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シシルナ島物語 天才薬師ノルド/荷運び人ノルド 蠱惑の魔剣  作者: 織部
第二章

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奇跡の一夜

 その夜、ニコラ・ヴァレンシア孤児院の厨房は、まるで戦場だった。


 ノシロがシシルナ島の山から珍しい山菜やキノコをかき集め、ニコラの漁船団は夜明け前から海に出て、鮮度抜群の海の幸を運び込んでくる。さらにグラシアスは、大陸各地から手に入りにくい逸品を調達してきた。


 漁船団の団長は豪快に笑う。

「貴族や商人なんかに食わせるのは惜しいくらいだが――ニコラ様の名に泥は塗れねぇ。いや、それより何より、あの方には精をつけてもらわねえとな」

「団長、お前も今日は残って手伝ってくれ」

「任せとけ、下処理なら得意だ」


 指示を飛ばすのは、島庁の総料理長。そのもとに名だたる料理人たちが集結していた。

 シダ通りの名店「迷宮亭」のシェフ、孤児院育ちのノゾミ、そして、無名ながら調理の速さと味のセンスで去年救ったセラ――有名無名を問わず、腕は一流。まさに、大陸有数のアイアンシェフたちである。


「ノゾミ! 俺の畑の野菜だ、頼む、使ってくれ!」

「姉さん、私も手伝う! 今や王国じゃちょっと名の知れたパティシエなんだから!」

 厨房に立ちこめる香りは、すでにごちそうそのもの。


 形式はバイキング。しかし品数は通常の倍以上。選りすぐりの素材に、超一流の技が加わる――それは、もはや宴を超えた“作品”の域に達していた。

「三つ星レストランでも、ここまでは出せないぞ……」

 グラシアスが目を丸くし、ただ圧倒されている。

「つまみ食いはダメよ。ちゃんと賄い、用意してあるから」

 セラは忙しげにフライパンを振るいながら、どこか誇らしげだった。

 隣では若手のシェフがセラの手元を見つめ、呆然と立ち尽くしている。あまりに鮮やかな動きに、次の手が出せないのだ。


「俺、本来は客なんだけどな……」

 そんなグラシアスの独り言にも、返事はない。誰もが手を止める暇などなかった。

 ニコラの子どもたちの中には、料理人や農家として自立している者も多く、手伝いは自然に回っていた。


 受付はメグミ、警備はローカンとヴァル。給仕の統括はネラ。そして、なぜか別室で幼い子どもたちの面倒を見ているのはノルドだった。

「今年はステージに立たなくて済む……はず」

 彼はちらりとセラを気にかける。容態は良さそうだ。なにせこの場には、世界一の名医サルサも、あのマルカスも来ている。万が一の時にも安心できる顔ぶれだった。


 一方その頃、ヴァルとローカンは孤児院の周囲を警戒していた。夜風は涼しく、心地よい。

「ヴァルくん、ご機嫌ね」

 当然だった。彼はすでに賄いで腹一杯になっており、これはただの食後の散歩なのだから。

「だけどね、今日の警備で問題があると大変なんだよ」

「ああ、そうだ。だが、外は任せてくれ」


 ディスピオーネが部下と他の村長たちを率いてやって来ると、ローカンに声をかける。

「村長の皆さんは、会場の方に」

「今日の客は、俺たちレベルじゃ相手にならんよ。それに、母さんに許してもらわんとな。怪しいやつは蟻一匹通すな。すぐに俺に報告しろ!」

 ディスピオーネが部下に鋭く指示を飛ばした。


 夜の帷が島を包む頃、孤児院の前に次々と馬車が到着する。

 豪奢な装いの貴賓客たちが、受付のメグミのもとへ集まってくる。


 その数、顔ぶれたるや――まるで、大陸の実力者たちによる戴冠式でも始まるかのようだった。

 そんな彼らですら、受付で渡されたチャリティ・オークションのカタログを開いた瞬間、ざわめきが走る。


「……なんだこれは。本物か?」

「おい、あの画家の肖像画を描いてもらう権利って……国王ですら断られたって聞いたぞ?」

「これは……“あの本”の原本? まさか、世に出ていない大航海冒険録?」

「はい、すべて本物です。本日、出品者自らが説明いたします」


 メグミは面倒くさそうな様子で、それでもはっきりと答える。

「にわかには信じがたいが……まさか、ここの出身者なのか?」

「さあ、どうでしょう」

 メグミは涼しい顔で受け流した。


 貴賓客たちは興奮と困惑の狭間で、次第に熱気を帯びていく。

 並ぶはずのない“奇跡”が、今夜限りの現実となっているのだ。


「ヴィスコンティ家や、グラシアス商会からの噂は……本当だったんだな」

 目を輝かせた彼らは、まるで吸い寄せられるように会場へと入っていく。

 夏祭りに招かれた有名音楽家たちが奏でる祝祭の調べが、非日常の幕開けを高らかに告げていた。


 やがて全員が着席し、シシルナ島主・ガレアの開会の挨拶が響き渡る。

「どうぞ、まずはお食事をお楽しみください」

 次々と運ばれる料理の香りが、会場を包み込む。

 執事やメイドが我先にと皿を取り、主のもとへ運んでいく。


「慌てることはありません。料理は十分ございます」

 給仕を取り仕切るネラが、落ち着いた声で全体を導く。

「これ……迷宮亭の料理だ。冒険者しか入れない、あの伝説の店の!」

「去年のあれだ! 同じ味だ、間違いない……絶対に他にも、あのクラスのシェフが来てる!」

「この食材、大陸でも滅多に手に入らないぞ……一体どうやって」


 祭りのような喧騒の中で、ただ一人、メグミは静かに全体を見渡していた。


(……見なさい。これが、ニコラ・ヴァレンシアの子どもたちの力よ)


(そして、母さんの“友”の力でもある)


(驚愕するといいわ)


 その夜の宴は、ただのチャリティではなかった。

 孤児院という小さな場所が、大陸中の名士たちを圧倒する――まさに、“奇跡”の証明だった。


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