カノンとローカンによる払い戻し
二人は案内され、厚い絨毯が敷かれた高級ラウンジへと通される。足元が沈み込むほどの柔らかさ。壁の展示台には過去の優勝犬の彫刻が並び、座り心地の良さそうな椅子に座る客に、スーツ姿の給仕がワイングラスを運んでいた。
「おー……ここが、高額支払いの場かぁ」
ローカンは感心しながら周囲を見渡す。
「静かにして、恥ずかしいでしょ」
カノンが彼の脇腹を軽く突いた。
「なるほどな……」
ローカンは感心しつつも、この場の意味を考える。
金持ちたちに“特別な扱い”を提供することで、彼らのステータス意識をくすぐる――そういう仕組みか。見事なまでの手際だ。やり手だな、この村の村長は。
払い戻しカウンターでは、支払い金額の確認とともに、ヴァルの名が刻まれた記念品が渡されていた。優勝が決まって一時間もたっていない。ローカンは感心しながらも、不満を口にした。
「俺、貰ってないぞ!」
「申し訳ありません。こちらのカウンターでお支払いの方のみとなります」
「あら、ありがとう。これ、セラさんにあげたら喜ぶわ!」
カノンは上機嫌で記念品を受け取ると、大事そうに懐へしまった。
払い戻し金は「シシルナ銀行」に振り込まれるらしく、二人はそのまま隣の銀行カウンターへと案内される。
「こちらに手をかざしてください。登録いたします」
カノンはため息をつきながら、大きな水晶に手を当てた。
――ゾクリ。
ほんのわずかに、魔力が吸い取られる感覚がある。ギルドでよく使われる魔力認証の仕組みと同じだろうが、やはりあまり気持ちのいいものではない。
「はい、登録完了です。こちらが通帳になります。これで他の方が不正利用することはできません」
「本当に?」
「はい。シシルナ銀行の支店なら、どこでもご利用いただけます。通帳はご本人様以外、お使いいただけません」
銀行員は誇らしげに言った。
「すごいだろ? 俺も最初は驚いたよ。シシルナの島民は、子供の頃に口座を作るらしい。身分証の代わりにもなるんだ」
「そんなことより、現金にしたいんだけど」
「申し訳ありません。本日お引き出しいただけるのは、払い戻し金額の十分の一までとなっております。ですので、三十ゴールドまででしたらお渡し可能です」
「……そう。じゃあそれで」
カノンは通帳を差し出し、三十ゴールドを受け取る。
「ちょっと待て! お前、百ゴールドも借りたのか?」
「恥ずかしいわね。セラさんはくれたのよ。でも、借りたことにするって私が言ったの!」
ローカンが反論する前に、隣のカウンターから低く押し殺したような声が聞こえた。
「お客様、すでにご登録がございます。お名前は……様でよろしいですね?」
「――いや、違う。それは別人だ。ただの偶然だ」
ローカンの眉がピクリと動いた。
今の声、どこかで聞いたことがある――そう思い、視線を向ける。
そこにいたのは、例のアクセサリーを売っていた商人だった。
「これまで、このような事例は一度もございません。マル……様で間違いないかと存じますが」
「そうだ。通帳は無くした」
「かしこまりました。では、再発行いたしますね」
――沈黙。
男は、カウンター越しの銀行員をじっと睨みつける。
ちらりと周囲をうかがうように視線を泳がせ、その手がカウンターの上でかすかに震えていた。
ローカンは無言のまま、じっとその様子を観察する。
やがて金と通帳を受け取ると、男は挨拶されても無視し、足早に立ち去った。
「勝ったのに不機嫌とは、変わった奴だ」
「聞き取れなかったけど、名前は何だったの? 気になるわ。ただ者じゃない雰囲気があるもの」
「実は、俺もだ。聞いてみよう」
ローカンは銀行の窓口に尋ねたが、個人情報のためと拒否された。
彼が警備総長だと名乗っても、答えは同じだった。
「別に預金額を聞いてるわけじゃない。名前だけだ」
ローカンが食い下がると、渋々シシルナ銀行の出張所長が姿を現した。
「お名前だけですよ、島主様にもよしなに……」
勿体ぶった態度の男。
「早く教えてくれ!」
「マルコス様です」
「マルコス? マルカスじゃないのか?」
「はい、マルコシアス様です。もうよろしいでしょうか? こちらも忙しいので……」
ローカンはカノンを見つめた。
カノンは、はっと気がついたように、所長に尋ねる。
「そうね。フルネームで教えてくれるかしら?」
「お待ちください、少々確認いたします」
面倒くさそうな雰囲気を漂わせながら、所長は奥へと引っ込んだ。
しばらくして戻ると、書類を確かめながら答えた。
「マルコシアス・カスティーオ・ヴィスコンティ様です」
「それなら、マルカスと名乗ってもおかしくないな。しかし、似顔絵、全く当てにならないじゃないか!」
「そうね。でも、見つけたわ。追いましょう」
ローカンとカノンは、人影の消えた競犬場を後にし、入場門へと戻った。
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