのところに、メイド姿のリコがやって来た。
「どうしたの?」
「かき氷用の、特製シロップを一つ用意して欲しいの。ばぁばに食べさせたくて。夏祭りの気分を味わって欲しいの。もう少ししたら来るの」
「わかった。それで氷は?」
「今から、港の倉庫に撮りに行く。出来てると良いんだけど。売れすぎちゃって……」リコは表情を暗くした。
「それなら私が作ってあげるわ」すっと現れたのは、妖精ビュアンだ。
「ビュアン、氷できるようになったんだ! 凄い! じゃあ、僕はシロップを作るよ。材料は、持ち歩いてるからね!」
「ありがとうございます。ビュアン様! 妖精様の氷なんて、ばぁばも喜ぶよ」
「ふふん、任せなさい。犬っころ」
リコは頭を下げ、ビュアンは胸を張った。
広場の隅の高台に、ニコラ用のテントが設営されている。そこで、かき氷を作ることになった。
お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。




