表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
118/193

アマリの恋

 アマリの最も古い記憶は、ミルクのぬくもりだった。

 飲ませてくれていたのは──たぶん、ネフェルではなかった気がする。セラだったかもしれない。


 けれど、それ以上に鮮明に焼きついているのは、隣にいた赤ん坊の存在だった。


 自分と同じくらいの年頃で、泣きもせず、ただ黙って、じっとこちらを見ていた──。


 のちにそれがノルドだったと知ったときの衝撃と、心の底から湧きあがった歓びは、言葉にならなかった。


──つまり、リコよりも、もっとずっと昔から知っているということだ。


 長かったようで、短くもあったシシルナ島での療養生活。

 サナトリウムに閉じ込められ、中庭くらいしか出歩くことはできなかったけれど、元英雄のおじいちゃんたちとの日々は静かで、あたたかくて、笑いに満ちていた。


 そして──お姉ちゃんと共に現れた、優しい少年。ノルドと、その友人の狼、ヴォル。


 彼とのお茶会はいつも特別だった。今日も来てくれるだろうかと、カーテンの隙間から空を見上げては待っていた。


 そして病が癒えた今、再び戻ってきたのは、喧噪きわまる聖王国の現実だった。


 静謐だったあの時間は、まるで帳尻を合わせるかのように、嵐のような日々の中へと吸い込まれていった。


 勉学に、聖女の妹としての所作。そして──何よりも、ネフェルの随行。


「お姉ちゃん、私、今日は留守番でもいいかな」

「駄目に決まってるでしょ」


 まったくもう……。

 ゆっくりした時間を奪っていく犯人は、他でもないネフェルなのだ。


 ──あのとき過ごせなかった時間を、彼女は必死に取り戻そうとしているのだろう。


 アマリとネフェルに血のつながりはない。

 北の魔の森に捨てられていた赤子──それが、アマリ。

 拾ったのは、その森でたった一人、生きていた少女。すなわち、ネフェルだった。


 アマリを育てるために、彼女は聖女となった。

……いや、違う。アマリは知っている。


 ネフェルは、ただの聖女ではない。冷静に、歴史の文献をひもとけば、いくつもの違和感に気づくはずだ。

 そして、アマリは確信していた。


「大聖女」──数百年に一度、歴史の深層にその名を刻む、特別な存在だということを。

 その事実を思い出すたびに、背筋が静かに伸びる。


『大陸に災いが訪れる時、大聖女が現れる』

 怖かった。けれど、それ以上に──その背に並び立つために、力をつけたいと、心の底から願った。


「……シシルナ島に、また行きたいな」

 ネフェルと交わした、あの祝祭の旅は、まだ果たされていない約束だった。


 そんな想いを胸に抱いていたとき、アマリの前に現れたのは、王都とシシルナ島を往復する大商会長、グラシアスだった。


「ノルドのこと、教えてくれる?」

「もちろんだ。手足はすっかり癒え、背も伸びていた。──これが、ノルドからの手紙だ」

 彼は、収納魔法から上等な袋と、長文の手紙を取り出して見せた。


「ああ、早く渡して……お姉ちゃんの分もあるのか? ……仕方ないな」


 部屋に戻って読むのが楽しみで仕方ない。けれど、それ以上に──袋の中身が、気になってしかたがなかった。


 ネフェルが手を伸ばした瞬間、アマリはその手をぴしゃりと叩く。


「見せ合いっこしよう、姉ちゃん」

 ノルドの薬は、いつもそうだ。相手を想い、特別に調合されたものばかり。

 アマリの袋の奥に、見慣れた蜂蜜飴が見えた。


「いつもの蜂蜜飴か」

 ネフェルは、アマリの手をすり抜けて、一粒を口に放り込む。ふっと、やわらかな笑みが零れた。


 その笑顔に、胸の奥がつんと痛む。アマリの瞳に、思わず涙がにじんだ。


「……ごめん」

 ネフェルは珍しく、申し訳なさそうに微笑んだ。そして、自分の袋からもう一粒、飴を取り出す。


「絶対に、今年の祝祭は一緒に行こう。今度こそ──約束する。……ほら」


 差し出された二粒の蜂蜜飴を、アマリは両手でそっと受け取った。


 ネフェルは、天衣無縫だ。言いたいことを言い、気まぐれで、誰の顔色も窺わない。


 けれど──彼女ほど真剣に、人々のことを思っている者はいない。


 彼女には私心がない。

 ……妹のこと以外には。


 その日、共和国都パリスでの祝祭には、聖女の姿をひと目見ようと、遠方からも多くの民が訪れていた。


「なんて美しい精霊の踊りだ!」

「これが噂に聞いた聖女様の御力か!」


 アマリの唄と精霊の舞は、観る者の魂を揺らし、ネフェルの祝福には、老若男女を問わず誰もが涙した。



 けれど、祝祭の華やぎの後で──事件は起きた。


お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。


すいません。後編に続きます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ