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ノクティルの森の影

「……知りませんでした。私たち、ただの無知でした」

 ブランナが深く頭を下げる。その声音には恐怖の色があった。


 隣のフィオナも同じように身をかがめていたが、指先は細かく震え、握りしめたローブの裾をくしゃくしゃにしていた。


「ノルドから聞いている。幻影魔術を操る人間など存在しない。あれは闇の系統――魔人族の術だ」


 サルサはそう告げながら、マルカスから受け取ったグラスを軽く揺らした。


 琥珀色の液体が淡い光を映し出し、彼女はそれを覗き込むように口をつける。ゆっくりとした仕草だったが、その眼差しは過去の記憶を掘り起こしているかのように遠くを見ていた。


「たしか共和国都パリスの外れ……〈ノクティルの森〉に根付く一族がいた。その森は、惑わせの森と呼ばれていた。生きてそこを出れる人は稀だった」


 その言葉を聞いた瞬間、ブランナの顔がさっと青ざめた。


 自分が誇りに思ってきた魔術が、「魔人族の証」として突きつけられる。


 彼女にとってそれは、心臓を鋭い爪でわしづかみにされるような衝撃だった。


「だが、そこに棲む魔人族は、仕掛けがばれ、その地を追われ殺された。逃げ延びたものは、人の中に紛れた」


 妹の身体から伝わってくる緊張は、痛々しいほどだった。

「フィオナ……」

 ブランナは彼女をそっと抱き寄せた。


 その腕は強く、姉としての決意に満ちていたが、そこにすがるフィオナの体は細く、か弱く震えていた。


「人族への復讐なんて考えていません。ただ、心配なんです」

 ブランナは小さな声で呟いた。妹を守りたい、その一心だけが胸を占めているのに、どうすればいいのかが分からない。


「安心しろ」

 サルサはグラスを机に置き、低くしかし力を込めて言葉を発した。その声は二人の心を正面から射抜くようだった。


「契約解除の衝撃を和らげる方法は、二つある」

 室内の空気が張り詰め、誰もが息を潜める。


「ひとつは単純だ。フィオナ、お前自身の力を底上げすることだ。魔術師としてのレベルを上げれば、衝撃に耐えられる可能性が高まる。短期間でも、やる価値はある」


「わ、わたしが……」

 フィオナは震える声でつぶやき、自信なさげに自分の細い手を見つめた。討伐は苦手だ。だが同時に、サルサの真剣さは彼女の胸に小さな希望の芽を落としていた。


「大丈夫だ、フィオナ。私が隣にいる」

 ブランナが励ますように声をかける。妹は小さくうなずいたが、その瞳にはまだ迷いが漂っていた。また、ブランナに迷惑をかけるんじゃないかという思いも胸にあった。


「ここには魔物の森に精通した者が山ほどいる。討伐も訓練も、付き合ってくれるだろう。時間はあまりないが……レベルを上げるんだ」


 サルサの言葉に、フィオナはわずかに顔を上げた。それならば……。そして二人の瞳が鋭く光を放った――未来を切り拓くのは、困難に立ち向かう者だ。


「そしてもう一つ」

 サルサは言葉を切り、視線を二人に向けた。その目は鋭さを増し、重々しい響きを帯びていた。


「それは――お前たち自身の心の中にある、二人の盟約だ」

「盟約……?」

「ノルドとヴァルのようにな。互いの力も生も分かち合う。その代償に、死や痛みすらも分け合うことになる。だが、それを覚悟する者だけが契約を乗り越えられる」


 二人は一瞬だけ視線を交わし、迷いなく、強く答えた。

「それこそが……私たちの望む形です」

「さて……理屈はここまでだ。詳しくはノルドに――」


 その時、扉を叩く音が響いた。

「ノルドです。ブランナさん、フィオナさんは?」

 絶妙すぎるそのタイミングに、まるで一部始終を聞いていたかのような気配を覚える。


 〈牙狼〉に隠し事などできない――サルサは苦笑し、肩をすくめた。

「……ちょうどいい。話が早い」


 ノルドは短く息を吐き、真剣な表情で言った。

「最初の契約は、ヴァルが死にかけたときだった。必死に神エリスへ祈った……だから結ばれた。このように」


 ノルドは自らの手にある契約の紋章を見せつけるように掲げた。誇りと覚悟が刻まれた印。


「つまり思いの強さと願う心か……ブランナ、フィオナ。試してみるといい」

「わかりました」


 二人はお互いの目をまっすぐに見つめ、力強く頷き合った。

「それと……契約の解除だが、ノルドみたいな強引なやり方は普通ありえん。出来れば、神に契約の解除を伝える。出来れば、認めてもらう」


「私、何度も神殿に通いました! でも精霊王は言ったんです――『魔人族の頼みなど聞かぬ』って……!」


 その声は涙に濡れていた。妹のために必死で奔走し、どれだけ祈りを捧げても、返ってくるのは拒絶の言葉ばかり。


 無力感と怒りが入り混じり、肩を震わせる彼女をノルドは黙って見つめるしかなかった。







お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。

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