サナトリウムにて
「リコ、着替えて食事にしましょう!」
ノルドの部屋を出ると、メグミが声をかけてきた。
「はい……」リコは曇った表情で答えた。
「馬鹿ね、怒らないわよ。無事でよかったわ。これが冒険よ」
そう言って、メグミはリコをいきなり抱きしめた。
「メグミ姉さん!」
「やっぱり臭いわね。体を洗って、早く着替えてきて!」
そう言いながら、メグミはタオルと着替えをリコに渡した。
リコが食堂に向かうと、ネラがノルドのナイフとダーツを一生懸命磨いていた。
「あ、すいません。後でやるので」
「構わないわ。これは保湿クリーム代よ! 本当にすごい効き目だったわ」
「それより、リコ。顔色が悪いわよ。ちゃんと食べて、ゆっくり休みなさい」
ちょうどそのとき、ノゾミが消化に良いリゾットを運んできた。
リコはメグミと同じ部屋だが、気にすることなく、食事を終えるとすぐに眠りについた。
その頃、食堂ではメグミ姉妹とネラがワインを飲みながら語り合い、夜が明ける頃まで続いた。
※
ノルドが目を覚ましたのは、明け方だった。鼻をくすぐる懐かしい香りに、思わず安堵する。
「母さん……」小さな声だったが、セラはすぐに目を覚ました。
「ノルド、おはよう!」
「心配をかけてごめんなさい! ビュアンが僕を庇って――」
「落ち着いて、話を聞かせて頂戴」ノルドはゆっくりと戦いのすべてを語った。
敵を倒し終えたあと、ビュアンは「さようなら」と言い、身体が薄くなって消えていった。そして、その瞬間から彼女の気配が完全に消えたのだ、と。
セラは静かに聞き終えると、少し考え込んだ後、ノルドの目を見て言った。
「ノルド、そんな形で妖精は死なないと思うわ。古い書物を調べましょう。きっとリコのときと同じよ」
「そうなのかな……」ノルドは不安げに呟いた。
「今は、ノルドがしっかり回復することが先よ。元気にならないと、ビュアンを探しに行けないでしょう?」
「……うん、わかった。ありがとう、母さん」
セラの手を握り返すと、安心したように再び眠りについた。
その頃――
マルカスは疲れているヴァルと共に、大森林の奥へ足を踏み入れ、崖の上に辿り着いた。
「ヴァル、少し休んでいてくれ。崖の下を見てくる」
岩の窪地を覗き込むと、突き出した岩には血の跡が残っていた。さらに、岩の隙間には、高温で焼き尽くされたらしいグリムエイプの骨片が散らばっている。
「こりゃすごいな……。魔力の残滓がまだ漂ってる。大魔術師の仕業か、大精霊のどちらかの仕業に違いない」
マルカスは興味深そうに観察した後、満足して帰ることにした。
帰り道、ヴァルがふと立ち止まり、ある場所を見つめる。モリユ茸の生息地だ。
「……おいおい、本気か?」
ヴァルが無言の圧をかけてくるのを感じ、マルカスは仕方なくキノコ狩りをする羽目になった。
彼らが帰り着いた頃には、馬車の出発準備が整っていた。
マルカスはノゾミにモリユ茸を手渡した。
「ノルド君たちが見つけた場所で採取してきたよ」
「え? 本当ですか? ありがとうございます!」
ノゾミは目を輝かせたが、その様子を見てネラは少し不機嫌そうにそっぽを向いた。
その後、ノルドはサナトリウムへ緊急入院することになった。
「もう、大丈夫だよ!」ノルドは家に帰りたがったが、セラが許さなかった。
マルカスとヴァルが御者を務め、メグミとリコは孤児院で降り、セラとノルドはサナトリウムへと向かった。
ノルドは久しぶりに母の温もりに包まれながら、再び眠りについた。
※
「ノルド、大丈夫なの?」
ノルドの病室に訪ねてきたのはアマリだった。ノルドとヴァルは病室のベッドで昼寝をしている。
「うん、ニコラ様の診察を受けにきただけだよ。家に帰るとすぐに出歩いちゃうから、ここであと数日安静にしていなさいって言われたんだ。アマリは?」
「うん、今年の冬までには退院できて、ネフェルお姉ちゃんと一緒に聖王国に帰る予定みたい」
ノルドは少し寂しそうな顔をしたが、それがアマリにとって幸せなことだと思い直し、微笑んだ。
「お茶会してもいいかな?」
「うん、サナトリウム内なら出歩いても大丈夫なんだ。実はサルサ様の研究室にも出入りしているんだよ」
ノルドはサルサに頼まれて、研究室の薬の材料を使って製薬をしている。
「それ、休んでるうちに入らないわよ!」
アマリの使用人が準備を終え、二人を呼びにきた。ヴァルも大きく欠伸をして伸びをし、後ろをついてきた。お茶会で出されるお菓子に、ヴァルは高級な肉が出ることを楽しみにして、尻尾を大きく揺らしていた。
庭にはお茶会の席が準備されており、たくさんの席が並べられていた。
「おじいちゃん達も参加するって、ノルド、構わない?」
「うん、でもちょっと恥ずかしいな。あの方にかかれば、なんでもない魔物で死にかけて……」
「そんなこと気にしちゃだめよ」
いつの間にか、元勇者たちが席についていた。お菓子にも手が伸びていた。いつもの三人組の悪戯好きな老人たちだ。
元勇者たちにせかされ、ノルドは大森林での出来事を話す羽目になった。アマリには少し刺激が強すぎたようだが、興味深々で話を聞いていた。
話が得意ではないノルドが話すのに、「いやぁぁぁ」「えぇぇぇ」と、普段大人しいアマリが思わず声を上げ、表情がコロコロと変わる。
「ははは、怪談を聞いてるみたいだな」
「ううん、怪談より怖いわ。だってノルドが死にかけてるんだもの」
「いや、目の前にいるし……」
「でも、ヴァルかっこいいね」
アマリがヴァルの頭を撫でると、ヴァルは自慢げに雄叫びをあげた。
ノルドは、秘密にしていた妖精の話もした。元勇者たちであれば、妖精について話さないと矛盾を感じるだろうし、妖精にも詳しいと思ったからだ。
「ほお、お主、妖精と親友なのか?」老人たちですら驚いたようだった。
「ビュアンは、死んでたりしないでしょうか?」
ノルドは声を震わせて尋ねた。
「ああ、その状況ならばあり得ない。ノルドは心配する必要はないよ」
「良かったです」ノルドはようやく心から安心した。
老人たちがヴァルの頭を撫でながら言った。
「それよりも、契約は解除したのか? 再契約する気はあるのか?」
「ワオーン! ワオーン! ワオーン!」
ヴァルは大きく同意し、尻尾を振った。
ノルドは悩んでいた。ヴァルを危険に晒すことになるのではないかと心配しつつ、それでもヴァルを心で感じられないのはとても寂しい。ヴァルも同じ気持ちでいるのだろうと考えると、嬉しくなり、やはり再契約したいという気持ちが湧いてきた。
「だが再契約は簡単なことではない。二度と契約の解除はできない。それと、今度の契約には神への仲介者が必要だ」
「そうなんですか? 神への仲介者ですか? 元勇者様が仲介者になってくださるのですか?」
「それなんだが、わしらでは無理だな」勇者たちは首を振った。
「クウーン」
ヴァルはがっかりと咥えていた肉を落として唸った。
「一人だけ仲介者になれる者を知っている。遠くにいるが、きっと来てくれるだろう」
叫び続けたアマリが疲れて眠くなり、楽しい会は終了することになった。
元勇者たちは三人になった。
「なあ、ただの妖精が、名と形のある精霊王の傘下の者を召喚できるのか?」
「いや、それはもはや、ただの妖精ではないよ」
「名のある妖精だ。だが、ノルドもただの狼族の子供ではないよ」
「違いない」
彼らは静かに微笑んだ。
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