ヴァルとアリーマ記念
もちろん、続きです
ローカンたち一行は、賭博宿の自分たちのリビングルームで飲んでいた。
豪華な部屋には無料の酒がふんだんに用意され、ローカンは珍しく饒舌になり、自分の生い立ちやシシルナ島に来るまでの話を語っていた。
「だから、俺はさ、七男なわけよ。田舎男爵のな。そこらの農家より貧しくて、ちっぽけな土地を耕すしかない。でも、貴族らしくしろって言われても……そりゃ無理だろ」
いつもより砕けた口調のローカン。
ノルドやリコは、未知の世界の話に目を輝かせ、次々と質問を投げかける。
ローカンはそれに応じて楽しげに思い出を語ったが、カノンは静かに耳を傾けるだけで、自分のことを話すつもりはないようだった。
やがてリコが「眠くなった」と呟き、その場は自然とお開きとなる。
ローカンはその後、自分の寝室で一人、酒をあおっていた。
酔いが回り、そろそろ寝ようとしたその時、部屋の扉が静かに開く。
――カノンが立っていた。
「……カノン?」
寝衣姿の彼女は、どこか不自然だった。
足元はふらついていないのに、目は虚ろで焦点が合っていない。
「好きにしていいわ」
カノンはゆっくりと寝衣の紐に手をかける。
滑るように布が肩を抜け、暗い部屋に青白い肌があらわになった。
「おい、ちょっと待て」
ローカンは思わず上半身を起こす。
カノンは静かに歩み寄り、ローカンの肩に手を添える。指先はひどく冷たかった。
「……私じゃ、不満なの?」
低く甘い囁き。
だが、その奥には切迫した何かが滲んでいた。
(しまった……さっき酒を飲ませすぎたか?)
「カノン、お前、正気か?」
彼女を引き離そうとするが、逆に押さえつけられる。力が異様に強い。
その時――
「カノンさん!」
リコの声が響くと同時に、寝室の扉が勢いよく開き、小狼が飛び込んできた。
次の瞬間、カノンにぶつかる。
どんっ。
カノンは跳ね飛ばされ、床に崩れ落ちた。
はだけた寝衣が完全に落ち、滑るように肌をさらけ出す。
「大丈夫?」
リコが駆け寄り、慌ててシーツをかける。
その後ろから、ノルドが恐る恐る顔を覗かせた。
「サルサ様から、呪いを抑える薬を預かってます!」
ぼうっとしたままのカノンの口元に、そっと薬を運ぶ。
「ゆっくり……一口だけ」
しかしその時、シーツがするりと滑り落ち、カノンの裸の上半身が露わになる。
ノルドはぴたりと動きを止めた。
「……えっ」
次の瞬間――
「わあああああっ!?」
ノルドは全力で後ろを向いた。
耳まで真っ赤になり、ガタガタ震えながら手探りで薬を差し出す。
「の、飲んでください! でも、見てません!」
だが次の瞬間、ふわりと温かい体温が背中に触れた。
「ノルド……」
カノンが、背後から彼にしなだれかかる。
「えっ!? ええええええ!?」
ノルドは完全に硬直した。
カノンの腕がするりと彼の胸元に回り、ゆるく抱きしめる。
「ノルド……ふふ、かわいい……」
「い、い、いやああああ!!?」
ノルドの悲鳴に近い叫び声が響き渡る。
リコが慌てて彼女を引き剥がそうとするが、カノンはぴたりとノルドにまとわりついたまま離れない。
「ノルド……どうして逃げるの……?」
「ちょっと! た、助けてリコ!!」
「だから今やってるって!」
「ローカンさんも! 何見てるの!」
リコがジト目で睨むと、ローカンは深く息を吐いた。
「……ったく、酒なんか飲んでる場合じゃなかったな」
呪いの薬には強い睡眠作用もあったらしく、しばらくノルドを抱きしめていたカノンは、やがて寝息をたて、その場で眠った。
ローカンが、そっとカノンを抱き上げる。
「……ったく、手のかかる奴だ」
小さく呟きながら、彼女を寝室へ運び、その日はようやく静けさを取り戻した。
※
「ノルド、ノルド、大変、大変!」
朝の散歩から帰ってきたリコが、ノルドの寝室に飛び込んできて、大騒ぎしている。
「……ん? リコ?」
ノルドはぼんやりと目をこすりながら、布団の中から顔を出した。眠れなくて、朝方になってようやく寝たばかりだったのだ。
「おはよう、じゃなくて、大変なの!」
「……どうした?」
「今日ね、アリーマ記念なんだって!」
「……何だそれは?」
リコが勢いよく説明し始める。
「カニナ村の競犬場でやる、すっごいレース! 島で一番強い犬を決めるんだよ! 選ばれた名犬たちが競って、今年のナンバーワンを決めるの! 古き勇者アリーマの名を冠した、由緒ある大会なんだって!」
「ふーん……」ノルドはまだ半分眠ったままだ。
「しかも、ギャンブルでもあるから、マルカスもいるかもよ!」
「それは……見に行かないとな」
リコはぶんぶんと尻尾を振っている。
「しかもね、アリーマ記念には特別推薦枠があるの!」
「ほう?」
「だから、ニコラ・ヴァレンシアの推薦ってことで、エントリーしてきたわ!」
「……へ?」
ノルドは、一瞬、理解が追いつかなかった。
「誰を?」
「もちろん、ヴァルだよ!」
「ワオーン!!」
一緒に散歩に行っていたヴァルが、やる気満々の雄叫びをあげる。
「いや、それ怒られるだろう。勝手に!」
「ニコラばあちゃんは、リコに怒らないよ!」
にこにこ笑っているリコ。
確かに、ニコラ商会長はリコにはとことん甘い。だが、島民の多くにとっては、ニコラ・ヴァレンシアの名は畏怖の対象そのものだ。そんな女傑が推薦したとなれば、競犬場の連中も逆らえない。
「それに、ヴァルのこの目を見てよ!」
ヴァルは顔をぐいっと持ち上げ、ぎらぎらと目を輝かせ、しっぽを勢いよく振っていた。
「いやいやいや……」
ノルドは頭を抱えながら部屋を飛び出した。そして、ローカンを見つけたが——
「ああ、まずい、まずいぞ……!」
ローカンは額に手を当て、忙しなく歩き回っている。
「えっ、何がですか?」
「島主様が来るらしい……! まずい、マルカスを見つけないと……!」
「うるさいわねぇ」カノンが寝室から寝衣のまま出てきた。
ノルドは一気に目が覚めて、後退りをした。
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