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シシルナ島物語 天才薬師ノルド/荷運び人ノルド 蠱惑の魔剣  作者: 織部
外伝

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カノンとローカンによる捜索

 カノンは昨夜のことを覚えていないようで、あっけらかんとした顔をしていた。


「腹減ったな、朝飯にでも行こう!」


 全員で賭博宿の朝食をとることにした。採れたてのブラッドオレンジやレモン水が爽やかで美味しい。ヴァルは厨房に顔を出し、特別にまたもやジビエの肉を手に入れていた。


「へぇ、じゃあ、ヴァルに賭けないとね!」

「子供は賭け事禁止だよ!」

「じゃあ、ローカンさん買って!」

「俺は賭け事はやらない主義なんだが」


 賭け事で身を滅ぼしてきただろう近親者を見てきたローカンは、嫌な顔をした。

 朝食の話題は、ヴァルのアリーマ記念の出場だった。すでにその情報を仕入れた宿泊者たちが、遠巻きに小狼へ熱い視線を送っているのがわかる。


 高級賭博宿には、祝祭後の娯楽を求めて集まる貴族や大商人、高名なギャンブラーたちが多い。そのひそひそ話は、ノルドやリコ、ヴァルにも耳に入ってきていた。


「なにせ、過去に出場した狼で負けた奴はいないぞ! 俺は昨日、過去の結果をすべて調べた」

「だがなぁ、それはみんな勇者の眷属たる賢狼だし、大人の狼だ。ヴァルは……脚が短くないか? 頭も悪そうだぞ?」

「そうだなぁ……」


 能天気にふらふらと食堂を歩くヴァルからは、品位も知性も、ましてや闘争心すら感じられないのだろう。


「ここだけの情報だが、障害物が追加されたらしいぞ」

「え? じゃあ、今年も——」

「ああ。競犬協会も競犬場も黙ってるわけがない。ニコラ様の手前、参加は認めたが……」

「昨夜、大掛かりな工事をしてたらしい。きっと、障害物の情報は一部の参加者にだけ流れて……」


 なるほどね。ヴァルの参加に否定的だったノルドだが、不正の噂を耳にして表情を険しくした。


「ヴァル、絶対勝て!」


 小狼は、そのノルドの言葉に、余裕たっぷりに尻尾をゆっくり揺らし、耳を立てて頭を高く上げた。


「ヴァル、練習に行こう!」リコが手を叩く。「ワオーン!」

「いや、それだと疲れちゃうだろう!」ローカンが止めるが——

「問題ないですよ、ローカン警備総長。ヴァルの体力は、ものすごくありますから」

「そうだね、ヴァル君が負けるなんてありえないな!」


 ローカンは心の中で、賭ける決意を固めた。


 競犬場の裏手には牧草地帯が広がっており、そこには馬と牧羊犬の姿があった。


 シシルナ馬は気性が激しいが、とても速い。その馬たちを誘導するのが、賢く俊敏なシシルナ犬たち。アリーマ記念に出場する犬のほとんどが、このシシルナ犬だ。


 競犬場の表手には、今日のイベント目当ての来場者を狙い、年内にもうひと稼ぎしようと屋台や店が並んでいる。


「お、ノルド!」声をかけてきたのは、ノシロだった。

「ノシロさん、屋台出してるんですか? 一人で?」

「ああ。このままじゃ年を越せないからな。リジェはメグミと母さんといるよ」

「一緒じゃないんですね?」

「当たり前だろ。そんなの三人から怒られるに決まってるだろ」

 

 ノシロは、冬を越すために必要な食料の加工品——燻製肉や干し魚、蜂蜜漬けの果物を並べて売っていた。


「お前たちの探し物も知ってる。見かけたら、すぐ知らせるよ」


 ローカンとカノンは変装して、二人でマルカスを捜していた。しかし、ローカンの顔を知っている者にとっては、ほとんど意味のない変装だった。


「ローカン警備総長、ご苦労様です!」


 すれ違いざまに声をかけられ、カノンは思わず足を止めた。ローカンは微かに目を細めたが、動じることなく歩き続ける。


「……変装の意味、まるでないじゃないの」


 カノンが低くぼやくが、ローカンは気にした様子もなく、そのまま歩を進める。

 その間にも通行人たちはちらちらと彼らを見つめていた。カノンは舌打ちを飲み込み、しっかりと眉間に皺を寄せた。


「そこの旦那様、奥さんにプレゼント、これなんかどうだい?」

 不意に声をかけられ、カノンは一瞬身構えた。露天のアクセサリー商が、手に持った黄碧玉のネックレスをひらつかせながら、にこやかに売り込んできた。


「……は?」


「いやね、奥さんには似合ってると思ったんだがね」

 その男は、深めの帽子をかぶり、服は汚れていた。

 カノンは眉をひそめるが、ローカンは軽く笑い、「ははは、それじゃあ、レースが当たったら買うよ!」と軽くかわす。


「そりゃあ、頑張って当ててもらわないと!」

 商人が軽口を返しながら、別の客に目を向ける。その隙に、ローカンは店先の品々を見回し、不意に指を伸ばした。


「しかし、品数が少ないな。しかも魔石だけか?」店に並んでいるのは、ほんの数点だった。

「ああ、売れちまってな……ははは」

「おやじさん、これは?」


 ローカンが指を指した先には、店の隅にひっそりと置かれていた一本の紐。その紐には、深い青緑色を帯び、どこか神秘的な光を宿した魔石が通されていた。


「おお、それか。シシルナ島で採れる珍しい青碧玉のブレスレットだ。……あんた、なかなか目がいいね」

「気が変わった。これをくれ!」

「あいよ、金貨十枚だ。そうだな、奥さんには、こっちの方がお似合いだな」


 商人は即答したものの、ローカンが躊躇なく金貨を差し出すと、商人は少し驚いた様子で袋にブレスレットを入れ、手渡す。ローカンはそれを受け取ると、満足げに頷いた。


「いい買い物をした」

 

 カノンが呆れたように彼を見やる。


「……で、その妙な魔石、何に使うの?」


 ローカンは微かに笑い、カノンを横目で見ながら紐を弄ぶと、肩をすくめた。


「さあな。ただ、あの商人、あんまり商売上手じゃないな」


 カノンは小さく鼻を鳴らし、「あんたも大概だけどね」とだけ言って、歩き出した。


 アリーマ記念の競犬場の観客席は、まだ開いていない。前座レースとして、隣の競馬場で、シシルナ馬のレースが行われているのだ。


 やじのような、罵倒のような大歓声が、聞こえてくる。どうも人気のある馬が負けたらしい。


「あ! マルカスが、買い物でうろうろしてるとは思えないな。競馬場に行こう!」


 カノン達の持っている情報は少ない。サルサは、あまり詳しく話すことを拒絶したからだ。ニコラも知っているようだったが話さなかった。


 情報は、検問の時の人相書と、マスカスの行きそうな場所だけだ。


「目立つ男だ、すぐわかる。それと、人相書は当てにならん」サルサの言葉が耳に残る。


 興奮冷めやらぬ観客達が、競馬場の観客席から吐き出される。レースが全て終わったらしい。

 出てきた観客の中にそれらしき人物は見つからなかった。


 








 




お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。

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