ガブリエル
急遽決まった夏祭り。その開催に向けて、慌ただしく準備が進められている。普段はあまり働かないシシルナ島民たちも、今回はやる気を見せていた。
ニコラ・ヴァレンシア孤児院の出し物は、かき氷。魚市場にある製氷器を使って、試食会が行われた。
メグミ、リコ、そして孤児院の子供たち。ノルドも参加者のひとりだ。ヴァルはついてきたが、かき氷にはあまり興味がないようで、魚市場の方へと散歩に出かけていった。
ノシロも本当は参加したがっていた。けれど、リジェの具合が悪く、店番を任せられない。祭りの実行委員としても多忙を極める彼は、店を離れられず、残念そうにしていた。
「へー」
好奇心のかたまりであるノルドは、魔道具である製氷器に夢中になると思っていたリコ。しかし、ノルドが興味を示したのは、意外にも、できあがった氷の方だった。
「ノルドって、魔道具には関心ないの?」
「そんなことはないよ。でも、なんでかな。あんまりときめかないんだ」
できた氷を、順番にかき氷機で削っていく。しゃか、しゃか――鉢の中に、透き通った氷の山ができあがる。好みのシロップをかけて、出来上がり。
「わー、美味しそう!」
「俺はレモン!」「私はオレンジ!」
魚市場の中は、外の焼けつくような日差しも、むせかえるような暑さも届かない。けれど子供たちは、わざと外の席にかき氷を持ち出して、夢中で食べていた。
ふと、ノルドはビュアンの気配を感じ取った。
「困ったなぁ、どうしようか?」
こんなに大勢の前に、彼女が姿を現すことはない。
「シロップだけでいいわ。持って帰ってね」
いつもなら拗ねるビュアンが、今回は声だけをそっと響かせ、それだけを伝えて気配を消した。
メグミとリコは、出店の話し合いに夢中だった。
どれくらい売るか? 金額はいくらにするか? 必要な材料や道具は? 担当の分担は?――
リコが真剣にやり取りを進めているその姿に、ノルドは、ふと成長を感じて、驚きを隠せなかった。
※
ネフェルの一行は、ネフェル本人と、そのメイド数名、護衛の聖王国騎士数名。そして、若い聖職者が六名。それだけで構成されていた。シシルナ島での滞在は、祭りを含めて五日ほどの予定だ。
島に着いてから数日は、ネフェルはサナトリウムに泊まる。その間、若き聖職者たちは中へは入れないため、実質的に自由時間となる。
「ネフェル聖女様、その間、我々は何をすれば宜しいのでしょうか?」
この類の質問には、聖王国を出てから何度となく付き合わされている。ネフェルは溜め息まじりに、冷ややかに返す。
「知らないわよ、そんなの」
アマリに会えるとはいえ、ずっと付きまとわれていては堪らない。彼女の忍耐力も、もう限界に近い。
「好きにしなさい。この島でやりたいこと、したいことをすればいいわ。その内容に口出しもしないし、報告なんて要らない。……グラシアス、彼らの相手、お願いできる?」
ネフェルのその口ぶりに、大商人グラシアスは即座に顔をしかめた。
「おいおい、勘弁してくれよ。俺にはこの島でやるべきことがあるんだ。俺の楽しみを潰さないでくれ、ネフェル……聖女様」
※
カノンは、ニコラに呼び出された。規則を破った覚えはない。それでも、理由もわからず、圧倒的な強者である彼女に呼ばれると、背筋がぞくりとした。
不機嫌そうなメグミに案内され、彼女の私邸のガーデンルームへと足を踏み入れる。
「……ああ、入ってくれ」
小さな声に招かれた先にいたのは、かつてのニコラではなかった。痩せ細り、気だるげに腰掛けるその姿は、今にも命が尽きそうな老婆だった。
「ああ……」
カノンは、彼女の顔に浮かぶ死相を見て、言葉を失った。
「どうしてもお前に直接伝えたいことがあると聞かなくてな。短時間だけ許可した」
傍らに立つサルサが、静かに事情を説明する。
ニコラがかすかに手を動かすと、メグミが手紙を取り上げ、読み上げ始めた。
『聖ニコラ・ヴァレンシア様
突然のお手紙、失礼いたします。私はガブリエルという神学生で、現在、ネフェル聖女様の随行者としてシシルナ島に滞在しております。姓は捨てておりますこと、どうかお含みおきください。
私は旧バレアルナ諸島共和国の出身でございます。幼少の頃、戦乱によって両親をはじめ、一族のすべてを失いました。運よく聖騎士様に救われ、教会の孤児院で育てられましたが、母はすでに亡くなったと聞かされておりました。
ですが、それが嘘であったことを後に知り、最新の情報では、母が強盗団の一員となり、指名手配者として追われているとのことです。
さらに調査を重ねた結果、母がこの島に亡命していることが判明いたしました。そこで、面会の許可をお願い申し上げたく、筆を取らせていただきました。
深遠なる神の御慈悲によって、この願いが成就しますように。
敬具』
メグミは手紙を封筒に戻し、ニコラの指示に従って、それをカノンに手渡す。
呆然と立ち尽くしながら、カノンは封筒を受け取り、差出人の名前を目でなぞった。
「う、嘘だ……嘘だろ……」
とめどなく涙が流れる。嬉しかった。けれど、それ以上に重くのしかかるのは、自らの罪。決して許されることではない。
享楽に溺れ、自暴自棄に生きてきた。その過去が間違いだったと気づいた時には、もう手遅れだった。
「ごめんなさい。こんな私に……会おうとしてくれて……」
「何を言ってるの? あんたに文句を言おうとしてるのよ! ……いや、殺そうとしてるんじゃないの?」
メグミは吐き捨てるように言った。彼女には、ガブリエルの行動が理解できなかった。
孤児として育った彼女に残されたのは、捨てられた痛みだけだった。その心を癒したのは、今まさに死の淵にある――ニコラ、ただひとり。
「ええ、そうかもしれない。でも……彼の美しい手を、汚させるわけにはいかない。私はもう、彼の前に出る資格もないのよ。生きていたことがわかっただけで、充分。……ありがとうございます、ニコラ様」
涙を止めることなく、カノンは深く頭を下げた。
彼の未来を思えばこそ、もう関わるべきではない――そう思った。
ニコラが、やっとの思いで声を出す。かすれた、とても小さな声。誰にも聞こえないほどのはずなのに、そこにいた全員が、それでも聞き逃すまいと、意識を集中させた。
「……生きていて……よかったな」
その言葉は、不思議と誰の耳にも、はっきりと届いた。
「話は終わりだ。ニコラ様、おやすみください。リコが心配げに待っていますよ」
サルサが、静かに面会の終わりを告げた。ガーデンルームの入り口に、ニコラ用の車椅子を押して、リコが立っていた。
リコがそっとニコラの身体を抱き上げ、車椅子に乗せると、ニコラはわずかに微笑んだ。その微笑みを合図に、サルサとメグミも静かに頭を下げ、ガーデンルームを後にする。
その広い部屋に、カノンただ一人だけ、残された。
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