カノンとマルカスの捜索
ニコラは、カノンに冷たい言葉を投げつけた。
「私は治療しない。お前を助ける義理なんてないからな」
「ああ、構わない」
「カノン、逃げてはいけないわ。サルサ様、どうしたら助けてくれるの?」セラは必死に頼み込む。
ニコラは、無言でその様子を見守るだけだった。
「そうだな。私の頼みを聞いてくれるなら、治療してやろう。お前の交渉と同じだろう?」
「何をさせるつもりだ? 殺せって言うのか?」
「そんな簡単なことなら、自分でやる。ある男を探し、私の前に連れて来て欲しい。ただし、必ずしらふでな」
※
その男の名前は、マルカス。初老の男らしい。
シシルナ島に上陸したのはわかっているが、検問をすり抜け、その後の消息は途絶えているという。
「危険な人物なのでしょうか?」
セラの声には、ほんのわずかな警戒が混じっていた。
サルサに代わり、ニコラが答える。
「いや、危険ってわけじゃない。優しい男さ。でも、酒と女と賭け事にだらしない。まるで子供みたいなもんだよ」
「どこにいるか、心当たりはありますか?」
「ああ、飲み屋か、花屋か、賭博場だろうね」サルサは苛立ちを抑えるように短く言った。
シシルナ島には、どの町や村にも飲み屋がある。花屋は港町だけ。そして賭博場は、島の奥地にあるカニナ村に限られている。
「わかりました」セラが静かに頷く。
「いや、セラにはこれ以上負担をかけられない。カノン一人で捜索してもらう。それでも、やる気はあるのか?」
問いに、カノンは一瞬の迷いもなく答えた。
「もちろんです。途中で諦めたりしません」
※
カニナ村への長距離旅客馬車には、カノンと監視役のローカンが乗っていた。
「何であんたがついてくるのよ? 大人しく港町で待っていればいいじゃない!」
「ああ、そうしたいところだが、島主様の命令だ」
「何でも言いなりなのね。本当に情けない男だわ」カノンは吐き捨てた。
ローカンは彼女をじっと見たが、口を開くことはなかった。その沈黙に苛立ちを覚えたのか、カノンはわざと鼻を鳴らした。
「……ふん、やっぱりつまらない男ね」
馬車は険しい山道を揺れながら進む。二人の間には、気まずくも冷たい沈黙が広がっていた。
夕方になって、カニナ村に着いた。小さな村だが、祝祭の後、この村で遊んで帰る大陸の人間たちで既に溢れていた。
「ローカン警備総長殿!」村の警備員たちが一斉に出迎えた。
「ご苦労様。ところで、マルカスは見つかったか?」
「すいません、まだ……」警備員たちは顔を曇らせた。
「使えないわね」カノンが冷たく吐き捨てるように言った。
「いや、構わん。いつもの巡回で見つかったら至急、教えてくれ」ローカンは淡々と答えた。
「はい」そういうと、警備員達は走り去って行った。
その日の宿泊施設である、賭博宿「カリエンテ館」に向かう途中。
「あのなぁ、あいつらは非常勤務でやってるんだぞ。今年は聖女様の来る祝祭もあって、特に忙しいんだ」
「へぇ、部下のこととなると庇うのね。そんなに気にすることかしら?」カノンが皮肉っぽく言った。
「庇ってるわけじゃない。ただ、事実を言っただけだ」ローカンは冷静に、だが少し強調して答えた。
※
「ですから、子供たちだけでは宿泊できません」
「ここに、ニコラ様の紹介状もあります!」
犬人族の女の子が机に広げた紙を指差す。隣には男の子と小狼がいる。
「もちろん、本物であれば……宿は手配しますが……」
宿の受付で、何やら揉めている様子だ。
「あれ! ノルド君、リコちゃん」
その声に振り返ると、狼族の子供ノルドはバツの悪そうな顔をして振り向いた。
「ローカンさん……」
「それは本物の書状だ。確認してくれ!」
ローカンが受付に歩み寄り、書状を指差す。
「どうせ、セラが手伝えって言ったんでしょ。受付さん、この子たちはローカン警備総長の連れよ」
カノンが冷たく言い放つと、受付嬢は一瞬驚いた顔をした。その時、騒ぎを聞きつけた支配人が現れた。
「失礼いたします。書状を確認させてください」
支配人が書状を受け取り、内容に目を通す。少しの間、真剣な表情で書面を確認した後、深々と頭を下げた。
「間違いありません。本当に申し訳ありませんでした。すぐにお部屋をご用意いたします」
「いえ、何も謝ることではありませんよ」
ローカンが冷静に答えると、受付嬢が少し戸惑いながら尋ねた。
「ご一緒でよろしいですね?」
こうしてノルドたちはローカンと共に宿の最上階にある、豪華で広々とした部屋へと案内された。
案内された部屋に入ると、ノルドはおどおどと辺りを見回しながらつぶやいた。
「す、すごい……こんな部屋、汚したら大変だよ……ヴァル、絶対汚しちゃだめだぞ!」
小狼に必死で言うノルドを見て、リコが笑いながらその背中を軽く叩く。
「汚したら謝ればいいじゃん! そのためにローカンさんがいるんだから!」
「そ、そんな勝手な……!」
ノルドが困ったように言うと、ローカンは苦笑しつつカノンに目を向けた。
「さすが警備総長様ね。特別扱いなんだ」
カノンが窓際から振り返り、皮肉めいた口調で言い放つ。その目は鋭く、言葉の一つひとつが刺さるようだ。
「違うな、ニコラ様の書状のおかげだ」
ローカンが淡々と返すと、カノンはわずかに肩をすくめたが、その顔には挑戦的な表情が浮かんでいる。
「それにしても、ローカン警備総長は驚かないのね?」
「馬鹿にするな、俺だって貴族の端くれだ」
カノンがさらに挑発するように言うと、ローカンは少しだけため息をつきながら応じる。
「まあ、端の端だけどな。こういう環境には慣れてるだけだ」
「私も同じ、慣れてるだけ」傭兵団の馬鹿みたいなお金の使い方を思い出して、誰にも聞こえない小さな声で言った。
そのやり取りの横で、リコが窓際に駆け寄り、外を見ながら声を上げた。
「見てよ! ノルド! ここから村が見える! あの広場、すっごくきれいだよ!」
「……ほんとだ。夜になったら街灯も点くのかな……」ノルドがつぶやくと、リコは大きくうなずいた。
「絶対きれいだよ! でも、ノルドのお家の方が落ち着くね」
「ああ、間違いない」
ノルドがうなずいたところで、リコが急に思い出したように言った。
「お腹減った! ローカン様、ご飯行きましょう!」
「そうだな。ちょうど食事の場にマルカスがいるかもしれない。出かけようか」
村にある食堂や、飲み屋を回って、それらしき人物を探したが見当たらなかった。
諦めて仕方なく、高いが美味そうな店構えの食堂に入った。
「さぁて、楽しみの時間だぁ」ローカンは、服を着崩して、メニューを開いた。
「ホットワイン二つと、ホットチョコに……」
料理は、素材の旨さもあったが、値段の割には、という感じだった。
「やっぱり、母さんの料理が一番だ」
ノルドとリコは、うなづきあっていた。
ヴァルは、店に入れ無かったが、店から、ジビエの肉を貰ってご満悦だった。
賭博宿に戻って、もう一度、賭博場も見渡したが、マルカスらしき男の姿は見つけられなかった。
その夜は、穏やかに終わる筈だった。




