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シシルナ島物語 天才薬師ノルド/荷運び人ノルド 蠱惑の魔剣  作者: 織部
第二章

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オークション 3

「最後の出品者は、大航海冒険譚の著者にして、世界的な冒険家、マルコ様です。今回の出品は――その冒険譚の原本、全巻となります。なお、マルコ様は、ニコラ・ヴァレンシア孤児院の第一期卒業生でもございます」

 どよめきが会場を駆け抜けた。

 マルコがゆっくりと歩み出る。

 白髪交じりの髪を丁寧に撫でつけ、深く刻まれた皺の奥に、静かな威厳を宿す瞳。

 身なりは整い、漆黒のロングコートをまとった姿は、彼そのものの印だった。


「マルコだ。今日の朝、この島に着いた。俺の人生で、一番――長い旅だった。ここは、すべての旅の出発点であり、終着点だ」

 手にしたグラスを軽く掲げ、水のような赤ワインをひと口。

 唇を淡く濡らすと、再び口を開いた。

「世界を巡る探索者ってのは、最初は食っていけない。金にならねぇ。じゃあ、どうしてたかって? ――言おう。恥じることじゃない。俺は、ニコラ・ヴァレンシア孤児院に、大金を借りた。もちろん、何の担保もなしに、だ」


 途端、客席から罵声が飛んだ。

「この不届き者!」

「何やってるんだ、恩知らず!」

「金返せ! それで長男か、恥を知れ!」

 だが、その声は――不思議なほど、温かかった。

 叫んでいるのは、かつての仲間たちや弟、妹たち。

 孤児院の卒業生たちだった。

 半分は怒鳴り、半分は笑っていた。


「返したよ。ちゃんと。だから許せ」

 マルコが笑うと、また一斉にヤジと笑いが飛ぶ。


「少し、長い話になる。今まで誰にも話したことのない――俺の人生最大のピンチの話だ」

 静かに、空気が張り詰めた。

 貴賓席の者も、使用人も、見学に来た子供たちまでもが、息を呑んで耳を傾ける。

「強い魔物の話じゃない。けど、俺にとっては……命を失いかけた、人生最大のピンチだった」

 マルコの視線が、遠くを見つめる。


「俺が十の時。この島の魔物の森に、一人で入った。探検だと息巻いてたよ。馬鹿だった。冬眠から目を覚ましたばかりの大魔熊に出くわして……まあ、殺されかけた」

 客席の片隅で、ノルドがそっと息を呑んだ。

 同じ境遇。誰よりもその脅威を知る者として、想像する。

「死ぬと思った。足は動かない。泣くこともできなかった。けどな――覚悟なんて、してなかった」

 マルコの声が、わずかに震える。


「俺は、叫んだ。母さん、助けてって」

 沈黙が落ちた。

 誰も、息を吸わない。吐き出さない。

 今この場にいるすべての者が、その十歳の少年に心を重ねていた。

「助けに来てくれた、強かった母さん。今でも、その時のこと。恐怖と安堵を、夢に見る。……話は、終わりだ」

 マルコはゆっくりと、舞台奥の黒いカーテンに向き直る。

 そして、深々と、頭を下げた。


「ニコラ母さん。ありがとう。愛してる」

 静寂の中、カーテンが――音もなく、わずかに揺れた。

 観客の一人であるノルドは思わず、セラを探した。そして、見つけると安堵した。



 チャリティは大成功に終わった。

 セラは、ネフェルにノルドの契約費用について話すため、彼女の控え室を訪れた。

「みんな、下がって」

 ネフェルは、静かに随行員たちを控室に下がらせると、二人きりの空間を作った。


「契約の費用なら、美味しいサンドイッチをもらったから、いらない。それに、ノルドは友達だし」

 予想通り、ネフェルはあっさりと言った。

「ありがとう。お金のこともそうだけど、ノルドを友達と思ってくれて嬉しい」

 セラは、心から感謝を込めて応えた。

「いえいえ。でも、アマリの一番は譲らないわ」

 二人は、ふっと肩の力を抜き、自然に笑い合った。

 その後、ネフェルは控えめに部屋の外に控えていた随行員を一人呼び寄せた。


「そうだ、セラ。あなたの友達のカノン、どこに行ったかしら? この子が必死に探してるんだけど」

「ど、どうしてそれを?」

 呼ばれた随行員、ガブリエルは目を見開き、驚きの声を上げた。

「私は聖女だからね。……なんて冗談。聖王国だって馬鹿じゃないわ。随行員の身元調査くらいはするものよ」

 ネフェルは肩をすくめて笑ったが、その言葉には鋭い現実感が滲んでいた。


「申し訳ありません。でも、聖女様の随行の務めは、きちんと果たしております」

 ガブリエルは慌てて頭を下げた。

 共和国、そして恩師である司祭に迷惑をかけたくない。その思いが、彼を焦らせていた。

「そんなこと、全然気にしないわ。だって私、アマリに会いに来たんだもの」

 ネフェルは、心から楽しんでいるかのように微笑んだ。


 セラは、じっとガブリエルの顔を見つめ、そして、静かに口を開いた。

「そういえば、目元がカノンに似てるわね。彼女なら、明日きっと祭りに現れるわ。ネフェルから渡してもらうつもりだったけど、これ、あなたに。カノンから」

 セラは、慎重に包みを差し出した。

「えっ? ありがとうございます!」

 ガブリエルは驚きに目を丸くし、包みを受け取った。


「そうだ!」

 ネフェルが突然、何かを思いついたかのように声を上げ、目を輝かせた。

「いいことを思いついた!」


お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。

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