シシルナ島の夏祭り
季節は夏。地震は起きていない。茹だるような暑さが熱気とともに島を包み込んでいた。
島庁の執務室では、島主とローカンが汗だくになりながら会話を交わしている。ダンジョンの大森林で発見されたバインドカズラの変異種は、他の森では確認されなかった。ローカンを中心に討伐を終えたのは、ついこの間のことだ。
「この暑さだったら、間違いなく絶滅してましたよ、島主様」
「ああ、だがな。種ができる前に倒せば、これから先はずっと安心だ」
確かにその通りだが、ローカンにそんな長期的な視野はない。彼にはシシルナ島民らしい、休みたがりな精神が根付いている。もう限界だった。
「ずっと休みなく働いていましたから、夏のバケーション休暇を頂こうかと」
「それなんだが、ローカン、お前、祭りは好きだよな?」
「はぁ」
嫌な予感がした。こういう予感だけは、ローカンは確実に当てる。
「夏といえば、祭りだな。今年は、大祭を行う」
「ああ、残念です。バカンスで、この島にいない……」
島主の笑みが深まる。許されるはずがない。
ローカンは「あぁぁ……」と深いため息をつき、椅子の背に身を預けた。力が抜け、腕がだらりと垂れ下がった。もう、逃げ場はなかった。
※
夏の大祭を行う理由。それは、シシルナ島の地震に起因するものだ。
春に起きた地震はすでに収まっているが、再び発生するかもしれない。噴火など、島に大きな被害をもたらす可能性もある。
春の地震では、島民の数人が軽傷を負い、古い廃屋がいくつか倒壊した程度だった。しかし、島の広場にある鐘塔から鐘が落ちたことで、一つの噂が広まった。
「精霊王の怒りを鎮めないといけない」
古くからの言い伝えがまことしやかに囁かれ、島民の間に不安が広がっていった。
そんな時、聖王国から使者が訪れた。再び、聖女様が来島するという知らせだ。
こうして、夏の大祭の開催が決定し、シシルナ島の各村の掲示板にその通達が張り出された。
※
翌朝。
「ノルド! ノルド! 大変だよ!」
森の中の隠れ家の扉が勢いよく開かれ、犬人族の少女リコが飛び込んできた。まったく、偽物保湿クリーム事件の時と同じ展開だ。ノルドが製薬を終えて、一眠りしようとする時に限って、こうなる。
「うるさいわね、犬っころ。ノルドはこれから寝るところよ!」
薬作りに付き合っていたビュアンが、宙を舞いながら言った。いや、付き合っていたというより、邪魔ばかりしていた妖精だったが。
「これよ!」リコは夏の大祭のチラシを勢いよく差し出した。
『精霊王の怒りを鎮めるために――
聖女様、再び来島!
夏の大祭開催決定!
お祭りを盛り上げよう!
出店については、港町雑貨屋ノシロまで!』
ノルドは半開きの目でチラシを見つめ、再び寝床に潜り込んだ。
「ネフェルが来るのよ!」
「このことは、アマリは知っているのかな?」
「さあ、でもネフェルのことだから、手紙を書いてるんじゃないかな」
――もちろん、知っている。なぜなら、ネフェルを呼びつけたのは、他ならぬアマリだからだ。
「ネフェルって誰?」
「聖女様だよ。精霊王様の神殿で会ったんだよ」
「ああ、あの元気ねぼすけね」
※
ネフェルがやって来るのは、彼女からの要請だった。
一年先まで予定が埋まっている聖女のスケジュールだが、強権を発動して無理に予定をねじ込んだ。
「行けないなら、逃亡するから」
本気ではないと分かっているが、ルカは聖女の要望を否定しない。
「なんとかしよう」
ルカ大司祭は、やむなく彼女の予定を調整することになった。聖女派遣の要請は聖王国にとどまらず、他国からも寄せられている。各国は、聖女を招くことで自らの影響力を誇示しようとしているのだ。
「また一悶着ありそうだな」
彼は深く息を吐きながらも、決して敬虔な態度を欠かすことなく、聖女に仕えている。
「次は何を用意しましょうか?」聖王国の御用商人、グラシアスが邸宅を訪ねて尋ねてきた。
彼はルカの要望を単に揃えるだけでなく、一流の品を用意することでも知られている。
「まずは、アマリ様へのお土産と、サナトリウムへの贈答品だ」
「かしこまりました。いくつか準備しますので、お選びください。ルカ様ご自身のご要望の品は?」
「……特にない」
私腹を肥やし、権力を振るう——それが大司祭になった理由だったはずだ。だが、いつの間にか、そうした欲は消えている。
ルカが要望したのは、グラシアスが持ってくる蜂蜜酒くらいのものだった。今も水割りにして、二人で飲みながら話をしている。
この蜂蜜酒はシシルナ島のお土産で、ルカには少し甘ったるいが、疲れが取れる気がするので、つい飲んでしまう。
ネフェルが喜ぶ姿を見ることだけに、幸せを感じている自分に気づき、ルカは思わず息を呑んだ。
なぜだ? いつからこんなことを——。
自らの変化に戸惑いながらも、否定しようとする気持ちは湧いてこなかった。
「なあ、グラシアス。自分の行動で誰かが喜んでくれると、嬉しいものだよな」
「ええ、そうですね。少しでも力になれたらと、いつも考えていますよ」
「そうか、そうか。そんなものだよな」
世俗にまみれた彼らが、まるで乙女のような純真な微笑みを浮かべながら、杯の酒を飲み干した。
「ところで、今回のネフェル様のシシルナ島訪問だが、随行者は各国から選抜された、将来有望な聖職者たちが行くことになっていてな」
「それは、どういった理由なのですか?」
グラシアスはすでに会議の情報を仕入れていたが、敢えて尋ねた。
「ふん。聖王国議会の決定事項だからな」ルカは短く吐き捨てるように言う。
各国や地域で地盤を持つ司祭たちが送り込んでくるのは、決まって見目麗しい青年たちだ。
もしネフェルが彼らのうちの誰かを気に入れでもすれば、その推薦者である司祭は権力を手に入れるだろう。そんな思惑が透けて見える。
「まあ、あの子が気に入るような男がいますかね?」グラシアスは首を捻った。
ネフェルが仲良くしている若い男といえば、ノルドくらいしか思い浮かばなかったからだ。
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