別れの季節
「リコ、手伝って。食事にしましょう」
アマリの声を合図に、従者たちも席に加わった。食卓は一気ににぎやかになる。笑い声が弾け、香ばしい香りが部屋に広がっていく。
食事が終わると、セラが立ち上がった。抱えていたのは、美しい布で包まれた小箱。
「アマリ、これは契約の儀式のお礼に。……私からの、ささやかな贈り物よ」
中身は、セラが手縫いで仕立てた冒険者装束だった。アマリ専用の、ただひとつの衣装。
アマリは深く頷くと、セラの部屋へと向かっていく。
「お待たせしました。どうぞ、ご覧ください!」
勢いよく、リコが声を張り上げた。司会進行のように胸を張る。皆の視線が一斉にアマリへと注がれた。
現れた彼女は――
頭からすっぽりとフードをかぶった、黒一色のローブ姿。全身を覆うそれは機能性に満ちていたが、まるで山岳修道士のように質素で、地味だった。
ノルドがぽかんと口を開ける。
「……ノルド、完全に勘違いしてますね!」
リコがいたずらっぽく目を細める。アマリと目が合うと、彼女は小さくため息をつき――
「もう、リコったら……」
恥じらいと共に、ゆっくりとローブを脱いだ。
その下から現れたのは、精緻を極めた礼装。
ネフェルの祭礼衣装をさらに進化させた、光を帯びたドレスだった。
グラシアスから仕入れた最高級の生地が、風のようにしなやかに揺れ、小さな魔石が織り込まれて、月光のような淡い輝きを放つ。刺繍は霊樹を象り、胸元から全身にかけて、魔力の流れを導くように描かれていた。
誰かが、思わずつぶやいた。
「……なんて、美しいんだ……」
それは、ただの服ではなかった。
アマリの存在そのものを映す、祈りのような装束だった。
「そんなに魔力を出しては……」
ノルドが眉をひそめる。
「大丈夫。むしろ……気持ちが軽くなるくらい」
アマリは優しく微笑んだ。その笑みは、ほんのわずかに、安堵の色を宿していた。
※
夜になり、アマリたちが帰ったあと。
セラは静かに打ち明けた。
――アマリが抱える病について。
「彼女の体は、ずっと前から……膨大な魔力を生み出し続けているの。年々その量は増えて、自分の体に蓄積しすぎて……命を、蝕み始めていた」
それを抑えるため、サルサの“秘術”が使われていた。
「彼女は……サルサ様のサナトリウムで、余分な魔力を吸い取ってもらっていたの。吸血鬼の力でね」
けれど最近、アマリは少しずつ自力で魔力を外に流せるようになってきた。そう、本人は話していた。
そこへ、ふわりと風が舞うように、ビュアンが現れる。
「アマリの魔力はね――まるで巨大なエルフツリーみたい。優しい光と香気を放って、魔物を遠ざけ、精霊を惹きつける」
その言葉に、ノルドはしばらく黙り込んだあと、何かを思い出したようにポンと手を打った。
「そうだ、ビュアン。君にも贈り物があるんだ。……妖精様には必要ないかもしれないけど、僕とおそろいのリュックだよ!」
「ふふ……収納魔法があるから不要だけど――嬉しいわ。ノルドの気持ち、ちゃんと届いたから」
そう言って、ビュアンは小さなリュックを背に背負ってみせた。いつもの無表情の奥で、ほんのりと頬が赤らむ。
「――あら、ノルドに先を越されたわね」
そう言ったのはセラだった。奥の部屋から運んできたのは、小さなドレス。
それはアマリとおそろいの儀礼衣装。水精の色を宿した布に、宝石のような魔石がきらめいている。
「わぁ、パーティドレスだぁ! いいなぁ、ビュアン様着てみて!」
リコが尻尾を揺らしながら、興奮気味に言う。――おそらく、少し自分も欲しいのだろう。
「人間の服なんて着たら……お父様に怒られちゃうかも」
ためらうビュアンに、ノルドは静かに言葉を重ねた。
「これは……母さんが心を込めて作った服なんだ。大切な気持ちがこもってる。……精霊王様には、僕がちゃんと話すよ。だから、まずは――一度、着てみてくれないかな」
その言葉を、ビュアンはずっと待っていたのかもしれない。
「……まったく。ノルドったら」
ふっと肩をすくめながら、そっと手を伸ばした。
※
そして、冬の祝祭を前に、アマリは予定より早くシシルナ島を離れることになった。
迎えに来るはずだったネフェルは、夏祭りの伝聞が広まり、各国から要請を受けて飛び回っているらしい。今は対岸の大陸で式典を終え、アマリの到着を待っているという。
「姉さんも、ノルドに会いたがっていたわ」
「うん、僕たちがいつか、聖王国に行くよ。約束する」
「――きっとだよ」
アマリはノルドの手を、ぎゅっと握った。
ただそれだけのことで、胸の奥がぽうっと温かくなる。
甘く、淡く漂う魔力の香り。アマリの体温が、確かにそこにあった。
けれど、それも束の間。
「……そろそろ、乗船のお時間です」
見かねた執事が、遠慮がちに声をかけた。
「はい。じゃあね、ノルド」
何度も繰り返した別れの言葉を、もう一度。けれど今度のそれは、ほんの少し、大人びていた。
彼女は振り返らずに歩き出す。
タラップをのぼり、風に揺れる聖王国旗を背に、白い船に乗り込んだ。
やがて、港に残された風景の中で――
アマリの香りだけが、静かに残っていた。
そして、冬の風が吹き始めた。
別れの季節が、ほんとうに、始まったのだ。
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