沈黙の裏通り ※蠱惑の魔剣37
グラシアスは、セイとガブリエルを連れ、共和国の奴隷商人ギルドへと足を運んでいた。
朝の陽射しは高く、広い通りに影が伸びている。石畳は清掃が行き届き、通りには香木の香りが漂っていた。だが、彼らの目的地は、そんな表通りにはない。
裏通り――それこそが、共和国のもうひとつの顔だった。
「ところで、グラシアスさん。三年前の祝祭、覚えてますか?」
道中、何気ない風を装ってセイが問いかける。けれどその声音には、記者特有の癖がにじんでいた。相手の反応を、冷静に測るような。
「ん? 三年前……ああ、確かサナトリウムにセラ様を迎えに行って、その後セラ家でノルド君とホームパーティだった気がするな。いやあ、楽しかった」
懐かしげに微笑むグラシアスを見て、セイは目元を引きつらせた。
「……それ、ただの思い出話じゃないですか」
呆れたように言いつつも、その声は柔らかい。だが、その言葉の芯は、明確だった。
「聞きたかったのは、その後に起きた『共和国での聖妹誘拐未遂事件』について、です」
隣でガブリエルが、静かに微笑んだ。
それは、相手を責めるでも糾弾するでもない。けれど――その笑みの奥にあるまなざしは、揺るがず真実を見据えていた。
「ああ……あれか。アマリがナンパされて、ネフェルがぶちギレたやつだろ?」
グラシアスの声には、軽い懐古の響きすらあった。
セイがぴたりと足を止める。
大きくはないが、はっきりとした溜息をついた。
「……それ、ぜんっぜん違いますよ。いや、ほんとに」
そう言って、視線をガブリエルに送る。言葉は、彼に委ねられた。
「私は、その場にいました」
ガブリエルは、かすかに目を伏せ、静かに続けた。
「あれはまぎれもなく、誘拐未遂でしたよ。明確な意図を持った、狙い撃ちの」
「そうなのか……」
グラシアスは、そこでようやく眉根を寄せた。記憶の奥を掘り起こすようにして、口を閉ざす。
ネフェルが理性を失った姿――そんなものは、確かに滅多に見られない。
彼女は、いつも快活に見えて冷静だ。例え妹のことであっても。なのに、あの時は違った。
思い返してみれば、その時点で気づくべきだったのかもしれない。
「……僕が記事を書きました」
セイが再び口を開いた。その声音は平坦で、感情は抑えられている。けれど、静かな怒りがにじんでいた。
「証拠も、証言も、取っていました。ですが……最終的に掲載されたのは、不審者による侵入未遂という、まるで別の事件です」
「……は?」
グラシアスが眉をひそめる。
「不審者って……そんな、ぼやけた表現で?」
「ええ。屋敷へ不審者が侵入し、聖妹に接触を試みたという体裁になっていました。警戒強化を促すだけの記事です。犯人の名前は出せず、動機にも触れない。あれじゃ、真実なんて何一つ伝わらない」
セイの声に、悔しさが滲んだ。
「つまり、揉み消されたってことか」
グラシアスは呟いた。驚きは少ない。けれど、確かな嫌悪がその言葉に滲んでいた。
「誰がやった?」
短く、低い声だった。
「実行者は……ラゼル王子です」
その名が出た瞬間、三人の間に一拍の沈黙が落ちた。
グラシアスは、言葉を失ったまま、眉を寄せた。
そこまでのことを、平然とやってのけていたと? ラゼル王子。その本質は未だ誰にも掴めていない。
けれど、今やっと、グラシアスも確信する。
あれは、ただの問題児なんかじゃない。
※
そうして話しているうちに、目的地が近づいていた。
裏通りに入ると、風景ががらりと変わる。
石畳は薄く黒ずみ、建物の壁もひび割れていた。けれど、その奥に建つ奴隷商の館やギルドは、どれも異様に大きく、過剰なまでに装飾されていた。
表通りの整った商業建築とは違い、ここには見せつける富が露骨に並んでいた。
共和国の本音が、そこにあった。
奴隷たち、商人たち、そして客らしき人々が、忙しなく出入りしている。
聖王国の閑散とした奴隷商とは、まるで世界が違った。
「……恥ずかしいことです。しかし、これが共和国の現状です」
ガブリエルが呟いた声には、僧衣の裾を重く引きずるような沈みがあった。彼は、そっと目を伏せる。
※
奴隷商人ギルドの受付で、ギルド長へ面会の約束があることを告げた。
「お待ちください」
受付に立つエルフの女性が、静かに頭を下げた。
その肌は白磁のように滑らかで、髪は絹糸のように整えられていて、微笑みは完璧だった。
その首筋には、奴隷紋が浮かんでいる――彼女自身は、それを隠そうともしない。
ギルドの中は、歴史ある高級宿のようだった。絨毯は厚く、装飾は磨かれている。
やがて、高層にあるギルド長室に通される。そこはまるで、王国貴族の私室のように整えられていた。
「高名なグラシアス商会長にお会いできて光栄です。モンクです」
「いえ、こちらこそ、お忙しい中時間をいただきまして」
共和国の奴隷商人ギルドのギルド長モンク。この大陸の奴隷市場を牛耳っている男である。
「ザワンから話は聞いております。ラゼルの件ですね」
「ええ。安心ください。記事にしませんから」
モンクが、同行者のセイを気にしているのを察知して答えた。
「奴と我がギルドは無関係ですよ」
「モンクギルド長が、可愛がっていたと聞いておりますが」
セイが質問すると、温厚そうな顔を一変させてモンクは睨んだ。
「知っていることを教えてくれませんか? ネフェル聖女にはうまく話しますので」
グラシアスとネフェル聖女の関係を知らぬモンクではない。そして、モンクがこの大陸で唯一恐れている人物
――それが、ネフェルだった。もう一度怒らせれば奴隷制度自体を廃止させられてしまうだろう。
「ああ……聖女様のご意向とあれば、恥ずかしい話ですがお話致しましょう」
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