サルサとマルカス
「すいません、マルカスさんですよね」
ノルドが、声をかける。
「いや……」
一人で食事をしている気品のある金髪の男は、席を立ち、周囲を見回したが、諦めて席についた。
マルカスの周りには、カノン、ローカン、ノルド、そしてヴァルが、逃がすまいと取り囲んでいたからだ。
「もうすぐ来ますから、おとなしく待っていてください」
ノルドは、失礼だと思ったが、少し強い口調でマルカスに告げた。
「だがなぁ、怖いなぁ」
マルカスは、自分のことを愚鈍な人間だと思っている。姉は、天才医師として、大陸中で名を知られ、異端となっても、吸血鬼の末裔であることも隠さず、自分の道を突き進んだ。
だがマルカスは、当主としてヴィスコンティ家の復興も出来ず、歳をとる仮面を被り、好きなことをして時を過ごしたと思っていた。
だから、島に帰ることにしたが、出迎えから逃げ出した。会わせる顔が無いと。
マルカスは、小さな声で本音をぽつりと漏らした。
「わかります。でも心配することはありません」
ノルドには、深い事情はわからない。でも、それとなく自分に置き換えて考えてみた。もしセラ、母さんに会いたくても、呆れられていたら……失望されていたら……
「とりあえず、座ってくれないか」
マルカスは、俺たちに席をすすめた。逃げ出さないか心配したが、マルカスは深く腰掛け、ヴァルが鋭い眼光で牽制しているので、席につくことにした。
「じゃあ、お前がマルカスで間違いないんだな?」
ローカンは、確かめるように尋ねた。無理もない、老人でも昨日の商人でもない姿をしているのだ。
「ああ、何だ! 昨日の夫婦も俺を探していたのか? どうだ、少しは役に立ったか? いや、むしろ邪魔だったかな」
「貴方、知ってたの? 私の呪い」カノンは驚いた。
「当たり前だ。そんなにぷんぷん匂う、初心者の作る呪い。だが、やめておけ。命を縮めるぞ。それと、なかなか良い色をしているな。魔力入りの良い魔法石が完成したな」
マルカスは、カノンの腕のブレスレットを指さした。
「命なんてどうでもいいの。でもやらないといけないことがあるから、まだ死ねない」
「そうか。お前の呪いは刺青を消せば消える。あの人の手なら消せるだろう」
なぜか、マルカスが自慢している。彼にとって、彼女は誇りなのだろう。
「ところで、魔法石とは何だ?」
「はぁ? 魔法石はわかるだろう。お前に売った石ころが、この女の呪いの魔力を吸って、魔法石になったんだよ」
「石ころだって……」ローカンは、目を丸くしている。
「まあ、どんな宝石だって石ころだよ。だが、青碧玉は、この島にはそこらへんに転がってるぞ。ただみたいなもんだ。この島にしかないけどな」
「だが、とても綺麗で……珍しいって……十ゴールドもした」
「磨いてやれば綺麗になるよ。どんな石ころもな。石ころをブレスレットにして売ってるなんて珍しいだろう。高く買ってくれてありがとう」
カノンは笑いをこらえていたが、真剣な顔で言った。
「でも、私には役に立った」
「そうさ、どんな物も、人も、使い方が、生き方が大事なんだ」
もっともらしい言葉に、みんな騙されそうになっていた。
「何を馬鹿なことを言ってるの?」
マルカスの頭を叩く人が現れた。彼は、泣きそうな顔で振り向いた。
「姉さん」
いつも冷静沈着な女性である医師サルサが、その後にとった行動に、その場にいた全員が驚いた。
「お帰り、マルカス」
そう言って、サルサはマルカスを泣きながら抱きしめた。
その隣には、リコが呼びに行った時にいた島主、ニコラも立っていた。
「まったく、昔からめんどくさい姉弟だね」
ニコラは、微笑んだ。
※
マルサス・ヴィスコンティほど、他人の評価と自己評価が食い違う人間——いや、吸血鬼は珍しいだろう。
彼の代に、多才な知識と知恵によって救われた者は数多い。そのため、人々は息子の代になって恩返しをした。だが、マルカス本人にとっては、すべて趣味の延長にすぎない。だからこそ、彼は天才なのだ。
たとえば、競犬新聞を作り上げたり、魔石の特性を解明したりといったように。
マルカスは姉サルサを天才だと思っているが、サルサもまた、弟を天才だと思っている。さらに、姉にない協調性や人を惹きつける魅力を、彼女は羨ましく感じていた。
「じゃあ、帰ったらカノンの手術をしましょう。マルカス、手伝ってね!」
「仕方ないな、十ゴールドも貰ったからな」
マルカスにとって、姉サルサの助手を務められることは、この上ない幸せだった。
※
「ただいま」
「お帰りなさい!」
グラシアスさんの馬車で、ノルドとヴァルは家まで帰ってきた。
リコはニコラ達の馬車で孤児院に、カノンはサルサの馬車でマルカスと共にサナトリウムへ。それぞれ別々に帰っていく。ローカンは残ってクライドと忘年会だ。
珍しくグラシアスがノルド達を降ろすと、急いで立ち去ろうとする。
「夕食でも……」セラが誘ったが、グラシアスは苦笑して断った。
「さすがに、島に留まりすぎました。怒られるのが目に見えるようです」
「それでは、船で食べてください」
予想していたのか、セラはクッキーを手渡した。
「ありがとうございます。それでは良い年を!」
グラシアスの馬車は、港に向けて山道を下っていった。
二人と一匹で見送ると、ノルドが言った。
「母さん、話したいことがたくさんある」
「そう、聞かせてくれるかしら」
「ワオーン!」
ヴァルも話したいことがあるらしい。
※
シシルナ島に、しんしんと雪が降り始めた。
海に落ちる雪は、そっと波に溶け、森に落ちる雪は静かに積もっていく。
森の奥からは、精霊たちの声がかすかに聞こえてくる。それはまるで、遠い昔から続く祝福の歌のようだった。
静かな雪の夜。
それは、シシルナ島の一年の終わりを告げる、美しく穏やかな夜のことだった。
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