迷宮亭の賄いと島の危機
ノルドたちは、追い立てられるようにギルドを後にした。
「カリスに会いに行きましょう」
「その前に……アレンの家に寄ってもいいですか?」
「構わないわよ!」
アレンの住まいは大通り沿いの高級マンションの二階。ギルドから歩いてすぐだった。
「アレンさん! いませんか!」ノルドが声を張る。
しかし、返事はない。部屋の奥から物音一つ聞こえず、気配も途絶えている。静けさが逆に不気味だった。
一階の住人が顔を出し、ぼそりと言った。
「アレンなら、連れて行かれたよ」
「……誰に!?」ノルドが思わず詰め寄る。
「わからん。黒い外套で顔を隠したやつだ。見たこともない……よそ者だった」
ノルドの背筋に冷たいものが走った。
「ワオーン!」ヴァルが低く吠える。
「……わかってる。その匂い、間違いない。サガン監察官だ」
ノルドは歯を食いしばる。胸に嫌な予感がまとわりつき、振り払えない。
――重苦しい空気を抱えたまま、一行はシダ通りへ向かった。
※
迷宮亭の前を通りかかったとき、扉が勢いよく開き、給仕長のネラが飛び出してきた。
「ノルド! ひさしぶりじゃない、元気だった?」
「はい。料理もお弁当も、大好評でした!」
「それは良かった! でもね、ちょっと面倒があってさ……あ、そうだ! お昼食べてきなさいな。修道女さんも一緒に!」
扉を開けた瞬間、香ばしい匂いがふわりと漂ってきた。
「お昼って、営業してないんじゃ……」
「今日は臨時休業。だから賄いよ」
キッチンではノゾミが鼻歌まじりに鍋をかき回している。ふわっと立ちのぼる湯気には、きのこの滋味深い香りが混ざっていた。
「はい、出来たわよ。……あら、また新しいノルドの彼女?」
茶化しながら、湯気をまとった皿をテーブルに並べていく。
「違います。依頼主――ラゼル王子のパーティの方です」
温かなリゾットを口に運ぶと、優しい旨みが舌に広がり、張り詰めていた気持ちがふっとほどけていく。
ヴァルには骨付き肉が与えられ、幸せそうにかぶりついていた。
「それでね、面倒っていうのが二つあって」ネラが声を落とした。
一つは冒険者ギルドからの大量注文。しかも「安くしろ」と無理難題つき。
「今回で最後って言ったわ。だから今日は弁当屋よ」ノゾミは苦笑する。
「すみません……」ノルドは胸が痛み、思わず頭を下げた。紹介したのが彼だからだ。
「でも、本当の問題はもう一つ」ネラの眉が曇る。
「ノルド、最近島主様に会った?」
「いいえ……何かあったんですか?」
「メグミ姉さんから伝言があったの。『島主様に関わるな。ラゼル王子にも近づくな』って。しかも珍しく、私にまで釘を刺してきたのよ」
普段は穏やかなネラの声音に、緊張がにじむ。
「ごめんなさい。ラゼル王子の仲間がいるのに……」ノゾミが謝ると、フィオナはすぐに首を振った。
「気になさらないで」
「ノゾミのことは、言われなくても私が守るのに!」ネラは彼女の肩を抱きしめた。
そのときノルドが口を開いた。
「さっきギルドで発表されました。ラゼル王子が島主代行に就任したって」
「それだ!」ノゾミがポンと手を打つ。
ノルドは大事ではないと思っていたが、それは島を揺るがす大事件だった。もし島主ガレアに何かあれば、代行のラゼル王子が即座に職務を継ぐ。――そう説明され、ようやく事態の深刻さを知った。
メグミからの指示がある一方で、島主からパーティをやるからと調理人の依頼が来ていたのだ。
「これは大変な事態です」
ネラが言い、ノゾミは頷いた。
※
「ごちそうさまでした」
ノルドたちは礼に薬を置き、迷宮亭を後にした。
入れ違いにミミたちが姿を見せる。猫人族のリーダーでもあるネラのもとへ向かうのだろう。ノルドは軽く手を振り、先を急いだ。
「まさか走って行くの?」フィオナが不満げに言う。
「ええ、時間が惜しいですから。……それともヴァルの荷車に?」
「ワオーン!」
あっという間にサナトリウム前に到着した。
「うぅ……酔った……」フィオナの顔色は青ざめている。
「大丈夫ですか?」ノルドは笑いをこらえながら声をかける。
門の先はシシルナ島の法律が及ばぬ治外法権。だが門前には数百の警備隊が攻撃陣形を敷いていた。
「何が起きてる……?」
一行は物陰に身を潜め、様子をうかがう。
「カリス様はラゼル島主代行の従者だ! 今すぐ返してもらう!」
見知った警備隊長が、門番に怒鳴っている。
「治療中だ。今動かすのは危険だと、サルサ様が判断されている。しばらく待たれよ」
門番は冷静に答える。
「そんな言い訳は通じん! こちらは武力を用いてでも取り戻す。シシルナ島とサナトリウムの友好を壊す気か!」
「今日は無理だとおっしゃられている」
押し問答が続く。だが警備長の目には本気の殺気はなく、脅しに過ぎないことが伝わってきた。
「母さんもサルサ様も中にいる。勝てるはずないのに……」ノルドは呆れたように息をついた。
「でも、あいつらの前を通るのは無理かな」
「大丈夫。交渉に行くと言えば通してくれるわ」フィオナは自信満々に笑みを浮かべた。
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