未踏破領域
テントでうなされているノルドの汗に濡れた顔と、苦しげにうめく声を聞いて、ヴァルとサラは慌てた。彼女らはすぐに彼を叩き起こした。
ノルドは、ゆっくりと目を覚ますと、あたりを見回す。
喉は乾き、胸の奥にざわめきだけが残っていた。
「ああ、ヴァル、サラおはよう。準備していくよ!」
声は思ったよりも明るく出た。
タオルで顔と体を拭い、悪夢を思い出す。あれは、ラゼルの過去。
テントを出ると、全員、既にテントを片付けて、ノルドを待っていた。
「遅いぞ、荷運び」ラゼルは不愉快な顔で、睨みつけてきた。
祭壇はネフェルが清掃を終えて、灯りは消え、彼女の光魔法で部屋は照らされていた。軽食と水を取り出して配り簡単に朝食を済ませてもらう。
「お待たせしました。行きましょう」
ノルドは、部屋を見回してから、重い扉を開けて、再び、ダンジョンに出る。
ビュアンの気配はずっと無くて心配だが、今の彼には何もできない。待つしか無い。名を呼びかけたい衝動を噛み殺し、足を踏み入れる。
まだ、採掘されていない鉱石が含まれている壁が、近くには溢れていた。
ロッカたちは、手早く作業に取り掛かった。
道具が石を削る甲高い音が、規則正しく響く。
ラゼルは、少し元気がないように見えるが、昨日と同じようにぼっと採掘の状況とダンジョンの先を眺めている。
その横顔に、眠りの浅さの影が差していた。
「ねえ、大丈夫なの? 体調悪いの?」
フィオナが心配げに近寄ってきた。
「はい、寝坊してしまいました」ノルドは、見た夢のことは口に出せなかった。
「そう、私もゆっくり休むことができたわ」
そういうと、担当する見張りの場所に戻って行った。
去り際、ちらりと“無理しないで”という視線だけを残す。
大量に掘り出される鉱石を分別しながら、ノルドはふと気がついた。
袋に詰める手が止まり、耳が静けさを拾う。
※
「あれ? ヴァルとサラがいない……」
「奥の方に駆けて行ったよ。ノルドの指示じゃないの?」
「もう、何をやってるんだよ」
近くの壁で遊んでいると思ったのだが。奴らの五感に、魔物が引っ掛からなかったのだろう。飽きて探検に出かけてしまった。
「お疲れ様でした、大量ですよ。報酬期待していて下さい」
しばらくして、昼の休憩をとらせ、弁当を配った。
「ああ、そうだな。楽しみだ」
「これで、もう帰れるくらい目標資金も貯まったかもね」
ロッカたちは、喜んでいる。採掘担当とは言え、今の彼らの実力から言えば、次の階層で限界だ。
弁当の匂いを嗅ぎつけて、ヴァルたちが帰ってきた。
「お腹減ったぁ、疲れたぁ」
「ワオーン!」
元気で怪我をしている様子は無いが、着ているコートはかなり汚れと傷が付いている。
弁当と干し肉を差し出し、新しいコートを着替えさせる。
「勝手に持ち場を離れちゃダメじゃ無い!」
フィオナの小言を無視しているサラに、フィオナは拳骨を落とした。
「だってえ、魔物いないもん」
「いつ、魔物が近くに来るかわからないでしょ」
「そしたら、すぐに戻ってくるもん」
呆れるフィオナ。そのやりとりは、我儘な妹と姉のようだ。
「それで何があったんだい?」
未踏破領域であるダンジョンの奥。
「うん。何とね、坂道があった。それと蝙蝠の巣。でも、途中で帰ってきた」
整然と階層が並ぶこのダンジョンは、ほぼ平面で高低差が無いのが、特色だ。階層間を繋ぐのは、階段のみのはず。
常識から外れた“坂”は、異変の印だ。
「それは気になるな、採掘はこの辺でそこに向かおう」
ラゼルに会話を聞かれていたらしい。まずいことになった。
「それは……」
「荷運び、お前が反対をする時は、進んだ方が良い結果になる」
「さすがラゼル王子、行こう行こう!」
いや、もしヴァルとサラで問題無く突破てきるのなら、途中で帰ってくるようなことはしない。サラは何かを隠して楽しんでいる。
もはや、ただの従順な奴隷の犬人族ではない。
ノルドは、無意識に、サラの大人になった背中を見ていた。
ラゼルは、一言、「進むぞ、サラ、案内しろ!」と言って立ち上がった。
迷路のように、入り組んだ狭道を迷いもせず進んでいく。ノルドは、手帳を取り出して地図を書く。このダンジョンで狭道が珍しく彼は警戒レベルを引き上げる。
荷運び人のスキルに、マッピングがあるが、彼は取得していない。それよりも、優先するスキルがあったからだ。
代わりに、彼は紙と鉛筆で世界を縫い留める。
角を曲がると、広いなだからな坂道の頂上に出た。
坂道には、ヴァルたちが、倒したであろう蝙蝠、スコーチバットの大量の死体が転がっている。
そして、坂の下には、死体を喰う獣のアンデッド、コープスハイエナの大群がこちらを睨んでいる。
牙の隙間から泡立つ涎。骨がこすれる乾いた音。
「こら、サラ、ヴァル。お前たちの目的はあいつらか?」
ノルドは、深く溜息をついた。自分たちだけでは苦戦するのがわかったサラたちは、仲間を呼びにいくという感覚なのだろう。
「シルヴィアさんとリーヴァさんは後方で投石を。フィオナさんは僕の出す罠を一緒に投げて下さい。ロッカさん、ダミアーノさんは、守りをお願いします」
残りのメンバーには、自由に動いてもらう方が良いだろう。
「ええ、 ノルド。私が罠を投げるの?」
フィオナは嫌そうな顔をした。いつものように姿をくらませて、安全圏から攻撃をするつもりだったようだ。
「すいませんが、適任者があなたしかいないのです」
「……まあ、そうね。か弱いつもりなんだけど」
きっと、サラの方が得意なのだろうが、彼女に直接攻撃に参加してもらった方が良い。そして、冒険者としての、その次に力があるのは、ラゼルでは無くて、フィオナだからだ。ロッカたちとは、レベル違う。
ノルドは収納魔法で投網型の罠を取り出した。
網はずっしり重く、端についている錘が手にひんやりと心地よい。
コープスハイエナが、ボスを先頭に坂を登って、戦いが始まった。
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