闇の契りと闇の種族
「カリス、隣に来い!」
「はい」
彼女は胸を張り、サルサの横に並んで立った。
「我がヴィスコンティの一族に新たな者を迎え入れた。これからよろしく頼む!」
マルカス以外、そこにいた者たちは皆、驚きを隠せずにいたが、それでも静かに見守った。
カリスは、いつもの悪態とは正反対の、初々しく緊張した面持ちで口を開いた。
「カリス・ヴィスコンティです。一族の名を汚さぬように。母の名を穢さぬように生きていきます」
ノルドはカリスの変化に気づいていた。彼女の匂いがサルサに近づいている。それは――吸血鬼の匂い。
だが、なぜ?
「私の唯一の娘だ。この歳になって作るとは思わなかったがな」
この場合の娘とは、血族のことを意味していた。
※
それは、ノルドたちがダンジョンに潜る日の朝。カリスとサルサは言葉を交わしていた。
「だが、奴の契約は普通ではなかった。神との契約だった」
「私は……結んだ覚えがありません」
「ああ。奴は間違いなくごまかして契約を結んだのだろう。あるいは操り、狂わせ、意識を乗っ取ったのかもしれない。だが、あくまで私の推測にすぎん」
薬に縛られ、魔剣とラゼルの術に翻弄された彼女たち。奴隷契約の存在すら知らず、抗う手立てもなかった。
「一度結んだ神の元での契約を勝手に解除することは危険だ。当然だが、神罰が下される。だが、死の契約を続けるよりはまだ安全かもしれん」
ラゼルの死によって、いつ命を落とすかもわからぬ操り人形でいるよりは。
「だから契約を解除する時のことを考えよう。お前は弱っている、しかも奴の影響を受けやすい人族だ。今のお前には解除はできない」
「サラはどうなんでしょう?」
「あの犬っころは、お前よりはるかに生命力に溢れている。幼いから弱く見えるが、原始の犬人であるサラなら耐えられるだろう……それでも、辛いだろうがな」
「セラからお前のことは聞いている。僅かな時間でも、あの女の目に誤りはない。非常に優秀で、良い魂の持ち主だと」
「それは買い被りすぎです。セラさんにはとても敵いません」
「当たり前だ。セラは只者ではない。――さて、本題だ。カリス、お前、私の娘にならないか?」
突如の申し出に、カリスは固まった。
「私が……ですか? 天才医師サルサ様の娘なんて、許されるはずがありません」
「そんな大層なものではない。だが、お前は決断しなければならない。私の娘になれば、もう人族には戻れない」
ああ、そういうことか。噂で聞いたことがある。サルサは人ではない。魔物、吸血鬼だと。
「……かまいません。いえ、よろしくお願いします」
カリスには身内がいなかった。それが決め手だったのかもしれない。育ててくれた人も、もういない。
「伝説の多くは誤りだ。おいおい説明しよう。マルカスみたいに棺桶で寝て、無駄に伝説を助長する馬鹿もいるがな」
吸血鬼――原始の種族。夜に生きる者。
「ノルドだって夜を生きる牙狼族だ。昼の光に弱いだけで死にはしない。ただ、最初のうちは気をつけろ」
「はい」
「それと、私との契りもまた、神の元の契約だ。不可逆なものだぞ。よいか?」
カリスは震えながらも、こくりと頷いた。
牙が首に食い込み、血を吸われ、血を与えられる。
そして、彼女は吸血鬼となった。
意識を失い、眠る間に体は作り変えられた。――目覚めたのは今朝。
何が変わったのかはわからない。だが、失っていた魔力が体の中に満ちていく。
空っぽの池に雨が降り注ぐように。元の彼女からは考えられないほどの量だった。
「……魔力が違います」
「ああ、そうだろうな。他にも良い面も悪い面も出てくる。一緒に解決していこう、カリス」
「ありがとうございます」
※
ブランナとフィオナは夕食会の後、二人で一部屋を与えられた。
「やはり、このままでは駄目だ。サルサ様に相談に行こう」
ブランナは真剣な顔で言った。
「でも……私にはカリスさんほどの才能はない。救ってもらえないかも」
フィオナが弱気に言うと、ブランナは首を振った。
「それでも、話だけは聞いてもらおう」
二人はサルサの院長室を訪ねた。そこにはマルカスが酒の入ったグラスを片手に座っていた。
「どうしたんだい? そんな深刻な顔をして」
「お願いします! フィオナを救ってください! 才能はカリスに劣るかもしれませんが、良い子なんです。きっとサルサ様のお役に立ちます。マルカス様でも構いません、吸血鬼に!」
「おいおい、“でも”って酷くないか? こう見えても貴族だぞ!」
サルサは彼女たちの誤解に気づき、弟の医師に尋ねた。
「マルカス、フィオナの体はどうだった?」
「だから、どこも悪くないって言ったろ!」
だが、ブランナは納得していなかった。
「……お前たちも理解していないのか……まったく近頃はどうなってるんだ! マルカス、検査器具を持ってこい!」
「はいはい」
マルカスは医務室から注射とシャーレを持ってきた。
「二人とも血を取る。フィオナは二回目だが我慢してくれ。頑固そうな姉がいるから目の前で見せてやる」
採血した血をシャーレに入れる。
サルサは試薬瓶を掲げ、説明した。
「検査液とは、精霊の好むエルフツリーの樹液と数種類の薬を混ぜて作る。聖女の妹アマリの血は赤く光輝く」
マルカスはシャーレを並べ、まず青年の血に検査液を落とす。
――何も変化はなかった。
「いいか、これが普通の人族の血だ」
次に二人の血に検査液を落とす。
最初は赤い液体のままだったが、じわりと黒く濁り始める。
蠢きが次第に鮮明になり、まるで意思を持つ生き物のように、シャーレの中で渦を描いた。
「そして、黒く蠢くのは、我らと同じ古き闇の種族の一つ。魔人族だけだ」
フィオナは息を呑み、カリスは目を見開いた。
「……私たちも、人族ではなかったのか……」
その異様な光景に、サルサは腹を抱えて大笑いした。
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