妖光の貴賓室 ※蠱惑の魔剣8
次の日の朝、ドラガンはラゼル王子を訪ねた。
王子一行の宿泊場所は、高級宿泊施設ではなく、意外にも娼館の側にある、いわゆる連れ込み宿だった。
その一帯は、夜の喧騒を終え、眠りについたばかりで静まり返っている。
わずかに漂う甘い香の残り香が、どんな夜だったかを物語っていた。
「おやじ、ラゼル王子はいるか?」宿の店主と思われる男に尋ねた。
「変わったあだ名だな。知らん」
「ここだと聞いたのだが。金髪の美男子だが」
「知らんな」けんもほろろに、受付は答えた。
「お待たせしました、ガレア様まで。どう致しましたか?」後ろに控えている島主を見つけた店主が、慌てて受付の奥の事務所から出てきた。
「男一人、女三人で泊まっている奴はおらんかな?」と島主が尋ねる。
「それならおるな。二階の一番奥の貴賓室だ。お盛んだぞ」そう言うと、受付の男は隙間のある歯をのぞかせて不敵に笑った。
ぎしぎしとなる階段を登り、狭い廊下を奥まで進む。
突き当たりの部屋が貴賓室のようだ。室内からは、女の喘ぎ声が漏れている。
ドラガンと島主は顔を見合わせ、静かになるのを待ってから扉を叩いた。
暫くして、室内から女の声が聞こえる。
「どちら様でしょうか?」清廉な声が、わずかに焦りを帯びて問いかける。
「島主のガレア・シシルナと、副ギルド長のドラガンです。ラゼル様にお会いしたく参りました」
「お待ち下さい」室内から返事があり、やがて扉がゆっくりと開かれる。
室内は薄暗く、壁にかけられた剣が妖しい光を点滅させていた。
その光は、部屋の中の影を浮かび上がらせ、女性達の姿を映し出していた。
「お入りください」扉を開けたのは修道女だった。白い薄手のローブを纏っているが、下着は着けていない様子で、その美しい肌が透けて見える。ドラガン達の視線に、彼女は顔を赤らめた。
盗賊や魔術師の女も、修道女と同じローブを羽織り、誘惑的な笑みを浮かべている。
どの女も、単なる娼婦ではない、特別な立場にあることが伺えた。
「ちょうど可愛がっておったところでな。あまり待たせても悪いから、寝衣のままで失礼する」
ラゼルは、わざと女の姿を見せつけ、楽しんでいるらしい。
彼の顔は妖艶に歪んでいる。布製の大きな椅子に、ローブを羽織っただけの姿で腰を下ろしている。
「宿を変わられたのですね」島主が言う。
「ああ、ここがよくわかったな。あそこには、お嬢様二人を寝かしつけて置いてきたのでな。つまらん女達だったな。満足はしてもらえたと思うから、不満は出ないだろう」
「ははは」と島主は乾いた笑い声を上げる。
「ところで、こんなに朝早くから何用だ? 魔物でも出たのか?」ラゼルは来訪の理由が全くわからない。
「いえ、ダンジョンのご説明を改めてお願いしたくて」ドラガンが申し出る。
「その件なら任せると昨日、言ったが」
「ダンジョンの踏破は冒険者の仕事です」冒険者副ギルド長は正論を主張する。
「そこは意見の相違だな。だが、手助けをしてもらうのも間違ってはいないだろう?」ラゼルの言葉には、策士の余裕が垣間見えた。
修道女フィオナが上着を着ようと動いたが、ラゼルは彼女の手を引っ張り、膝の上に座らせる。
彼女の視線は、ガレアやドラガンの目線の正面だ。
「フィオナは、俺が人にしてやったのだが、今だにうぶでな。可愛いのだ」
彼女は真っ赤になった顔を床に向け、恥じらいを隠せない。
「それは演技ですよ、ラゼル様」魔術師の女が鋭い声を返す。
「勿論、カリス。お前の美しさは、何度でも味わいたくなる」ラゼルは魔術師に向かって言った。
「まあ、嬉しい。頑張ってご奉仕致しますわ」
カリスは嘘くさい微笑みを浮かべながらラゼルに近づき、首に手を回して背中に体を押し付けている。
「そんなことより、モディナ村に行こうという話になってな。馬車と女の御者を手配して欲しいのだが」
「それでは、私の馬車をお使い下さい。女の御者はおりませんが、男で良ければ」島主が提案する。
「御者は、私が務めます」短身で犬人族の女サラが答える。
「いや、お前達をそんな事に使いたくは無いのだがな」ラゼルの口調には配慮の色があった。
「モディナ村からダンジョン町に着いたら、連絡を入れよう。ダンジョンの完全制覇は、お前達にも良い宣伝になるだろう。ともに考えようではないか」
「わかりました」
「それとガレア殿、要らぬ心配はしなくて大丈夫だ。俺は法は破らん。見張るなら、女にしてくれ」
島主のつけた密偵は、サラに見抜かれ、ラゼルに報告されているようだった。
「道に迷われるかと、要らぬ心配をしてしまいましたな。ははは」
ラゼルは笑う。彼は法を犯していない。少なくとも今のところは。
「話は終わりだ。寝ることにしよう」壁に置いてある彼の剣が、再び妖しい光を放ち始めた。
「それでは、お引き取りを。この後の用事もありますので」魔術師の女が声を発する。
追い出された島主と副ギルド長は、唖然として扉の前で立ち尽くしていた。扉の向こうから、女の喘ぎ声が再び聞こえ出す。
ふと現実に返ったように、二人は慌ててその場を去った。
※
「噂通りだな」
島主ガレア・シシルナは、溜め息交じりに呆れた声を漏らした。
「それで、どうしますか?」
ドラガンの問いには、歩調を乱さぬ硬さがあった。
二人は宿を後にし、まだ人通りの少ない街路を並んで歩いていた。朝霧が石畳に薄くかかり、遠くから市場の荷車の音だけがかすかに響いてくる。
「死なれては困る」
ガレアは低く言った。「……最悪の場合、俺たちも遠征に同行せねばなるまい。すまん、迷惑をかける」
「それが島主様のご意向であれば、パーティリーダーに従いますよ」
淡々とした声色の裏に、ドラガンの覚悟が垣間見えた。
足元の水たまりを避けるように進みながら、二人の間にはしばし沈黙が流れる。
「ははは……サガンにも声をかけておくよ。ところで、ノルド君が同行するのかな?」
「はい。報酬は弾んであげてください」
「もちろんだ。こういう時のために、金はしっかり準備してある」
――ラゼルは、公国の第三王子である。
お忍びなら、もしダンジョンで命を落としても、ただ「知らなかった」と言えば済む。
だが今回は違う。歓迎の宴も開かれ、各所に紹介も済んでいる。今さら「知らぬ」では済まない。
外交問題。責任問題。
そのどちらに転んでも、面倒なのはこの島だ。
「楽しい時間を過ごしてもらい、さっさと帰っていただく」――当初の計画は、宿の扉を開いた瞬間から音を立てて崩れた。
「冒険者になる人間が、貴族を名乗るな……」
呟いたのはどちらか。あるいは、二人同時だったかもしれない。
第九階層は、溶岩の迷路だ。
道が日ごとに変わるため、地図は通用しない。スキルがなければ進めず、あっても迷い道に入れば体力は奪われ、戻る術もなくなる。
そして何より、行った者には――必ず「帰還」が求められる。
「まあ、俺たちでも死にかけた。そこまで行くとも限らんがな……」
ガレアは足を止め、空を仰ぐように深く息をついた。
澄んだ朝の光が、彼の瞳に白く映り込む。
――あの男の笑みと、魔剣が灯していた妖しい光が、脳裏にちらつく。
ただの冒険者ではない。だが、ただの王族でもない。
ラゼル・モナン。
その名が意味するものを、いずれこの島は思い知ることになるのかもしれない。
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