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セイの旅立ち

 ローカンは、悩んでいた。それは、故郷から届いた一通の封筒のせいだった。

「どうしたものか……」

 彼の故郷もまた、シシルナ島の属する自由都市国家連合の一つ。島の対岸に広がる半島、その中にある小国である。


 封筒には二通の手紙が入っていた。一つは宰相からの公式な書状で、男爵位を授け、国防隊長として迎えたいという内容。もう一つは、兄弟からの私信で、帰国を勧める温かな言葉が綴られていた。


「悩んでいても仕方ない。島主様に相談しよう」

 忙しさにかまけて洗濯にも出せず、すっかりしわくちゃになった制服のシャツに腕を通し、島庁舎へ向かうことにした。


 そのときになって、朝から何も口にしていなかったことに気づく。手紙を手に、唸るように考え込んでいたせいだ。

「庁舎に行けば、美味い飯にありつけるだろう」

 そう期待して向かったが、夏祭り後の休暇で調理人たちは不在。がらんとした庁舎は、人気もまばらだった。


「島主様、ローカンです」

 島主の執務室の前には、いつもの警備兵もいない。留守かと思い、踵を返しかけたそのとき――

 中から、わずかに人の気配がした。次の瞬間、扉が音を立てて開き、ノルドの小狼ヴァルが姿を現すと、ローカンとすれ違うように廊下を歩き出した。


「ヴァル君、どうしてここに?」

「ただの散歩だよ。もう帰るところさ」

 島主の声が、部屋の中から柔らかく響いた。

「ワオーン!」

 短く一声あげると、ヴァルは軽やかに視界から消えていった。

 どうやら、散歩の途中に食事を求めて庁舎へ立ち寄ったものの、当てが外れ、代わりに島主の部屋へやってきたらしい。


 まったく、気ままな狼だ。部屋の中には、島主が用意したらしい干し肉が、几帳面に並べられていた。

 ローカンはふと、ヴァルの背負っていたリュックが妙に膨らんでいたのを思い出す。きっと中には、セラさんへのプレゼントが詰まっているのだろう。


「何の用だ?」

 島主がいつもの厳しい表情で、ローカンに向き直った。

「実はですね――」

 ローカンは一歩踏み出し、静かに相談を切り出した。

 セイはマルカスから、一通の封筒を手渡された。中には、共和国の国立大学の入学許可証、授業料免除証明書、学生寮の案内書などが入っていた。


 共和国は、新聞業が盛んで、文化的にも政治的にも先進的な国である。

「シシルナ島からも留学生補助金が出るし、ニコラ孤児院からも生活費の支援がある。俺からの送別金は、これだ」


 そう言って、マルカスは金貨の詰まった重い財布を手渡した。

「泥棒もいるから、肌身離さず持っておけ。体に巻き付けとけよ!」

「慣れてますよ、そういうのは。……っていうか、俺、行くとは言ってませんよ?」

「お前、共和国の随行員と仲良くなったろ? “行ってみたい”って話してたじゃねぇか」


 セイはカノンの息子・ガブリエルと親しくなり、共にカノンを探していたあの頃、共和国の話を何度もしていた。確かに心当たりはある。

「グラシアスとも相談した。お前のためになるって意見で一致したよ。この先も、島の中だけで一生過ごす気か?」

「でも……」

「お前の新聞社も、子分たちのことも心配すんな。俺とカノンが、責任持って面倒みてやる」


 セイは勉強好きで、頭も切れる。そして――野心もある。迷いを抱えながらも、ついに共和国への留学を決意した。

 彼の子分たちは寂しさを隠しながら、精一杯明るく送り出した。けれど、陰ではたくさん泣いていた。そのたび、リコやノルドがそっと慰めていた。


 留学の準備や勉強に追われるうちに、入学の日が目前に迫った。

 それは、アマリが島を去って数日後のことだった。

 前夜、特別に「シシルナ島新聞社」の子供たちだけの送別会が開かれた。料理はリコとノルドが腕を振るい、子分たちは手作りの飾り付けに励んだ。費用はマルカスやグラシアスの寄付で、ノシロ商店から安く材料を調達した。


「セイ、生きて帰ってきてね」

「社長、金持ちになって、俺たちを楽させてくれ!」

「また一緒に新聞、作ろうね!」

 最後には、泣きじゃくって離れない子分たちと、セイはソファで寄り添って横になった。彼自身は眠っていなかったかもしれない。ただ、子分たちの寝息と鼓動を感じながら、静かに夜を過ごしていた。


 共和国までは、グラシアスが付き添い、手続きの手伝いをしてくれるという。

「大変ですね、グラシアスさん」船着き場でノルドが声をかけた。

「これも仕事さ。俺が出資してる会社の未来の投資だよ」

 そう言いながらも、その口調にはやわらかな優しさがにじんでいた。


「それじゃ、行ってくるね」

 セイは、カニナ村の頃から共に育った孤児たち一人一人と握手を交わし、名残惜しそうに振り返りながら、ゆっくりと連絡船に乗り込んだ。

 そのとき、セイはふと鞄の中に一枚の新聞があることに気づいた。新聞の見出しには、こう書かれている――


「シシルナ島新聞号外 セイ、共和国大学留学」

 それは、子分たちがこっそりと作った、たった一枚だけの特別な記事だった。セイはその記事を手に取り、読み始めた。


「セイは、私たちの誇りだ。どんな困難にも屈せず、前に進み続ける。新しい世界で、きっと素晴らしい未来を切り開くことでしょう。」と書かれてあった。

 涙がこぼれ落ちる。セイは目を拭いながら、記事をそっと閉じ、鞄にしまった。


「安心したかい?」グラシアスの声が聞こえる。

「ええ、頑張ってきます」とセイは答え、涙を止めて顔を上げた。


 その後、セイは看板に上がり、シシルナ島に最後の手を振った。島は今、彼の背中を見送るだけだった。


お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。

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